NHKスペシャル「封印された原爆報告書」2010年 まとめ

書き写しの過程で、一部数字などの間違いの恐れがあります。個人のご参考までになさってください。自分用のまとめです。
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mai @jrmmnisi

原爆報告書⑫昭和48年、アメリカが研究終わった後に、解剖標本は長崎、広島へ返還。オノダさんの甥は、たった5枚のプレート標本という姿のおばとの初対面。「これがおばさんですか。こんな形でお会いするとは…」解剖結果が将来のために役立てられることはなかった。

2012-04-23 08:29:22
mai @jrmmnisi

原爆報告書⑬報告書番号51、医師、門田可宗(よしとき)さんの記録は貴重。投下4日後に爆心地へ。8月15日体温39.5℃、8月17日歯茎、のどの痛み増す。19日には体中に出血斑。「私も原爆の被害者なのか?いや、8月6日私は広島にいなかった」「私の症状は被爆者の症状と同じではないか」

2012-04-23 08:33:55
mai @jrmmnisi

原爆報告書⑭門田さんの報告書を見て医師の斉藤さん「入市被ばくはないという考え、根底から崩れる」。この報告書65年も埋もれさせられていた。斉藤さんは門田さん訪問。門田さん「19日の皮下出血は胸のあたり。こりゃいかんと、当時非常に訝しんだ」日本語で書かれた彼の手記の英訳、本人は知らず

2012-04-23 08:39:05
mai @jrmmnisi

原爆報告書⑮門田さんが報告書を書いたのは山口の医学専門学校に戻ってから。当時ナンバーワンの研究者、都築正男に日記を書くよう勧められた。オーターソンが門田さんの手記を求めていること知った。門田さん「(被爆体験に関して)僕が残しておかないと誰が残すんだ。医学に携わるものとして・・・」

2012-04-23 08:44:02