金子兜太について
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@yasow910 なんか日本中から物凄い人数が来て近寄れなさそうな雰囲気が。一度現俳シンポの後で田中亜美さんに引き合わせてもらったことがありましたが、あのときでも取り巻きのご婦人方がすごかった。
2012-03-28 21:58:32@yasow910 今の話をし始めたのは研究者の人なので、「なぜ今」といった意識はあまりないのかも。関西の人で向こうから見ると関東での兜太の存在感やもてはやされ方がピンと来ないらしいので、むしろその意味で気になるのかも。
2012-03-28 22:08:14@Seki_Etsushi 青木さんの文章やブログは、時々拝見させていただいていますが、東西で「金子兜太」の評価(!)はそんなに違うんですかね? ちなみに、関西だと誰が評価の対象になるのか…。
2012-03-28 22:16:53@yasow910 @Seki_Etsushi 兜太については最近調べる機会があったので、つい気になって…という程度ですw 関西の前衛&社会性俳句でいえば鈴木六林男や林田紀音夫、赤尾兜子、島津亮あたりで、昭和の前衛系を振りかえる時、金子兜太はかなり存在感が薄い印象があります。
2012-03-28 22:28:12@k551_jupiter @Seki_Etsushi 兜太さんは本来詩人体質なのになぜか理論的であろうとしているように見えるんです。知的な人が詩的であろうとする逆パターンは多いですけど。だから、きっと細かく分解しても、結局わからないところが出てきそうな気もしてきます。
2012-03-28 22:30:19@Seki_Etsushi 兜太と六林男―1919(イックイック)年生まれ同志ということですか。耕衣系とかではないんですナ。
2012-03-28 22:30:33@yasow910 @Seki_Etsushi あとは前衛系と絡んだ時期の波多野爽波率いる「青」の存在、とか。関西の中でも、特に竹中宏さんなどを中心とした俳句史や技法に意識的な方々は金子兜太を全く評価していないので、それもあって影が薄い、という感じです。ただ、金子ファンは多いw
2012-03-28 22:31:16あと、永田耕衣というのは微妙で、耕衣を語る方の雰囲気からすると、彼は前衛なんだか何だか分からないヌエみたいな存在だというニュアンスで、持て余している感じがあるなw 六林男や紀音夫あたりはきちんと社会性や前衛に収まる存在、という感じで、捉えやすいというのがあるかもしれない。
2012-03-28 22:34:27@k551_jupiter @Seki_Etsushi 些か横槍的な入り方で失礼しましたが、関西に限らず(人間性は別として)いわゆる「兜太俳句」をそれほど評価していない俳句作家はいます。が、“前衛”総当りリーグ戦で見ても、やはり兜太の評価は、それほどでもない、と?
2012-03-28 22:40:29@yasow910 @k551_jupiter 句の質の高低ではなくて、名前が挙がった関西系の前衛とは目指すところも体質も違うのではないかという気がしますね。兜太の場合、割れっぱなし、軋みっぱなしではない音楽的・母性的包容性があって、それが関西から見るとぬるく見えるのでしょう。
2012-03-28 23:06:06@Seki_Etsushi @k551_jupiter 関西前衛系とは“体質”が違うというのは頷けますね。むしろ、兜太を“前衛”の括りで見ることに無理があるのかも。ついでに先刻、青木氏が言っていた兜子、亮などの「括りやすい“前衛”」の 前衛性とは何なのか、と考えてしまいましたが。
2012-03-28 23:17:51@sekinechikata @Seki_Etsushi 先日来慌ただしくて返信が遅くなってしまい、すいません。「兜太さんは本来詩人体質なのになぜか理論的であろうとしている」、仰る通りに感じます。個人的には、兜太の俳句論を読む時に踏まえるべきなのはその点だと感じていました。
2012-04-01 19:24:05@yasow910 @Seki_Etsushi すいません、年度変わりで慌ただしくなり、返信が遅くなりました。「"前衛"総当りリーグ戦で見ても、やはり兜太の評価は、それほどでもない、と?」というご質問、いくつかのレベルに分けてお答えできると思います。
2012-04-01 19:26:10@yasow910 @Seki_Etsushi 関西の兜太評価は、個人的には次のような感じです。①ごく普通の俳人の方々には人気が高い(=知名度がある) ②俳句史や技法に意識的な方(例えば竹中宏氏など)は、兜太の影響の大きさは認めるが、作品については評価しない。他前衛俳人を評価。
2012-04-01 19:28:18@yasow910 @Seki_Etsushi ③前衛俳句を振りかえる際、実作者の方は自身の体験に即して振りかえる傾向にあるため、関西在住俳人はやはり実際に接した俳人を軸に考える向きが強い。そのため、六林男や紀音夫、兜子や島津亮などを"入口"として前衛俳句を捉える傾向にある。
2012-04-01 19:30:24…という感じです。レスポンス遅くてすいません。ちなみに、僕は兜太を興味深い存在に感じています。彼は戦後俳句のその時々の潮流や変化のポイントに対し、野生の勘に近い形で、分かりやすく反応してきた俳人に感じます。そういうメルクマールになりうる存在として、俳句研究的に興味深いな、と。
2012-04-01 19:35:47特に竹中さんなどはそうかも。句作の作り込みが単純なので、否定的な気がします。 RT @Seki_Etsushi @yasow910 (…)兜太の場合、割れっぱなし、軋みっぱなしではない音楽的・母性的包容性があって、それが関西から見るとぬるく見えるのでしょう。
2012-04-01 19:42:55関根さん(@sekinechikata)が指摘した「兜太さんは本来詩人体質なのになぜか理論的であろうとしているように見える」というのは兜太の論の本質に感じるな。。だからこそ、彼の論にはその時々の時代の流行や雰囲気が色濃く、分かりやすく反映されている気がする。そこを調べたいですね。
2012-04-01 20:06:59@k551_jupiter @Seki_Etsushi この場合の“単純”というの、いわゆる“意味”が取りやすいということですかね?
2012-04-01 21:33:32おそらく、"言語に対する意識"が希薄なんだと感じます。言語=定型を自己のゲバルトと見なす認識というか、超越論的に見出される外部として見なしえない点を、"単純"と感じるのでは。 RT @yasow910 この場合の“単純”というの、いわゆる“意味”が取りやすいということですかね?
2012-04-01 21:41:54乱暴なくくり方ですが、たぶん兜太は、言語=定型がもたらす/強制してくる認識以上に、主体としての自意識が強いタイプなのでは。この点を、ある種の俳人は"単純"と取るように感じます。 RT @yasow910 この場合の“単純”というの、いわゆる“意味”が取りやすいということですかね?
2012-04-01 21:47:45@k551_jupiter 兜太が「主体性としての自意識が強い」タイプというのは当たっていると思います。ただ、俳句作品を見る限り、これは兜太に限らず、関西の前衛俳人にも当てはまる気がします。そもそも“前衛”世代そのものに、言語=定型がもたらす超越論的意識があったのかどうか…?
2012-04-01 21:59:34