#ETV 特集 シリーズ 原発事故への道程 前編 置き去りにされた慎重論 録画視聴中。 #NoNUKE #nhke
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1971年3月、福島第一原発は、営業運転を開始しました。ラジオ「(パチパチパチパチ…拍手)ついに、臨界に達した原子炉。ここに、第三の火といわれる、原子の火が灯り、新しいエネルギーの黎明を迎えたのです」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:35:08経済性を重視し、ターン・キー契約で建設された福島第一原発。その後、非常用電源の位置は変更されることのないまま、事故の日まで運転を続けてきました。 #豊田 氏「やっぱり、アメリカGEから入れたときは、ターン・キーであったこともあってね…」「あああー…」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:37:46#豊田 氏「…すこし任せっぱなしにした点は、ありましてね。それがやっぱり、そのー、ジーゼルがタービン建屋には気が付かなかったと。だから私も気が付かなかったのも、なんかおかしいんだけどね…」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:41:14#豊田 氏「…私だけじゃなくて、誰も気が付かなかった、っていうのは、本当かな?と思うんだけど。つか、ともかく…」日本への原子力発電所の早期導入を、国策として進めた国と財界。基礎から研究すべきだ、との主張を退けられた科学者。~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:44:09経済性を優先せざるをえなかった、電力会社。それぞれの思惑の中で、ひとり置き去りにされたのが、安全性でした。 #島村 氏たちは、日本の原子力政策の欠陥について語り合っていました。~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:46:23元通産官僚 #島村 氏「大きな方向、というものが…無い。どっこにも。電力さんは将来、どういうふうに思っとるのか、その辺もはっきりしないし。メーカーさんも言われりゃ造る、というだけでねぇ。なんとかいいものを造る、ということに間違いはないけれども…」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:48:48#島村 氏「…こういうふうにして、こういう方向に進むべきだと、いうような意見を日本のメーカーさんからは出て、来ない。えー、政府もまたぁ、ま原子力委員会が基礎計画をたてることになってるけどもねぇ、もう従来決まっとるやつん中にね、その…」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:53:18#島村 氏「…その後の情勢の変化を少しこの-、かぶせる程度でね。そういう抜本的なことを考える事態にない、と。いう状況じゃないですかな」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:57:30元 #原研 研究員「その点を、その輸入技術だから、日本のメーカーは基本を知らんよ。だから、もう、日本のメーカーもまた自信ない。ま、昭和40年代はそうだったと思います。…」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 15:59:25原研「…基本をぜんぶがっちり固めて軽水炉ができたんじゃなくて、それまでにそんなに大した事やってるとは思えないです。それで、できた技術でそのままになってる部分が、結構あって、そうじゃない部分について、…」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 16:01:15#原研 「…まだ最初設計して、ま、これでうまくいってるからということで、基本が解明されていない部分が残ってるんじゃないですかね。ただ、そういうことを言い出すと、"いまさらそんなことは分かってなくて、何してるんだ!”と、叱られるのが恐いから…」~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 16:03:52#原研 「…誰も言い出さない、というのが残ってるんじゃないですか。ハッハッ。」…エンドロール。 終 ~ #NUKEjp #nhke
2012-01-19 16:05:38---- 前編 終 ----