推理小説の「論理」

推理小説評論家の巽昌章さんによる、推理小説の「論理」「推理」に関する呟きをまとめました。
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巽昌章 @kumonoaruji

しかし、こうした論法に魅了されることがある。たとえば、「盗まれた手紙」の地図当て遊び、「折れた剣」の賢い人は木の葉をどこに隠す?という謎々、泡坂妻夫のいくつかの作品、「占星術殺人事件」

2012-03-01 20:27:03
巽昌章 @kumonoaruji

また、不条理ゆえに我信ずとでも呼ぶべき現象がある。あまりにも突飛なトリックなのでかえって納得してしまうといったこと。これらの現象を、「論理的には不備だが面白いから許してしまうのだ」というふうに説明することも一応はできる。しかし、それで済むだろうか。

2012-03-01 20:31:22
巽昌章 @kumonoaruji

そこでいう面白さとは、推理小説内で語られる「論理」そのものから生じているからだ。「論理」と「面白さ」を別のものとした上で相殺することはできない。

2012-03-01 20:34:18
巽昌章 @kumonoaruji

他方、こうした論法を、読者をはぐらかすための詭弁と呼ぶこともできるだろうが、ここでも留保しておきたいことがある。類推や、飛躍のある論理は、単なる説得術、つまり読者を納得させるための手段の位置にとどまり続けるわけではない。

2012-03-01 20:40:52
巽昌章 @kumonoaruji

類推や論理の飛躍は、それ自体が、読み手にとっても書き手にとっても誘惑的なのだ。説得の手段であるはずのものが、道具の位置を離れて、人々を誘惑し始める。

2012-03-01 20:41:48
巽昌章 @kumonoaruji

「元来」そうなのか、それとも、推理小説の歴史がそうしたおかしな論理への嗜好を制度化してきたのかはわからない。続きはまた。

2012-03-01 20:43:55
巽昌章 @kumonoaruji

しばらく本棚で行方不明になっていた『探偵小説の論理学』再発見。推理小説の論理については、これを読み直してからつぶやく予定。

2012-03-14 17:14:18
巽昌章 @kumonoaruji

RT @kiyoshikasai: @kumonoaruji @tsuruba ただし、後期クイーン的問題をデカルト的懐疑や不可知論とじかに重ねてしまう秋田さんの考えには、いささか飛躍があるようにも思います。たしかに厳密に考えれば、目の前にある「このコップ」の実在性も疑わしい。

2012-03-14 17:19:48
巽昌章 @kumonoaruji

RT @kiyoshikasai: @kumonoaruji @tsuruba とはいえ、われわれは通常、「このコップ」は見える通りに「ある」と思って暮らしています。「この世界」も同じ。このような日常的リアリティの世界を前提に、その模像として作られた探偵小説空間でも、真偽が決定不能であるような命題が生じる。

2012-03-14 17:19:56
巽昌章 @kumonoaruji

RT @kiyoshikasai: @kumonoaruji @tsuruba これが後期クイーン的問題です。もちろん世界の実在性の疑わしさと、探偵小説空間内での「唯一の真相」の疑わしさは無関係ではありません。しかし、そこには問題の階層的な相違があると考えます。

2012-03-14 17:20:05
巽昌章 @kumonoaruji

RTした笠井さんの発言にあるように、世界の実在性の疑わしさと、探偵小説空間内での「唯一の真相」の疑わしさは無関係ではないが、階層的な差異がある。したがって、そうした懐疑を締め出した小説を書くことも、逆に、日常疑わない事まで疑う小説を書くことも可能だ。

2012-03-14 19:29:52
巽昌章 @kumonoaruji

たとえば、仮にゲーデルの不完全性定理が日常的なわれわれの推論にまで及ぶものだとしても、それを無視して「確実な推理」の成り立つ世界の小説を書くことはできる。

2012-03-14 19:34:53
巽昌章 @kumonoaruji

逆に、不完全性定理が推理の確実性を揺るがすものでないとしても、これによって推理が脅かされる推理小説を書くことは許される。小説の中に間違ったことを書くのは常に許されるという意味で。

2012-03-14 19:38:32
巽昌章 @kumonoaruji

だから、「後期クイーン的問題」の意義は、本当に(いいかえれば小説外の世界において)推理の確実性が揺らいでいるかどうかによっては左右されない。問題は、いま、小説の中でそれを取り上げることに何の意義があるか、つまり、虚構を組み立てる際の選択の問題だ。

2012-03-14 19:44:20
巽昌章 @kumonoaruji

一つの観点は、「後期クイーン的問題」が取り上げられる動機を考えるということだ。動機といっても、個々の作家の動機ではない。推理小説が書かれ、読まれ続けているという事実のうちに、そうした「推理の危機」を語ることを余儀なくさせる何かがあるかどうかである。

2012-03-14 19:48:23
巽昌章 @kumonoaruji

もうひとつの観点は、「後期クイーン的問題」が「問題」として立ち現れる条件とは何かということだ。たとえば、刑事や鑑識がこつこつと事実を拾い集めて犯人を絞り、逮捕して自白を引き出すといった小説で、「後期クイーン的問題」があらわれることはない。

2012-03-14 19:51:40
巽昌章 @kumonoaruji

ないというといい過ぎか。いわゆるリアリズムの手法で捜査を描きながら、読者を世界の不可知性に導くような小説はありうるから。また、たとえば松本清張や森村誠一流の推理小説でも、「推理」は単なる日常的、常識的な認識活動にとどまっているわけではないから。

2012-03-14 19:56:59
巽昌章 @kumonoaruji

そうはいっても、探偵が推理に失敗し、あるいは真偽不明の出来事に直面することと、それを「後期クイーン的問題」という形であらわすこととの間には懸隔がある。探偵の失敗が「後期クイーン的問題」となりうるのは、その小説がある水準の抽象性を帯びている場合だろう。

2012-03-14 19:59:36
巽昌章 @kumonoaruji

作中の空間の両端に探偵と犯人がいて、その間に推理の糸が張り巡らされているといった透明な構造を推理小説の中に幻視することができてはじめて、そうした構造の危機としての「後期クイーン的問題」が立ち現れる。

2012-03-14 20:05:38
巽昌章 @kumonoaruji

この意味で、法月綸太郎が「後期クイーン的問題」を説くに当たって推理小説の「形式化」から出発したことには、たんに柄谷行人の口真似とばかりは言えないものがある。推理小説を「形式化」してみることを強いられるような場所に、法月たち新本格の作家は立っていた。

2012-03-14 20:08:17
巽昌章 @kumonoaruji

動機の話に戻れば、「後期クイーン的問題」は、「推理」というものに対する過剰な期待の裏返しともいえる。英国では、『陸橋殺人事件』や『トレント最後の事件』によって、「推理」というものの不確実性が経験論的なやり方で暴露されてきた。

2012-03-14 20:18:03
巽昌章 @kumonoaruji

推理の不確実性をユーモアの種にする英国的な余裕の中では、「推理」への過剰な期待もなく、したがって「後期クイーン的問題」も生じ得ない。やはり、「後期クイーン的問題」とは、田舎の書生っぽ的な頭でっかちの問題にほかならない。

2012-03-14 20:20:25
巽昌章 @kumonoaruji

しかし、だからこそ、私は「後期クイーン的問題」に無関心ではいられない。私自身が、推理の不確実性を余裕の笑みで受け入れるような作品より、過剰な確実性への希求をはらんだ作品の方に魅かれるからだ。

2012-03-14 20:23:34