日本近代文学会東海支部シンポジウム「男性はどこから来て、どこへ行くのか?-〈男性性〉の再検討」(2012/3/31、@名大)まとめ
不安定な非正規雇用の状況にある男性にとっては、が、女性と結婚し家庭を持ち子どもを持つことは必ずしも当たり前のことではない。もしそうしたければ、子どもの教育費など家族のために費用を考えれば、妻となる女性と共働きである方が収入を確保できるし、女性との話し合いや協力が不可欠となる。
2012-04-01 03:43:14従来の「男性」のように家長として家庭に君臨することは難しい。しかし、「父」になることが当たり前ではなくなった世代の男性もまた、女性と結婚し家庭を持ち子どもを持つことを選ぶなら、「男性」であることは自明ではないことを自覚しつつ、「男性」役割を一部引き受けることを選ばざるをえない。
2012-04-01 03:49:44男性が、「男性」であることが決して当たり前ではないことを自覚しつつ、「男性」としての役割を引き受けること。このことは、シンポジウムでは、日比氏が「「父」になることを、行為遂行的なものとして考える」という言い方で話していたことだと思うけれど、これはぼくも実感としてあるし→
2012-04-01 03:55:26多くの男性が実感していると思う。また非正規雇用で働きながらも、結婚や子どもを持ちたいと思いつつ迷っている現代の男性たちは、働き方と家庭や育児のバランスの問題に直面しているし、女性の方が収入が安定しているな場合に自分が主夫になる男性も多い。「イクメン」は時代を象徴している。
2012-04-01 04:01:18そこで今後男性たちはどうすべきか、どうなっていくのかということが気になるのだけど、これは今後の課題なのでしょうね……ということで、昨日のシンポジウムについての話は終わります。
2012-04-01 04:04:03@helpline ジェンダー等の深い議論は門外漢ですが、ひとつ身体の記号化の流れは見て取れる気がします。自分の身体はそのままでは認識が難しい。戦後民主化とともに新たな輪郭を固着させるためステータスとしての西洋メゾンブランドがもてはやされ(「制度と寝る服」→消費それ自体が価値)
2012-04-01 04:17:39@helpline 80sでは権威のDCに加えアンチモードの混入(「制度を侵犯する服」→ラインを崩す歪める)。大衆文化としてのファッションはじわじわと中~下流に降りて行って90sストリートでは古着や自作が表現に用いられます。街では友人知人異性間でのシェアもぼちぼち見られた模様。
2012-04-01 04:19:29@helpline で、今の子は人間関係の線上に自己像を投射しているのかな、と。スカートの長短に苦心せずとも、安価なコストでアバターを着せ替えるように身体改造できてしまう。使い捨て玩具のようなものでしょうか。あくまで鷲田流現象学、身体論の受け売りで、違う切り口もあるのでしょうが。
2012-04-01 04:21:28Togetter「日本近代文学会東海支部シンポジウム「男性はどこから来て、どこへ行くのか?-〈男性性〉の再検討」(2012/3/31、@名大)まとめ」 http://t.co/OKMwicik 支障ありましたら連絡ください。自分で削除されてもよいです。よろしくお願いします。
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