日本古来の行政区分について…道州制につながるツイートから。
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関ケ原は岐阜県の不破郡にある。この由来が面白い。672年、壬申の乱の後、破られない関所との意味で不破の関。関がある原っぱの意味で関ケ原。この関から西が関西。古代には日本三関(さんかん)。今の福島に古代の関所が作られたのも意外に古いがその後、平安京のはず。
2012-01-08 19:05:29@jiroshiba 日本三関は、不破の関、伊勢方面の鈴鹿の関、そして越前方面の愛発(あらち)の関、というのがあったそうです。その愛発の関が、後に逢坂の関にとって代わったようですね。なかなか面白いかと。
2012-01-08 20:57:42@y_mizuno 僕はけっこう最近まで関ヶ原以西が関西だと思ってました(^^; 関西は岐阜の不破関と三重の鈴鹿関より西側というのが江戸時代までの認識だと言われて恥ずかしかった覚えがあります。
2012-01-09 03:22:23@Shimada_Hyougo @murapyon71 江戸時代までは中部地方という言葉も概念もなかったとか?
2012-01-09 09:16:31@Shimada_Hyougo @murapyon71 そう言えば、中山道も、昔は東山道、海側は東海道、京都から西宮までの街道は西国街道、中部という概念はなかったかも。
2012-01-09 09:22:27@Shimada_Hyougoさん、なるほど。昔は東国というと今の中部地方も関東地方も含んだ。古来、広義と狭義があって複雑・曖昧な言葉。東国(あずまのくに)http://t.co/eG3qW0ni 東国(とうごく)http://t.co/AopfnQM6 @murapyon71
2012-01-09 10:30:41@y_mizuno @murapyon71 過去に衝撃だったのが、生まれながらの京都市民が「京都から大津まで何時間かかるか知らない。」と云ったこと(京都府京都市と滋賀県大津市は隣で、JR東海道線で1駅(山科)挟んだだけです。)です。ああ、やっぱり東国なんだな、と。
2012-01-09 10:41:50@y_mizuno @Shimada_Hyougo 関西・関東という言葉は、もともとは中国の函谷関を境に関西・関東、関左・関右から来ているので一応念頭に置くとしても、日本は生活習慣が違うので関の左右で分けると実情と異なるかも知れませんね^^;
2012-01-09 11:03:58@Shimada_Hyougo @y_mizuno 京都の人になっちゃうと畿内とかいう言い方が出てくるのでややこしいですね^^; 近畿は幕末から明治ごろになってあらわれた造語なので参考にならないというはなしですが…。
2012-01-09 11:06:16@murapyon71 @y_mizuno 「(京都)市内」の概念も面白いですよ。京都市伏見区民ですが、京都駅や四条辺りに行くのに「市内に行ってくる。」という表現に誰も疑問を差し挟まない。
2012-01-09 11:10:41@y_mizuno @Shimada_Hyougo 方言学の方で相生・赤穂が関西弁の西の境だという話を聞いたことがあるのですが、関西弁を使っているエリアを関西という強引な考えは成り立たないですかね?^^;
2012-01-09 11:11:15@murapyon71 「近畿は幕末から明治ごろになってあらわれた造語」でしたか。五畿七道という言葉もありました。でも「畿内」以外wにはそれぞれの国があった。畿内は首都圏という感じ。例えば摂津にも度量衡の役所が置かれたり。@Shimada_Hyougo
2012-01-09 11:22:31@y_mizuno 明治二年の松田成己『布令必用新撰字引』に「近畿ミヤコノキンジョ」とあるのが初出のようです。なので播州は含んじゃいかんというのは高島俊男先生の言。播州ってどこら辺?という感じでよくわからなかったのですが…^^; @Shimada_Hyougo
2012-01-09 11:43:01@murapyon71 @y_mizuno 播州=播磨国なので兵庫県の大部分ですね。 そう云えば源氏物語でも光源氏の配流先が須磨や明石だったっけ。
2012-01-09 11:50:01ちなみに五畿七道の定義http://t.co/WU6FwQ5j おっと近国、中国、遠国なんて言葉も出てます。またhttp://t.co/h20AouaRには「七道に編成された諸国には、大・上・中・下の等級が」これ知らなんだ。 @murapyon71 @Shimada_Hyougo
2012-01-09 12:08:18江戸時代は近国。でも明治になって国内の「国」がなくなったので近畿かも? @murapyon71 明治二年の松田成己『布令必用新撰字引』に「近畿ミヤコノキンジョ」とあるのが初出のようです。なので播州は含んじゃいかんというのは高島俊男先生の言 @Shimada_Hyougo
2012-01-09 12:20:19@y_mizuno 七道の道というのは行政区域としての道を指してるのですね。みちだと思ってた…^^; 行政区域の道だとすると蛮人居住地を含むという概念なので、みやこの人の観念がうかがえますね。なので今の道州制というネーミングは嫌いなのですが…。@Shimada_Hyougo
2012-01-09 12:22:07@y_mizuno @murapyon71 明治の一時期までの住所表記は「京都府山城国紀伊郡云々」と、道府県と令制国が併記でした。
2012-01-09 12:26:40@y_mizuno 国としての概念というのもありそうですね。残念ながら知識的に僕はここら辺で既にアップアップの状態なので…^^; 夕方になれば黙っていられない人が登場してくれて何か示唆してくれるかも?^^; @Shimada_Hyougo
2012-01-09 12:28:27@murapyon71 江戸時代の「道」には行政情報伝達上の領国分類の意味があったようですが、「行政区域の道だとすると蛮人居住地を含むという概念」の出典や用例は何でしょうか?(中国古典での用例ですか?)日本の街道は幹線とか動脈の中性的意味なのかと? @Shimada_Hyougo
2012-01-09 12:41:26そういう意味ですか。なるほど…。@Shimada_Hyougo 確かに「道」は辺境分類ですね。 @murapyon71
2012-01-09 12:42:38