沙耶の唄のテーマは「人は見た目が9割」であり、それに付け加えるなら、たがいにそれぞれの種族の実装から外れてしまった郁紀と沙耶の実存が世界に疎外されるさまにこそ注意を向けるべきであって、純愛はそうした下部構造に支えられた仮構でしかない。本質的にはティプトリー的な話だ。
2010-06-21 09:09:50ああいう純愛に対する身も蓋もないニヒリズム(愛とは実装に基づいた暫定的な関係性の問題であるゆえに、純粋な愛とは存在しえない)を書いてしまうと、そりゃ「続・殺戮のジャンゴ」みたいなあけすけに欲望を喚起するような話も書きたくなるというものであろう、などと勘ぐってみるテスト。
2010-06-21 09:14:14鬼哭街辺りも妹偏愛の話かと思いきや最後は己を成り立たせるのが愛でなく身についた殺しの技であるという辺りのニヒリズム、全体構造としての「勘違いしている男が自分の欲望を怪物的なまでにしっかりと把握している女にしてやられる」というありかたで、まあ、純愛とは程遠い。
2010-06-21 09:17:25沙耶の唄を絶望する作品とする海燕さんは分かってないし、そこまで純愛ではないと思うにゃー。沙耶の唄をちまちまやり直してたときに、本当に純愛だったら『醜悪に見えるけど、自分に好意を寄せている少女を愛する」と思うね。あれは「人の見た目が全てじゃない」といいつつ、人の見た目にこだわり続け
2010-06-21 10:02:09俺は『沙耶の唄』を絶望の作品とは思わないし、狂気の作品とも考えない。沙耶の正体は絶望的ではない。主人公がモノローグでサラリと流している通り、それはあくまでひとつの要素に過ぎず、その本質はもっと美しく、そして醜悪だろうな [磁気汚染者]
2010-06-21 10:05:27あれの根底には、『見た目が全て』という萌えゲーの発想があって、そこに対するカウンターだろう。その上で、「途中で視点が親友に切り替わる」と言うところに意味がある。沙耶を選ぶか世界を選ぶか、というより、ナルシズムの世界に浸るかそれとも否か、じゃねぇかなぁ [磁気汚染者]
2010-06-21 10:07:48だから俺は沙耶の唄のトゥルーエンドは病院エンドだと思うんだよね。開花エンドも井戸魔神も素敵だけど、あれは沙耶しか見えなくなった(ここで大事なのは、そこに愛があるからではなく、「沙耶しか正常に認識できないから愛する」という短絡的な思考への逃げ) [磁気汚染者]
2010-06-21 10:09:46@tomato360 それが正しいんだと思います。主人公は正真正銘のクズでSAN値ガンガンに下げて、醜悪な化物しか見えないからすがりついてる奴まじキメェ、的な思考が正しいw [磁気汚染者]
2010-06-21 10:10:20主人公が、唯一他者を理解した上で、沙耶を選ぶルートなので。逆に言えば、沙耶の唄の『純愛』ってのは萌えゲーの純愛観と大して変わらんと言うことでもある。「無数の選択肢がある中で、俺はこの子を選ぶぜ!」ではなく、「この子しかいないからこの子が好きです」ってのは最悪の解答だろう
2010-06-21 10:11:54@tomato360 ちょこっと主人公の思考について考えながらやってみると、主人公のクズさが理解できて親友に惚れるゲーになりますよ [磁気汚染者]
2010-06-21 10:13:43「何が正常で、何が異常なのだろうか?」 沙耶の唄の根底にそれは確かにあるんだけど、その上で「それは本当に愛なのか?」と言う問題が発生している。俺は沙耶を選んだ時の主人公は完全に思考停止に陥っていると思ってる。「愛じゃなくて、逃げ」なんだよな、あれ [磁気汚染者]
2010-06-21 10:23:53あれは割と構造的な欠陥を抱えてるんだよなぁ……。ナルシズムの極地というか、「ヒロインと主人公だけの世界」に主人公自身が望んで飛び込む辺りとか。BLゲーとしては、最後の最後で主人公の見ていた世界が理解できる親友と主人公のカップリングが鉄板か……? [磁気汚染者]
2010-06-21 10:25:46RTされた一連の見解についての感想。「皮肉」と見るその見解は、「純愛」と「友情」が比較可能な場合にのみ言えるんじゃないの? それに、外見へのアフェクションによって発生する愛情が「純愛」であるかどうかの問題も、無反省に「屑」と言って切り捨てられるものではない。二次元においては尚更。
2010-06-21 13:02:19(つづき:)二つの異なる問題を(意図的に?)混同することによって、そのどちらの問題に対しても皮肉であるような単一の答え(解釈)があるかのように自説提示しているけど、その答えは混同と錯覚に依存していないか? 現実ベースの常識的人物評としてみれば彼が「屑」であることは首肯するけど。
2010-06-21 13:05:19綿毛の種は風に運ばれて、故郷から遠く遠く離れて、もしかしたら草木なんか一本も生えてない砂漠に落ちちゃうかもしれない。そんなとき、たった一粒のその種が何を思うか……それを想像してくれれば、解ってもらえるかも知れない。わたしのこと
2010-06-18 20:05:15沙耶の唄については、内田師『先生はえらい』に基き、恋愛ってもともとそういうもんでしょ、という見解を述べさせていただく。http://d.hatena.ne.jp/imaki/20060510#p3の引用部分を参照。
2010-06-21 13:31:31『沙耶の唄』を純愛と称す人は多いんだけど、要はたいていの受け手は「設定」にはあまり注意を払わないというか、作品世界内の論理などおおむね無視して見たいものを見るもんだし、それこそが「普通の読み方」だと思っているだろう。誰もSFなんて読みたがらない。
2010-06-21 13:57:47たぶんあれを「純愛」とかゆってるひとは、http://togetter.com/li/30734を読んでも、「いや、おれ『沙耶の唄』にSFとか思想とか求めてないし。なんでわざわざややこしい読み方するの?」という、どうしようもなくディスコミュニケーションな答を返すんじゃないかな。
2010-06-21 14:00:54というようなことを石原千秋『漱石の三人の読者』を読みつつ考えなどした。読者を理解度によって三段階に分け、それぞれの層に訴求できるような作品を漱石は書いていた(と考えると面白い)、という本なのですが。
2010-06-21 14:03:49俺が沙耶を愛するためにこそ、神は俺の認識を常人とは異なるものにしてくださったのだ、さもなくば愚かな人の子たる私は彼女を愛することを得まい、といった風に考えれば。正しく運命の愛ではある。この偶然の事故を与えてくれたことを神に感謝などしつつ。たぶん邪神だけど。
2010-06-21 14:17:51