しかし実際ハ号がM2で撃破されたって話はあんまり聞かんな。八九式中戦車が100発以上の機銃弾(弾は何か忘れた)で穴だらけにされた写真なら見たことあるんだが。ちなみに乗員は乗ってた車長以下全員死亡だったはず。
2012-05-13 13:19:46ああ、ようやく見つけた。西住小次郎大尉の登場してた八九式中戦車だね。約1300以上の弾痕が戦車に残されてる。けど戦車長は足を狙撃されて死亡したけど部下は生きてたんだね。さっきは嘘ついた。 http://t.co/wx5P3DE5
2012-05-13 14:00:23詳しい調査書が見つからないから分からないけど、かなり深く弾痕が付いてるものも多いな。これを見る限りでは貫徹してるものもありそうな気はするけど、あくまで気がするだけだから言及は避けよう。
2012-05-13 14:02:21八九式中戦車の前面装甲については車体が17mm、砲塔が全体に渡って17mm。前面装甲としてはちょっと薄いな。
2012-05-13 14:04:35対して7.92mm弾のAP弾で100mを13mmか……まず抜けないはずだな。でも結構ギリギリか。
2012-05-13 14:09:19うーん、流石にちょっとコレは分からんぞ…?でもまあ大戦前だから……いや、でも後の委員会の発表でニセコ鋼の対弾性の問題を上げられてたし……
2012-05-13 14:11:05中国戦線においてこちら側の戦車の装甲が小銃徹甲弾の対弾性について疑問視されてる報告は多いし、前線での手記には「苦労させられた」、よく聞く話に「小銃徹甲弾でスポスポ抜けた」って話は多いんだけど、実際に抜けた車両についての話とか数値データとかは見た記憶が無い。
2012-05-13 14:18:48抜けた車両、その部位、状況や相手の弾丸の種類とか貫徹力とかそこら辺のデータが足りないなぁ。結論を出すには早計すぎる。
2012-05-13 14:19:54西住小次郎大尉が搭乗した弾痕がつきまくった八九式中戦車を出して「ほら抜けてる!」って言うのは簡単なんだけど、仮に抜けててもこれどの距離でどういうふうに撃たれたか分からないしなぁ……
2012-05-13 14:22:31これが300とか400ぐらいの距離で抜けてれば大問題なんだけど、距離20~30で抜けたという可能性もあるわけで。まあ小銃弾については抜ける事自体が問題なんだけど、だからって「旧軍戦車のみが特段弱い」って証拠にはならないのよね。
2012-05-13 14:26:17@Nyarlathotep_44 その距離もちと面倒だぬ。射距離が短い∝存速が早い=貫通力増と思いこみがちなんだけども、実際は早すぎる着速は弾丸の破砕を招き、早すぎる着弾は弾丸姿勢の不良に伴う弾丸の破砕を招きます。つまり、発射(cont) http://t.co/kqNR2J2k
2012-05-13 14:56:00@marman_band ふむ、となると数値的な最大貫徹力は近距離よりも中距離で発揮されるって考えの方がいいんですかね?
2012-05-13 14:57:42@Nyarlathotep_44 本来ならば。ただし、薄板相手(弾径/装甲厚比が0.7以上@論文値だと特に)の場合は、栓抜き現象(plugging)が発生しやすくなるので、まためどくなるけどね。
2012-05-13 15:03:22@marman_band なるほど、例えばチハ正面装甲25mmと37mm砲ではそれを考えに含めておく必要性がありそうですね。でも今回は八九式中戦車と7.92mm弾の弾径/装甲厚比は0.2以下なので、特に考慮に入れる必要はなさそうです。
2012-05-13 15:07:38日本軍の訓練用軽機だそうな。実弾は発泡できず空砲のみ。こんなものがあるんですねー。見習いウィッチとかが使ってる?(笑) http://t.co/XfGqj2oL
2012-05-14 10:36:06@Col_AYABE その訓練用軽機は戦争末期に制定されたもので、九九式軽機の操作訓練用として一般や学校、青年団で使用していたものです。一般人用の訓練に実銃は数が足りないって事で作ってたようですね。
2012-05-14 10:52:54日本軍の訓練用軽機はそういう目的があったんですか!→ RT @Nyarlathotep_44: その訓練用軽機は戦争末期に制定されたもので、九九式軽機の操作訓練用として一般や学校、青年団で使用していたものです。一般人用の訓練に実銃は数が足りないって事で作ってたようですね。
2012-05-14 17:52:09@rwalker13 試作のみなので、実際の評価はよくわからないんですが、wikiを見る限り威力不足や命中率の低さなどの理由で採用見送りになったようですね
2012-05-14 17:53:43@Col_AYABE 訓練用軽機については多数の会社が制作していたようですが、その中でも今回上げられた「金山式」は訓練教材製作所の中では最大手であったようですね。作動方式はシンプルなブローバック式で、三八式空砲を使ってフルオート射撃(勿論空砲だが)できたと聞いています。
2012-05-14 18:13:08@Nyarlathotep_44 情報ありがとうございます。訓練用だけに機関銃を作っているというのは驚きでしたよ。まぁ、当時はバトラーシステムなんて無い時代だし、必要だったんでしょうね
2012-05-14 18:26:06@Col_AYABE @Nyarlathotep_44 色々な所が教育用として作ってたはずですねってのはにゃるさんが既に言ってますが、軍事教練辺りが本格化しだした頃には市場があったとか聞いた事があります。
2012-05-14 18:27:46@JDSDE214 @Col_AYABE 確か1920年頃から教育機関で各種訓練用機材が導入され始めて、最盛期には大小合わせて20社ほどが訓練用小火器を作っていたらしいです。ただ、これらの製作所は戦争末期には殆ど金山式軽機などの一部を除いた実兵器を作らされていたのが実情のようです
2012-05-14 18:31:40@Col_AYABE いえ、これくらいのことでわざわざありがとうございます。まあ軍国教育において子供や一般人に、訓練とは言え数が多いわけでもない実銃を持たせるわけにも行かなかったんでしょう。
2012-05-14 18:34:09