ゲームシナリオに声がなかった時代、おじいちゃんやおばあちゃんの語尾は「~じゃ」等と書くものだった。キャラ絵も小さく、台詞も目で読む文字だけだったため、年齢表現も記号化されていた。声がつくようになって、年齢や感情は声優さんが表現してくれるようになり、台詞の自由度が格段に上がった。
2012-01-26 01:06:57ゲームシナリオに声がつくと、例えば「ありがとう」という言葉も、素直な感謝、言い慣れないたどたどしさ、甘く囁くように、嫌味たっぷりなど、何通りにも変化できる。文字が感情を裏切っても、声が感情を伴ってくれる。このちぐはぐを手に入れることが、どれほどシナリオを自由にしたか知れない。
2012-01-26 01:25:03今でも収録現場では緊張が走る。感情の動線は?各キャラの距離は?その場の風景は?声優さんは実に細やかにそのシーンを読み解き、感じようとする。それはゲーム性に重きを置く開発とはまた違うゲームシナリオの見方だ。声があるということはドラマとして二重三重にチェックされるということでもある。
2012-01-26 02:01:50父がよく、「白黒写真がカラーになった時のあの感激や損失は、今のカメラマンは味わえないんだよなあ……」って言ってたんですが、声がないゲームから声があるゲームへの変化を知ってる世代は、もしかしたらそういう気持ちなのかなあ?感激と損失か。
2012-01-26 02:14:02畏怖とか恐怖に囲まれなきゃダメな時期ってあるかも、と思ったりします。例えば収録で「自分の台詞読まれた(はあと」ってキャーキャー言ってるだけじゃどうしようもないように。相手に尊敬があれば、まず怖いって感情がわきます。簡単に切り捨てられたくないから。だから努力するんじゃないかなあ。
2012-01-26 02:31:20@shodamiwa 気づかない点に気づけました、文字と声を両方生かした表現は、声がない時代には確かにできないですね! 素直な子どものころ、文字通り受け取るべき表現で学べ、成長するにつれこういった複雑な表現に触れられるのは、今20台くらいの僕らだけの幸福だなと思いました
2012-01-26 01:49:51そうなんです。声のないゲームを遊んでいたからわかる、声の感動や違和感ってあると思うんです。時代が大きく変わるのを体験してるってことなんですよね。 RT @meel_oathten 気づかない点に気づけました、文字と声を両方生かした表現は、声がない時代には確かにできないですね!
2012-01-26 02:12:52@dw__ こんばんは!ちょうど、dwさんのこと思いだしながら書いていました。「老人の語尾に”じゃ”って、ダメですよねえ!」とか、おっしゃってましたよね。懐かしいです。
2012-01-26 01:27:20@shodamiwa そうそう「こういうアートだと、王様に『死んでしまうとは何事じゃ!』なんて言わせられないですよね」なんて話してましたねえ。
2012-01-26 01:31:23「プロの声優さんに『そこだ丸ボタンだ』はないだろう」とかね。いや懐かしい! RT @dw__ そうそう「こういうアートだと、王様に『死んでしまうとは何事じゃ!』なんて言わせられないですよね」なんて話してましたねえ。
2012-01-26 02:03:10@shodamiwa 声優さんとの仕事に慣れてない初期の頃は、「こんな台本をプロの皆様に見せたら『ケッ!』って思われんか!?」てビクビクしてましたね。とはいえ、あそこでビクついて頑張らなかったら最低限のクオリティすら担保できんかったかもです。
2012-01-26 02:11:31激しく同意です! RT @dw__ 声優さんとの仕事に慣れてない初期の頃は、「こんな台本をプロの皆様に見せたら『ケッ!』って思われんか!?」てビクビクしてましたね。とはいえ、あそこでビクついて頑張らなかったら最低限のクオリティすら担保できんかったかもです。
2012-01-26 02:19:27