@JPN_LISA 私は特にその病が心の病だった時の事を考えます。医者は話を聞いてくれるけど、結局「治療のためのインタビュー」でしかなかったからです。それは、私にとって救いにはならなかったので。でも、人の心の暗さを受け止めきれる「他人」はこの世にどれだけいるのか。
2012-02-16 20:46:26@mizutuki_akira 確かに恐怖に漬かったままの状態は自傷とも言えるかもしれないです。「責任を誰かにとってほしい」は責任転嫁かな、と思いました。そういう責任転嫁が自分の中にもあるかもしれないという自覚はあります。
2012-02-16 20:50:06「怖がる」自分の前に「怖がらない」他人が存在すると、すごく孤独感があるんです。その医者も「怖い」を理解する必要があった。RT @asakasaku 私は特にその病が心の病だった時の事を考えます。医者は話を聞いてくれるけど、結局「治療のためのインタビュー」でしかなかったからです。
2012-02-16 20:59:26@asakasaku 個人的には転嫁とかも必要ならばアリだと思うのです。自傷と例えましたがそれは中毒性・依存性があるという意味で使いました。対象(例:国とか東電)がなければ成り立たない状況であることと、していることで一種の達成感を得てしまうかなと思って。
2012-02-16 21:05:10@asakasaku 「放射能怖い」の人の中で、明らかに悪意があり扇動する者どもは論外として、本当に「怖い」人にはいくら科学的データで論理的に説明しても、なかなか恐怖は払拭されないと思うのです。これは科学リテラシーの問題ではなく、その人それぞれの背景にある文化の問題なので。
2012-02-16 21:09:23怖がらない住民の姿が同調圧力に感じる人の感覚ってこれに近いのでしょうか。 RT @JPN_LISA 「怖がる」自分の前に「怖がらない」他人が存在すると、すごく孤独感があるんです。その医者も「怖い」を理解する必要があった。
2012-02-16 21:24:43@asakasaku (承前)昨年、日本記者クラブで福島医科大の山下先生とも話したのですが、先生の「国民が初等教育から科学リテラシーを共有できなかった」との主張とは、私は少し異なります。やはり幼少期からの放射能、あるいは原子力とどう接してきたか、という文化の問題ではないかなと。
2012-02-16 21:24:44立場を入れ替えて考えると、そういう状況が生じる事もあるかもしれませんね。この場合、双方の選択を尊重する事が大事なのかなと。反原発みたいに自分と異なる選択をした者を罵ったりしない事。RT @asakasaku 怖がらない住民の姿が同調圧力に感じる人の感覚ってこれに近いのでしょうか。
2012-02-16 21:30:28@mizutuki_akira 中毒性と依存性はあると思います。浸っていると逆に安心できてしまうと言う悪循環が。そういう意味では自傷で、他の人がどうにかしようとしてもなかなかままならないと思います。
2012-02-16 21:31:10@JPN_LISA 「人に受け入れてもらえてるかどうか」が不安なのかなと。そこにたどり着くまでは相手に八つ当たりしたり、意見の異なる相手に酷い事を言ったり、そういう人もいるかもしれません。多分、私が怖い側の人間ならそうなっていた。被害妄想で片づけられたら悲しかったろうと思います。
2012-02-16 21:44:51@JPN_LISA 演劇界や芸術関係者に反原発を強く信奉して、その終末観に基づいた作品が多く散見された事を思い出しました>文化の問題 作品そのものに科学的事実を求めるつもりはないですが、そのイメージが刷り込まれていたままで、今も事実と感じている人は多いのだろうと思います。
2012-02-16 21:51:20