@kurmacfさんによる、「戦国大名」と「国衆」の関係性

このまとめでの用語定義 「戦国大名」:政治的に独立した権力で、直轄地域を越えた領域を支配下に置いた存在 「国衆」  :「戦国大名」に従属している自治領主 5/6 その後の関連ツイートを更新しました。 続きを読む
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MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
戦国大名をどう捉えるか、というお話しには、定義の問題からはじまって長~い研究史が存在する。そもそも、何をもって戦国大名とするのか、様々な権力を戦国大名と一括りにして論ずる意義はあるのか、などなど。最終的には、結局自分の扱っている素材が戦国大名ってだけじゃない?って指摘に行き着く。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
もちろん、僕はそうは思わない。戦国期、という中近世移行期の混乱期において、各地で権力を掌握した存在を「戦国大名」と仮に定義して、その特徴(ようするに共通点ですね)を論じる、ということには一定以上の意味があると考える。裏返して、相違点を論ずるという点にも大きな意味を感じる。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
ただ、論ずるからには定義がいる。この定義がまったく一致をみない。…みないのだが、とりあえずは政治的に独立した権力で、直轄地域を越えた領域を支配下に置いた存在を戦国大名と考えている。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
戦国大名の規模としては、一国単位の支配権力を想定はしているが、これはあくまで想定。これを定義に組み込んで、厳密にすると、陸奥や近江には戦国大名はいなくなってしまう。逆に安房一国を支配しただけで戦国大名になれてしまうという矛盾が生じるからだ。
G座Y一先生の親友@空想上 @syakekan
志摩一国とかw RT @kurmacf 戦国大名の規模としては、一国単位の支配権力を想定はしているが、これはあくまで想定。これを定義に組み込んで、厳密にすると、陸奥や近江には戦国大名はいなくなってしまう。逆に安房一国を支配しただけで戦国大名になれてしまうという矛盾が生じるからだ。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
そうそうw RT @syakekan: 志摩一国とかw RT @kurmacf 戦国大名の規模としては、一国単位の支配権力を想定はしているが、これはあくまで想定。これを定義に組み込んで、厳密にすると、陸奥や近江には戦国大名はいなくなってしまう。逆に安房一国を支配しただけで…
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
そして戦国大名に従属し、いわば自治領を形成していた存在を国衆、と把握している。これは室町期の国人領主とは質的な変化が生じているので、別の用語が必要として生み出されたものだが、共通理解にはなっていない点は確認しておく。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
というのも、東国で国衆というと郡規模領主のイメージだが、畿内近国では地侍クラスを指す史料用語だからだ。なのでなかなか定着をみないが、用語に拘ることに僕はさして重きを置かない。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
何しろ戦国大名という用語すらまだ議論の最中なのだ。何という用語を用いて概念化するかという入り口論で止まっては先に進まない。論じている中身が同じであれば、共通の議論の俎上に載せてしまいましょうよ、という発想である。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
国衆という概念用語が定着しない理由は他にもいろいろあるのだが(これは定義した本人に半分以上責任がある)、室町後期から戦国期を一括して議論する時、混乱を生じるというのもひとつの理由ではある。いつまで国人領主で、いつから国衆と呼ぶのか、明確なラインが引けないからだ。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
さらにいうと、室町期の国人というのは、幕府との関係で定義された概念用語であり、戦国期の国衆とは定義の規準が異なる、ということもある。とまあ、異論を出したらキリがないので、さしあたり、戦国大名に従属している自治領主のことを国衆と呼ぶ、ということにしておく。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
村上や小笠原は戦国大名と国衆の定義の境目にいる存在です。扱いが難しい。 RT @rikuchi10: 一国単位で言ってしまうと、信濃も戦国大名がいなかったことになってしまうのかな?それで武田、上杉領で真田や村上、高梨は国衆という解釈になってしまう?
G座Y一先生の親友@空想上 @syakekan
@kurmacf 志摩は論外として、安房じゃだめなんですか?里見は戦国大名じゃないんですか?
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
里見は戦国大名化します。安房、といったのは単に領域面積が狭いので比喩的に用いただけです。 RT @syakekan: @kurmacf 志摩は論外として、安房じゃだめなんですか?里見は戦国大名じゃないんですか?
G座Y一先生の親友@空想上 @syakekan
@kurmacf そうですか。いや、なら志摩が一番ですね。志摩が。知り合いが尾崎行雄の選挙を研究いていたもので。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
@syakekan 志摩を拠点とした戦国大名が思い浮かばなかっただけですw
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
本論に入る。かつての研究では、戦国大名がいかにして国衆領(昔は国人領といったが)に権力を浸透させていくか、が議論の対象となった。国衆領に介入できない戦国大名は権力の弱い大名、という理解だ。そして国衆はどんどん大名に権力を侵犯されていく存在、と認識されていた。ここが一番変わった点。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
しかし実態を検討していくうちに、現実は正反対であることが明らかとなった。まず、戦国大名は、基本的に国衆領に手をだすことはしない。国衆領に手を出しているように見えるのは、国衆領内に、戦国大名に仕えている人や寺社が存在していて、そこに命令を出しているだけだったのである。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
たとえば甲斐武田氏は、本国に郡内小山田氏と河内穴山氏という国衆領を抱え込んでいる。そこに武田氏は直接命令を出すことはしないし、できない。命令を出せるのは、武田氏と被官関係にある人や寺社に限られる。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
さらにいうと、本能寺の変後に行われた徳川氏の五ヶ国総検地。三河・遠江・駿河・甲斐における検地事例はいくらでも見出しうるが、信濃における検地事例はみつからない。これは、信濃には徳川氏の直轄領がなく、徳川氏に従属した国衆領ばかりだからだ。家康は、国衆領には手を出すことができない。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
そしてこれが何より重要なのだが、国衆が命令を文書(もんじょ)の形で出し始めるのは、戦国大名に従属して以後である、ということである。そしてその文書様式は、従属した戦国大名の様式に類似することが多い。かつての研究は、この点に気がつかなかった。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
つまり国衆というのは、戦国大名に従属してはじめて、政治的に安定し、官僚機構をはじめとした政治体制を整え、発展することができる存在といえる。そしてその際には、戦国大名は支援を惜しまなかったようである。つまり戦国大名が介入しているのではなく、国衆から支援を求められて手伝っているのだ。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
もちろんこれには、国衆が従属大名を定め、その関係が安定することが不可欠となる。これにより、大名と国衆の間では、いざというときには軍事的に保護を加える、という一種の契約が結ばれる。これを「軍事的安全保証体制」への組み込み、と呼んでいる。
MARUSHIMA Kazuhiro @kurmacf
国衆が内政に注力できるのは、大名の保護が大きい、というわけだ。
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コメント

28Gaty @28gaty 2012年5月6日
まとめを更新しました。
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