学び一般、教養教育、学部教育などの自分メモ

よく喋ったな。
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@edouard_edouard

そして矛盾するようだが、この引用が困難極まりない。

2010-06-18 23:38:30
@edouard_edouard

ユニークな着眼点、というのは、穏当な言い方を選ぶのであれば二義的なもの。先行研究について多くの場合充分に漁りはしない学部生がそこにユニークを見るなら端的に不勉強なだけ。卒業論文で問われているのは、未知な事柄についてどのように学び、学んだことをどう引用するのか、ではないか。

2010-06-18 23:41:21
@edouard_edouard

さて、それは就職する学生には無関係な「能力」か?まったく違う。知らないことを知るためにはどうしたらよいのか、どういう検索の仕方をすればよいのか、を知ることは、自らを学びの主体とすること。ここにこそ職業的レリバンスはある。

2010-06-18 23:42:52
@edouard_edouard

@millionsage 今呟きましたが、僕としてはやはり卒業論文が多くの人に開かれている、つまり「容易」であることを強調したいと思います。

2010-06-18 23:45:07
@edouard_edouard

「あなたはいいよね、頭もいいし、勉強も好きだし」と、これをしかし議論のレベルが違う、と一蹴することもまた間違いだろう。大学生ということは本来的にまた「事実として」特権的な身分ではある。ものを考えることのできる唯一の身分だ。(!)

2010-06-18 23:50:38
@edouard_edouard

数学科でも物理学科でもないので、確かに僕はいわゆる理科系教育の実態については無知です。RT @snisikaw: これって文系にとっての良い卒論の話でしょうか?理系とはちょっと違うようだったので。

2010-06-18 23:52:49
@edouard_edouard

というのは言い訳で、理数系教育の実態についても勉強しないとな。

2010-06-18 23:53:18
@edouard_edouard

と、何故か鼻息の荒い連投をしてしまったが、素直にそういうことがどうでもいい、あるいはどうでもよくていい層というのは実際にいるし、そこではそこで学習があるわけで。授業中寝てサークルに打ち込む学生のあり方を否定する気は皆無。ただ大学の正規のカリキュラムをこなすことの意義を強調したい。

2010-06-18 23:58:09
@edouard_edouard

ぶっちゃけて言うと僕は卒論のすげー頭良さそうな奴より、放課後ひとりで山登りに行くような奴やら映画とっちゃうような奴の方が好きなのだ。と、勿論違う話だが。

2010-06-18 23:59:28
@edouard_edouard

@snisikaw ご教授ありがとうございます。「引用」のくだりについては、先行研究の扱い、というひろい意味にとっていただければ嬉しいです。お聞きしたいのですが、理系の卒論の際、その実験、計算の「独創性」は重要でしょうか?

2010-06-19 00:10:03
@edouard_edouard

ええ、ご発言の主旨には同意します。また先程の言い方があるいは安易であったことも認めます。(続)RT @kojisasaki: 高校生も会社員も主婦もハケンもオタクも滞日外国人も物理学者も音楽家も政治家も官僚もみな自分が唯一真実を理解出来る特権的身分だと思っているぞ。

2010-06-19 00:17:13
@edouard_edouard

ただ、省略なさった前半との関連において大学生、とりわけ専攻による学習内容の限定度の低い学部生について、学生の noblesse oblige があるといったことを含意させたつもりでした。@kojisasaki

2010-06-19 00:19:18
@edouard_edouard

@snisikaw はい、私の理数系の卒論についての認識もそれに合致するものです。私の発言の流れを追って頂ければあるいはご理解いただけるかと思うのですが、「コンテンツではない」という言葉で「独創性ではない」ということを示したつもりでした。

2010-06-19 00:21:54
@edouard_edouard

さて、大学生はどのような意味で特権的か。大学図書館および大学が契約しているDBへのアクセスが保障されている点、票員との交流が保障されている点、生活のほとんどを学習に費やせる点。学部生は更に、特定の分野に知的関心を集中させる必要から院生と比較して相対的に自由である点。

2010-06-19 00:24:31
@edouard_edouard

これだけ取り出せばトンデモ発言だが「社会人にも院生にも有閑人にも学びは不可能にかぎりなく近く困難」と。「学び」を「読書」としてもいいだろう。それを先程は「ものを考える」とした。誤読されるとしてそれは端的に僕の責任、か、うむ。

2010-06-19 00:27:25
@edouard_edouard

自分でもなんでこんな過ぎた生意気言うのか理解できない、が、「生意気」かどうかは発言主への属人的関心によって決まること。

2010-06-19 00:28:31
@edouard_edouard

しかし「〜のつもりでした」というのは言い訳でしかないな。それにそういう時「僕は本当はこう思ってたんだよ」という思いが働いている。発言の中の人の「本当の意図」なんて、私的な交友関係においてしか何ら意味を持たない。その意味、というのもなんというか、機能みたいなもので実体はない。

2010-06-19 00:30:14
@edouard_edouard

「誰の発言か」ということは、その相手に対する肯定的な感情がない場合には端的に無意味。「中の人」への関心から自由であれば、自分の過去の発言にさえ、学ぶことができる。自給自足だw

2010-06-19 00:38:07
@edouard_edouard

ではそのように特権的に学びの環境と条件とに恵まれた学部生には、それに見合うある種の責任が伴うだろう。知らないとは怠惰を意味し、そしてその点について原理的に非難を受けつづけなければいけない。

2010-06-19 00:43:15
@edouard_edouard

学びの主体として自らを確立するとは、(先程の特権的な意味において)「どこにいても「学部生」であること」の謂です。学士課程が目指すものはそこにあると思います。従って特権的な時代は終わってはならない。終わらせてはならない。

2010-06-19 00:49:31
@edouard_edouard

お前は馬鹿だと言ってもらえることも特権のひとつだろう。

2010-06-19 00:50:10
@edouard_edouard

@ConGrazie ある種の友情をもって、それはダウト。そして「ユダヤ人」の歴史と思いを図らず無視した発言になってしまっている。「ユダヤ人が何故傑出した才能を生み出してきたか?彼らの根本にはトーラーがあったからだ。それが利他行為を超えた世界への働きかけを可能にした。」

2010-06-19 00:57:40
@edouard_edouard

お前の話は「マッチョな主体によるマッチョ礼賛」だろ、と、これはまあ強者の意味だが、それはひがみやっかみだよ、とは僕は言わない。(が、それも属人的な中の人への興味であってそれは学びを可能にしない。)これは結構難しい、というかまだよくわからない。

2010-06-19 01:00:15
@edouard_edouard

@ConGrazie 「ユダヤ人」という名に「特殊さ」「劣等生/優等生」といった「特徴」を集合的に付与されたことの先に何が起こったか。母がユダヤ人であれば子が自動的にユダヤ人であることを鑑みれば、世俗的ユダヤ人を無視した議論になっている。cont.

2010-06-19 01:04:26
@edouard_edouard

@ConGrazie もちろんご発言の意図や、また宮台氏の発言の文脈も読めないわけではありません。そのような仕方で説明することの意味はあります。が、しかし、誰かがそれは乱暴じゃないと言わなければならず、それはここでは僕だった。ということかな、と。

2010-06-19 01:05:49