「自分より得・楽している人がいるのは許せない」気分と「国のお世話になっている自分」を責める生活保護受給者の自殺率は平均の2倍であること

雨宮処凛@karin_amamiya氏がブログ記事「芸能人家族の生活保護問題に思う。」http://www.magazine9.jp/karin/120530/と、 「『誰かが自分より得・楽してるっぽい』問題」http://www.magazine9.jp/karin/101020/ で、「生活保護バッシングの背景に見えるのは、「自分より得・楽している人がいるのは許せない」という気分」を指摘し、「生活保護受給者の自殺率は、それ以外の人たちの自殺率よりずっと高い。多くの人は「働けない自分」「国のお世話になっている自分」を責めている。自分を責め続けている人には、たった一言の心ない言葉が死への引き金になってしまう可能性が充分にある」と。 更に、山口二郎『ポピュリズムへの反撃』を引用して: 「「冷静に見れば、グローバル資本主義の下で『われわれと奴ら』という線を引くとすれば、やはり普通に働く人は公務員であれ、民間であれ、正規であれ、非正規であれ、みんなが『われわれ』であって、日本経団連や多国籍企業の幹部が『奴ら』であるはずです」 続きを読む
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ひじじきき @hijijikiki

「なぜいわれ無き生活保護バッシングを受けるのか?の考察」.@sraiman02 さんの「生活保護受給者はどこまで社会的弱者でならなければいけないのか。肩身狭く生きなければならいのか」をお気に入りにしました。 http://t.co/EslW7cCE

2012-05-30 23:00:15
ひじじきき @hijijikiki

「生活保護を受けている人の自殺率が2010年は10万人あたり55.7人だったことが分かった。全国平均(24.9人)の倍以上と高い水準で、厚生労働省は自殺の主な原因であるうつ病患者への支援強化」生活保護受給者の自殺率、全国平均の倍 厚労省報告http://t.co/ASLBkY2e

2012-05-31 01:43:25
tu-ta @duruta

原さんの読売記事やSPAのhttp://t.co/3LyHCOT0もどう RT @ShinyaTateiwa: 2012/05/28「生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明」に「生活保護」http://t.co/JDKNkRLd からリンク・・・拡散希望

2012-05-30 02:18:01
ひじじきき @hijijikiki

「レアケースである高額所得タレントの道義的問題を「常識」という曖昧な定義で一括りにして問題をすり替え、生活保護制度全般や利用者全般に問題があるかのように報道される点に違和感」【日刊SPA!】生活苦なのに…親族の生活保護扶養照会が来た http://t.co/7tNQg6Uv

2012-05-30 13:19:20
ばく @kapibaku

生活保護受給者はどこまで社会的弱者でならなければいけないのか。肩身狭く生きなければならいのか http://t.co/WaVAcQuH なぜ日本ではこれほど「生活保護者は生活保護者らしく、うつ病者はうつ病者らしく、社会的弱者は社会的弱者らしく」という規範意識が強いのだろうか。

2012-05-31 00:06:48
satoopen @satoopen

属性ではなく「私」として存在することが許されず、そうできる少数の人が嫉妬や攻撃の対象に…。 RT @kapibaku (略)なぜ日本ではこれほど「生活保護者は生活保護者らしく、うつ病者はうつ病者らしく、社会的弱者は社会的弱者らしく」という規範意識が強いのだろうか。

2012-05-31 10:30:26
satoopen @satoopen

「財政再建において“弱者から削られる”ことは圧倒的におかしいということ。(略)よく“原発止まると弱者が死ぬ”と言われる。でも、そもそも弱者が死なない社会の仕組みを作ることを看過してることが一番の問題」|意見広告プロジェクトの主催者を直撃 http://t.co/0DjJRmMb

2012-05-31 09:04:38
稲葉剛 @inabatsuyoshi

「貧困は自己責任ではない」ことが誰の目にも明らかになり、個人に責任転嫁する論調は消え去りつつある。「ならば家族で支え合いなさい」というのは自己責任論者が出してきた次のカードではないか。いわば「三丁目の夕日」型自己責任論。

2012-05-31 08:05:20
Togetter(トゥギャッター) @togetter_jp

.@hijijikikiさんの「生活保護給付問題:「河本準一氏叩き」と給付抑制策による札幌姉妹「孤立死」などの「餓死」「..」が伸びてるみたいだよ。内容が気になるね! http://t.co/D3waqPyk

2012-05-31 13:32:03
東京北部ユニオン @swu_kawa

年間自殺者3万人の社会構造を問わず給付を問題にするとは!@togetter_jp @hijijikikiさんの「生活保護給付問題:「河本準一氏叩き」と給付抑制策による札幌姉妹「孤立死」などの「餓死」が伸びてるみたいだよ。内容が気になるね! http://t.co/Lc2xwj8B

2012-05-31 13:39:46
ひじじきき @hijijikiki

同感です。生活保護受け易くすることが自殺の予防に!@swu_kawa年間自殺者3万人の社会構造を問わず給付を問題にするとは!@hijijikikiの「生活保護給付問題:「河本準一氏叩き」と給付抑制策による札幌姉妹「孤立死」などの「餓死」‥http://t.co/hTTJFtpe

2012-05-31 14:55:01

『「マガジン9」雨宮処凛がゆく!』から引用:

芸能人家族の生活保護問題に思う。

http://www.magazine9.jp/karin/120530

 芸能人の母親の生活保護問題がメディアを騒がしていることは皆さんもご存知の通りだ。

 まさに先週、「生活保護を受けられなくての死」の現場を取材してきただけに、この騒動が何をもたらし、結果的に何を残すかを考えると、暗澹たる気分に包まれる。

 発端は、週刊誌報道。そこに自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」(座長・世耕弘成氏)の片山さつき議員が「不正受給の疑いがある」と厚生労働省に調査を求め、騒動は大きくなる。そうして小宮山厚生労働大臣は25日、「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務」を課すなどの生活保護改正を検討する考えを示す。この問題は「一芸能人のスキャンダル」的なものから「生活保護」全般を巡る政治的な問題に発展してしまった。

 そうして「生活保護」に関するバッシングが続いている。

 もう、このことに関しては何度も何度も何度も書いてきたので、過去の文章「205万人の命」などをお読み頂ければと思う。

 この原稿には、過去に生活保護を受けていたAさんという女性が登場する。彼女の「自殺を一度も考えずに生活保護申請をした人は一人もいないのではないか」という言葉が、ずっと胸の中に残っている。

 自殺。ここ数年貧困問題にかかわってきて、あまりにも多く耳にしてきた言葉だ。

 だからこそ、私は姉妹「孤立死」事件の調査で訪れた札幌での記者会見でも、「自殺」について触れた。申請に同行したり、相談を受けたりする中で、当事者の人から「自殺」「死」という言葉を聞かなかったことは一度もないからだ。人は仕事を失い、生きるためのお金を失い、場合によっては住む場所を失い、頼れる人間関係を失った時、同時に「生きる意欲」も失っていく。そんな時、「最後のセーフティネット」として生活保護という制度があることを伝えると、人によっては「自分なんか死んだ方がいい」と口にし、またある人は「本当に申し訳ない」と言いながら、「もう自殺するしかないと思っていた」と告白する。

 貧困問題にかかわる人の多くは、少なくない「死」を間のあたりにしている。路上で凍死してしまった人の遺体の第一発見者になったり、自殺死体の発見者になったり。09年末から10年お正月まで開催された「公設派遣村」でも死者が出た。50代の男性が亡くなったのだ。公設派遣村を何度か訪れ、顔見知りの入所者もできていた私にとって、「あの中から死者が・・・」という現実は、あまりにもやれきれないものだった。

 貧困問題にかかわる前にはメンヘル問題を取材していたことから、「死」は決して遠いものではなかった。何人もの友人・知人の葬儀に参列した。「生きづらさ」をこれ以上ないほどこじらせて自ら命を絶った人の中には、かなりの生活困窮が背景にあった人もいた。経済面での不安がもう少し解消されていれば違う結果になったのでは、という思いは今も強い。しかし、生活保護にはいつもバッシングがつきまとう。そしてそのことが、時に本人を追いつめていく。あまり知られていないことだが、生活保護受給者の自殺率は、それ以外の人たちの自殺率よりずっと高い。多くの人は「働けない自分」「国のお世話になっている自分」を責めている。自分を責め続けている人には、たった一言の心ない言葉が死への引き金になってしまう可能性が充分にある。

 今回、小宮山大臣は「扶養が困難ならその証明を義務づける」という考えを示した。このことで蘇ったのは、25年前の餓死事件だ。前回の原稿で姉妹餓死事件に触れたわけだが、姉妹が亡くなった白石区では25年前にも3人の子どもを持つ39歳シングルマザーが餓死する事件が起きている。この時、白石区役所は「離婚した前の夫の扶養の意思の有無を書面にしてもらえ」と女性に告げた。まさに「扶養できないならそれを証明しろ」と言っているわけだ。しかし、別れた夫にそんな書面を提出してもらうことは簡単なことだろうか? 別れた夫に限らず、複雑な家族関係を抱える人は多い。結果、シングルマザーの困窮は放置され、餓死してしまった。「証明」を義務づけることは、このような事態が再び引き起こされる可能性を充分すぎるほど孕んでいる。

 最後に。現在の生活保護バッシングの背景に見えるのは、「自分より得・楽している人がいるのは許せない」という気分だ。このことについては「『誰かが自分より得・楽してるっぽい』問題」 として過去に書いたので、こちらも参照してほしい。

 また、今回、自民党の「生活保護に関するプロジェクトチーム」が大きな注目を集めたわけだが、私自身は「こいつらが得・楽してるからdisれ!」というかけ声をかける人の言うことは絶対に信じないようにしている。特定の層を攻撃し、多くの人にガス抜きのネタを与え、「よくやってくれた」「スッキリした」という人を増やし、自らの存在感をアピールして得をするのは誰なのか。それを支持した人の中からは、のちのち自らが困窮状態に置かれた時に「自分で自分の首を締める」ような結果になったと後悔する人が現れるのではないか。そして「disれ」とかけ声をかける人は、どんな政治的策略にもとづいてそういったことをしているのか。

 私自身も、現在の生活保護制度がそのままでいいと思っているわけでは決してない。特に「出口」に向けての制度があまりにも貧弱だと思っている。しかし、バッシングは大抵の場合「ガス抜き」で終わってしまう。これをきっかけに、建設的な議論に発展していくことを願ってやまない。

 


『「マガジン9」雨宮処凛がゆく!』から引用:

「誰かが自分より得・楽してるっぽい」問題

http://www.magazine9.jp/karin/101020/

 山口二郎氏の『ポピュリズムへの反撃 現代民主主義復活の条件』を読んだ。

 きっかけは、先週シンポジウムで訪れた名古屋で、忘れがたい体験をしたからである。

 シンポジウムのテーマは主に介護や高齢者の貧困など。司会は田原総一朗氏で、民主党議員なども参加した。私自身は、「若者よりお金があっていい思いをしている高齢者」的なイメージがある一方で、日本でもっとも貧困率が高いのは60歳以上で20~22%であること(全世代の貧困率は15.7%)や、日本でもっとも多いのは「一人世帯」で、その中には単身高齢者も多いこと(05年の国勢調査より。一人世帯は29.5%を占める)、「夫婦と子どもがいる世帯」(人数問わず)は29.9%だが、今回の国勢調査で一人世帯と数字が逆転するのではないかと言われていること、だからこそ「家族」を前提とした社会保障の制度設計に限界があるのでは、などという話をさせて頂いた。

 このシンポジウム、客席からの発言も歓迎という自由度の高いもので高校生などが発言してくれたのだが、途中で介護で働く若い男性も発言してくれた。やはり「低賃金」で、もし結婚しても子どもが生まれて相手が働けなくなったら経済的に不安という話になり、この意見を受けて壇上では「介護職の年収を400万円くらいにしては」という話題になったのだが、それに「反対です」という意見が客席から上がった。

 反対意見の人は、80代の兄が介護施設に入っていたという女性。彼女が反対する理由は、要約すると「自分の兄が入っていた施設の職員は月に15日くらい休みがあり、その休みに海外旅行などに行っていたから」というものだった。この意見に対しては「介護の仕事でそんなに休みがある会社など聞いたことがない」という反応があちこちから出たのだが、私が驚いたのは、「月に半分くらいしか働かないで海外旅行行ってるのに年収400万? ムキーッ!」というような反応から「反対」と発言していることだった。

 私は介護の仕事についてまったく詳しくない。しかし、「15日勤務」だとしても、夜勤などがあるのかもしれず、月の労働時間にしてみるとかなりの時間になるかもしれない。また、介護の仕事に就く人が休日に海外旅行をしようが路上で酒を飲もうが自宅で裸踊りをしようがその人の自由である。誰かにとやかく言われる筋合いはない。ちなみに、私だったら自分や自分の大切な人が介護を受ける場合、余裕を持った働き方で年収もそこそこいいという人の方が安心できる。ものすごい長時間労働に忙殺される医療の現場で命にかかわる医療ミスが起きていることを私たちは知っているからだ。しかし、世の中には「楽をしてるっぽい誰か」が許せない人が確実に存在する。

 もうひとつ、驚いたのは河村たかし市長の応援をしている、というオジサンの発言。何かとても熱心に応援しているようなのだが、河村市長の「市議会の議員報酬カット」を強く支持している模様で、「イチローがたくさん貰ってることには腹は立たないけど、議員が2000万貰ってるってことに腹が立つんですよ!」とアジテーション。また、生活保護を受けている人に批判めいた発言をしたり、「若者の貧困には同情するけど老人の貧困は自己責任」的なことを言って会場から非難されると慌てて取り消したりと、とにかく印象深い発言のオンパレードなのだった。

 それらのことが非常に心に残り、こういったどこか条件反射のような「“得・楽をしている誰か”が許せない問題」について考えたいと思い、『ポピュリズムへの反撃』を読んだのだが、そこにはこの手の「条件反射」が鮮やかに分析されていて非常にいろいろ腑に落ちたのだった。

 ちなみにこの本の帯には「ポピュリズム=大衆のエネルギーを動員しながら一定の政治的目標を実現する手法」と書かれている。ネガティブな意味で使われることの多いこのポピュリズムという言葉を聞くと真っ先に思いだすのが小泉純一郎だが、本書でも「私たちが自滅的な『改革』を受け入れた理由」として、多くのページが小泉構造改革に割かれている。「単純化」や「二項対立」というレトリック、きちんとした定義をほとんどの人が知らない「構造改革」という曖昧な言葉。どこかで甘い汁を吸う「奴ら」と「われわれ」という対立。本書から引用しよう。

 「つまり、ポピュリズムというのは、『われわれと奴ら』という単一の軸を設定していて、奴らに対する反発心というものを政治的なエネルギーにしていくのです」

 「冷静に見れば、グローバル資本主義の下で『われわれと奴ら』という線を引くとすれば、やはり普通に働く人は公務員であれ、民間であれ、正規であれ、非正規であれ、みんなが『われわれ』であって、日本経団連や多国籍企業の幹部が『奴ら』であるはずです」

 しかし、現実はそうはならない。「奴ら」として浮上するのは農協や医師会、労働組合など。「むしろ本来利害を共有する人々の間に分断線を引き、人々のエネルギーを分散させ」る。また「ポピュリズムの政治家は、官と民、高齢者と若年層の間に楔を打ち込み、対立を煽」る。それだけではない。「ポピュリストは大衆の不満の上に勢力を広げ」る。「人々の不審と不安を煽ることこそポピュリズムの王道」だからだ。

 本書には、阿久根市長についても触れられている。なぜあのような人物が市長になれたのかを説明する著者の友人は、シャッター街となり、水産業も観光も振るわない阿久根市の惨状に触れ、「“市民からすれば”高給取り”で安定した市職員に、市民の不満が向かったものだと思います」と書いている。

 ここ数年、公務員バッシングが続いているが、本書にもあるように「人口に対する公務員の割合、GDPに対する公務員人件費の割合、どちらをとっても日本の場合先進国の中では最低基準」である。本書を読んで、「DAYS JAPAN」(2010.9)で斎藤美奈子さんが書いていた原稿を思い出した。大阪で2人の子どもが置き去りにされて亡くなった事件について触れているのだが、行政の責任を問う声に対して、児童相談所の絶望的な人手不足について書いているのだ。そうして最後にこう結ばれている。引用しよう。
――――――――――――――――――――――――――――
 この件から間接的にいえるのは、十分な住民サービスを提供できるだけの体制が日本では整っていないという事実である。もっといえば、公務員の数が足りていない。
 私が疑問に思うのは、にもかかわらず公務員の削減や給与カットを支持し、『小さな政府』を標榜する『みんなの党』などに投票する人がいることだ。『行政はいったい何をやっているんじゃ!』と怒るなら、公務員の数を増やして福祉に潤沢な予算を回せ、という主張が出てきたっていいんじゃないの?
 行政の怠慢をなじりつつ『小さな政府』を支持する矛盾。公務員を非難してウップン晴らしをするような風潮がこのまま続けば現場の士気はますます下がるだろう。本末転倒、悪循環というしかない。
(児童虐待と『消えた高齢者』の背後に隠れているのは何?)
――――――――――――――――――――――――――――

 児童相談所だけでなく、ハローワークや福祉事務所も慢性的な人手不足に悩まされている。

 「自分より得・楽しているっぽい誰か」を見ると、条件反射的にイラッとくる気持ちはわかる。しかし、キツい言い方をすれば少なくない人の「条件反射」や「気分」がある意味でこの国の政治をグダグダにしてきた面も否定できない。ということで、私は自分に「条件反射」的反応を禁じている。とにかく、一度冷静になるように常につとめてはいるつもりだ。

 


「生活保護問題対策全国会議のブログ」から引用:

扶養義務と生活保護制度の関係の正しい理解と冷静な議論のために

http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-36.html
2012(平成24)年5月30日

第1 はじめに
 人気お笑いタレントの母親の生活保護受給を週刊誌が報じたことを契機に,生活保護制度と制度利用者全体に
対する大バッシングが起こっている。
そこでは,扶養義務者による扶養が生活保護適用の前提条件であり,タレントの母親が生活保護を受けていた
ことが不正受給であるかのような論評が見られるが,現行生活保護法上,扶養は保護の要件ではない。
息子であるタレントの対応に対する道義的評価については価値観が分かれるところかもしれないが,
本件が不正受給の問題でないことは明かである。
 また,扶養が保護の要件となっていない現行法を非難する主張に応えて,小宮山厚生労働大臣が,
「親族側に扶養が困難な理由を証明する義務を課す」という事実上扶養を生活保護利用の要件とする法改正を
検討する考えを示す事態にまで発展している。
しかし,生活保護利用者の息子が人気タレントとなって多額の収入を得るに至るという,極めて例外的な
事例を根拠に,現在改正の在り方を関係審議会に諮問中の厚生労働大臣が,法改正にまで言及すること自体,
軽率のそしりを免れない。そもそも,扶養が保護の要件とされていないのには理由があるのであり,
これは先進諸外国にも共通しているところである。扶養を保護の要件とすることは,救貧法時代の前近代社会に
回帰する大「改正」であり,ただでさえ「スティグマ(恥の烙印)」が強くて利用しにくい生活保護制度を
ほとんど利用できないものとし,餓死・孤立死・自殺の増加を招くことが必至である。
 まずは,民法上の扶養義務の範囲と程度はどのようになっているのか,現行生活保護制度における
扶養義務の取扱いはどのようになっているのか,先進諸外国の制度はどうなのかについて,正確な理解を
した上で,報道や議論をしていただきたく,本書面を発表する次第である。

第2 民法上の扶養義務者の範囲と程度について
1 民法上の扶養義務者の範囲
~三親等内の親族が扶養義務を負うのは極めて例外的な場合である。

 扶養義務の根拠条文である民法752条には「夫婦は同居し,互いに協 力し扶助しなければならない。」,
同法877条1項には,「直系血族及び兄弟姉妹は,互いに扶養をする義務がある。」,同条2項には
「家庭裁判所は,特別の事情があるときは,前項に規定する場合の外,三親等内の親族間においても扶養の
義務を負わせることができる。」と定められている。
 同法877条1項に定められた直系血族と兄弟姉妹が絶対的扶養義務者と呼ばれているのに対し,
同条2項に定められた三親等内の親族は相対的扶養義務者と呼ばれ,家庭裁判所が「特別の事情」があると
認めた例外的な場合だけ扶養義務を負うものとされている。
 判例上も,三親等内の親族に扶養義務を認めるのは,それを相当とされる程度の経済的対価を得ている場合,
高度の道義的恩恵を得ている場合,同居者である場合等に,できる限り限定して解されている
(新版注釈民法(25)771頁)。

2 求められる扶養の程度
~強い扶養義務を負うのは,夫婦と未成熟の子に対する親だけである。
~兄弟姉妹や成人した子の老親に対する扶養義務は,「義務者がその者の社会的地位にふさわしい生活を
 成り立たせたうえでなお余裕があれば援助する義務」にとどまる。
~具体的な扶養の方法程度は,まずは当事者の協議で決める。
~協議が調わないときは家庭裁判所が決めるが,個別ケースに応じて様々な事情を考慮するので
 一律機械的にはじき出されるものではない。

 求められる扶養の程度について,民法上の通説は次のように解している。
① 夫婦間及び親の未成熟の子に対する関係…生活保持義務関係
  生活保持義務とは,扶養義務者が文化的な最低限度の生活水準を維持した上で余力があれば自身と
 同程度の生活を保障する義務である。
② ①を除く直系血族及び兄弟姉妹…生活扶助義務関係
  生活扶助義務とは,扶養義務者と同居の家族がその者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせた上で
 なお余裕があれば援助する義務である。
  つまり,強い扶養義務を負うのは,夫婦と未成熟の子に対する親だけで あり,兄弟姉妹同士,
 成人した子の老親に対する義務(今回のタレントの事例),親の成人した子に対する義務は,
 「義務者がその者の社会的地位にふさわしい生活を成り立たせたうえでなお余裕があれば援助する義務」に
 とどまる。
 そして,民法879条は,「扶養の程度又は方法について,当事者間に協議が調わないとき,
又は協議することができないときは,扶養権利者の需要,扶養義務者の資力その他一切の事情を考慮して,
家庭裁判所が,これを定める」と規定している。つまり,親族間の援助に関することであるから,
具体的な扶養の程度又は方法の決定にあたっては,国家による介入は控え,まずは当事者間の協議に委ねて,
その意思を尊重することとしている。
 協議が調わない場合には家庭裁判所がこれを定めるが,その場合には,権利者の需要(困窮度),
義務者の資力だけでなく,権利者の落ち度,扶養に関する合意(当事者の意思),両者の関係の強弱・濃淡,
当該地域の扶養慣行,社会保障制度の利用状況や利用可能性等を総合考慮して決するものとされており,
機械的・一律に金額が算定されるようなものではない(前掲796頁)。

3 扶養義務を過度に強調することは現代社会に合わない

 そもそも,民法が親族扶養を定めていること自体,その根拠は明確でないとされている
(新版注釈民法(25)726頁)。
 一応,親族共同生活体という観念上の存在が法的に承認され,その限度で生活共同の義務が認められ
ているものと考えられているが,「無縁社会」とまでいわれる現在,この「親族共同生活体」という観念が
ますます実体を欠くものとなっていることは明らかである。すなわち,そもそも,民法上の扶養義務を
強調すること自体,現代社会の実態と合わないともいえる。
 「近時,少子化,核家族化とともに兄弟姉妹の数も少なく,これらの者が成人した後隣居生活をすることは
稀であり,それぞれ離れて独立の生活を送っている場合には交流も少なくなる」ことから,
兄弟姉妹については,三親等内の親族同様,「特別の事情」がある場合に家庭裁判所の審判によって
扶養義務を負わせるようにすべきとの見解もある(同前771頁)。
 後述のように,先進諸国では,別居の兄弟姉妹はもちろん,別居の成人親子間において扶養義務を課す例は
まれであることからしても,立法論としては,兄弟姉妹については扶養義務を廃止することも十分に検討に
値する。
 また,裁判所職員総合研修所監修のテキストは,「民法の認める親族的扶養の範囲は,近代法に類例を
みないほど広範であり,特に現実的共同生活をしない親族にまで扶養義務を課していることを考えると,
私的扶養優先の原則の適用に際しては,特に慎重な考慮を払うとともに公的扶助を整備強化することに
よってその補充性を緩和し,できるだけ私的扶養の機会を少なくすることが望ましい。」
(『親族法相続法講義案(6訂補訂版)』195頁)と述べているが,後に述べる先進諸外国の制度との
対比からも真っ当な方向性といえる。

第3 扶養義務と生活保護との関係について
 1 扶養義務者による扶養は保護の要件ではない

 保護の要件について定めた生活保護法4条1項の規定は,「保護は,生活に困窮する者が,
その利用し得る資産,能力その他あらゆるものを,その最低限度の生活の維持のために活用することを
要件として行われる」と定めている。これに対し,生活保護法4条2項は,「民法に定める扶養義務者の
扶養は保護に優先して行われるものとする」と定め,あえて「要件として」という文言を使っていない。
 「扶養が保護に優先する」とは,保護受給者に対して実際に扶養援助(仕送り等)が行われた場合は
収入認定して,その援助の金額の分だけ保護費を減額するという意味であり,扶養義務者による扶養は
保護の前提条件とはされていない。
 この点は,厚生労働省も,自公政権時代の2008年に「扶養が保護の要件であるかのごとく説明を行い,
その結果,保護の申請を諦めさせるようなことがあれば,これも申請権の侵害にあたるおそれがあるので
留意されたい。」との通知を発出している(昭和38年4月1日社保第34号厚生省社会局保護課長通知
「生活保護法による保護の実施要領の取扱いについて」第9の2(『生活保護手帳2011年度版』288頁))。

2 扶養を保護の要件とするのは前近代社会への回帰
 ~旧救護法・旧生活保護法は「イエ(家)制度」を守るため扶養を保護の要件としていたが,
  現行生活保護法は,先進諸国の例にならい,扶養を保護の要件から外した。

1929年制定の救護法では,扶養義務者に扶養能力があるときは,まずは扶養義務者が扶養しなければ
ならないとして,扶養が保護の要件とされていた。その趣旨は,家族制度・隣保制度が前提とされていたので,
もし民法の認める扶養義務に対して何ら考慮を払わず,国家,公共団体が救護したとすれば,家制度は
たちまち破壊され,救護は濫救となり弊害が続出することにあるとされていた(新版注釈民法(25)756頁)。
 そして,1946年制定の旧生活保護法でも,「扶養義務者が扶養をなしうる者」は実際に扶養援助が
なされていなくても保護の要件を欠くとされていたが,1950年制定の現行生活保護法では
この欠格条項は撤廃されたのである。
 現行生活保護法制定当時の厚生省保護課長であった小山進次郎は,その趣旨を次のように説明している。
 「生活保護法による保護と民法上の扶養との関係については,旧法は,これを保護を受ける資格に
関連させて規定したが,新法においては,これを避け,単に民法上の扶養が生活保護に優先して行わるべき
だという建前を規定するに止めた。一般に公的扶助と私法的扶養との関係については,これを関係づける
方法に三つの型がある。第一の型は,私法的扶養によってカバーされる領域を公的扶助の関与外に置き,
前者の履行を刑罰によって担保しようとするものである。第二の型は,私法的扶養によって扶養を受け得る
筈の条件のある者に公的扶助を受ける資格を与えないものである。第三の型は,公的扶助に優先して
私法的扶養が事実上行われることを期待しつゝも,これを成法上の問題とすることなく,単に事実上扶養が
行われたときにこれを被扶助者の収入として取り扱うものである。而して,先進国の制度は,概ね
この配列の順序で段階的に発展してきているが,旧法は第二の類型に,新法は第三の類型に属するものと
見ることができるであろう。」(小山進次郎『改訂増補生活保護法の解釈と運用』119頁)
 すなわち,1950年の段階で,私法的扶養を強調することは封建的で時代錯誤であるから,
現行制度のように改めたものを,現代において扶養を生活保護の要件とすることは,60年以上も前の
前近代的時代に逆行することになる。

3 扶養義務を果たさない扶養義務者に対する費用徴収

 生活保護法77条1項は,「被保護者に対して民法の規定により扶養の義務を履行しなければならない者が
あるときは,その義務の範囲内において,保護費を支弁した都道府県又は市町村の長は,その費用の全部
又は一部を,その者から徴収することができる。」と定めている。そして,同条2項は,「前項の場合に
おいて,扶養義務者の負担すべき額について,保護の実施機関と扶養義務者の間に協議が調わないとき,
又は協議をすることができないときは,保護の実施機関の申立により家庭裁判所が,これを定める。」
と定めている。
 このように,生活保護法は,扶養義務者が真に富裕であるにもかかわらず援助しないケースでは,
扶養義務者から費用を徴取できるとの規定をおいている。したがって,現行法でも,明らかに多額の
収入や資産を有しているが扶養を行わない扶養義務者に対しては,この規定を利用して費用徴収をする
ことができる。しかし,この規定を一般に広く適用することは,事実上扶養を保護の要件にするのと
類似の効果を招き,後に述べる弊害をもたらす危険があるので望ましくない。
 報道によれば,今回のお笑いタレントのケースでは,高収入を得るようになってから福祉事務所と
協議のうえ仕送り額を決めて仕送りをし,今年に入ってから増額もしたということである。タレントの
年収と仕送り額によっては,道義上その金額の妥当性が問題になる可能性はあるが,前述のとおり,
成人した子の老親に対する扶養義務は比較的弱い義務であり,具体的な扶養の金額は,当事者の意思も
含めた様々な事情を総合考慮して決すべきものなので,額の当否を一概に判断するのは困難である。
 いずれにせよ,福祉事務所と協議のうえ仕送り額が決められ,そのとおりの仕送りがなされていたと
いうことからすれば,少なくともタレントの母親の生活保護受給が「不正受給」にあたるものでない
ことは明らかである。

4 生活保護実務上の扶養義務の取り扱い

(1)違法な水際作戦の常套手段 ~後を絶たない餓死事件
 前述のとおり,本来,扶養は保護の要件ではないが,現場では,保護の要件であるかのように説明して
申請を断念させる「水際作戦」の常套手段とされている。
 日弁連が2006年に実施した全国一斉生活保護110番の結果では,違法な水際作戦の可能性が高いと
判断された118件のうち,「扶養義務者に扶養してもらいなさい」という対応が49件と最も多かった。
 古くは,1987年1月,札幌市白石区の3人の子どもを持つ母親が,再三福祉事務所に保護を
申請したにもかかわらず,福祉事務所が,「働けば何とか自活できるはず」「離婚した前夫(子の父)の
扶養の意思の有無を書面にしてもらえ」などと主張して,保護申請として処理せず,放置した結果,
「餓死」したという,余りにも有名な事件がある。
 また,「保護行政の優等生」「厚生労働省の直轄地」と言われた北九州市において,2005年から
3年連続で生活保護をめぐる餓死事件が発生したが,2007年の餓死事件は,生活保護の辞退を
強要された52歳の男性が「おにぎり食べたい」という日記を残して死亡したためマスコミでも大きく
報道された。このうち,2005年に北九州市八幡東区で起きた孤独死事件は,生前,生活保護の
申請に何度も福祉事務所を訪れた被害者に,福祉事務所の担当者が,兄弟姉妹による扶養の可能性が
ないか確認してから来るようにと違法に追い返したことが原因であった。また,2006年の
北九州市門司区での餓死事件も,福祉事務所の担当者が,子どもに養ってもらうようにとして違法に
申請を拒絶したことが原因で起きた。
 扶養義務を利用した追い返しは,水際作戦の常套手段となっており,少なくない餓死事件も
引き起こしているのである。

(2)扶養照会自体が保護申請上の大きなハードルになっている
 現行生活保護実務上,生活保護の申請があると福祉事務所は,直系血族 (親子)と兄弟姉妹に対して,
扶養が可能か否かについての照会文書(扶養照会)を送付する。扶養が可能であるとの回答が返ってくれば,
具体的に幾らの仕送りが可能であるかの協議を行い,実際に仕送りがされた額を収入認定し,その分の
保護費を減額するが,そうでない場合には,当該世帯の最低生活費を支給することになる。
 しかし,それでも扶養照会の存在は,保護申請をためらわせる大きなハードルになっている。
疎遠になっている親・兄弟姉妹に,生活保護を利用するほど困窮しているという“恥”を知らせたくないと
いうプライドや意地から,生活保護の利用を拒絶し,過酷なホームレス生活を続けている人なども少なくない。

第4 先進諸外国の扶養義務の範囲と生活保護(公的扶助)制度との関係

1 イギリス
(1)扶養義務者の範囲
   配偶者間(事実婚を含む)及び未成熟子(16歳未満)に対する親。いずれも同居が前提。
(2)扶養義務と公的扶助との関係
   上記のとおり同居が前提であるので,世帯の問題として把握されることになり,そもそも
  「優先」関係すら問題にならない。
   成人した子の老親に対する扶養義務もないので,今回のお笑いタレントのようなケースは
  問題になりえず,イギリス人に説明しても何が問題なのかさえ理解できないであろう。

2 ドイツ
(1)扶養義務者の範囲
   配偶者間,親子間及びその他家計を同一にする同居者。但し,高齢者,障害者に対する扶養義務は,
  年10万ユーロ(約1200万円)を超える収入がある親又は子。
   高齢者や障害児を持つ世帯の貧困が社会問題となり、2003年に導入された「基本生計保障」
  制度において子と親の資産を合算した場合の保有限度を10万ユーロと高く設定することによって、
  事実上扶養義務の範囲を狭め、上記課題の解消を図った。
(2)扶養義務と公的扶助との関係
  同居していない扶養義務者から実際に扶養が行われれば収入認定の対象となる。日本と同様,
 扶養は保護の要件ではなく,優先関係にあると言える。
  同居していない扶養義務者が扶養を行わない場合,扶養請求権を実施機関に移転させて償還請求を
 することができるが(日本の生活保護法77条と類似の規定),扶養権利者本人(未成年者は除く)が
 請求を望まない場合は例外とされている。すなわち,扶養を求めるかどうかを一義的には保護申請者に
 委ねており,実施機関は,当事者の意に反して扶養義務者に対する償還請求をすることはできない。

3 スウェーデン
(1)民法上の扶養義務者の範囲
   配偶者間(事実婚(Sanbo)含む)及び未成熟子(18歳未満)に対する親。
(2)扶養義務と公的扶助との関係
   イギリス同様世帯の問題であり,扶養の優先関係すら問題にならない。
   高齢者が,生計援助(生活保護)の申請を行う場合,子ども夫婦と同居している場合であっても,
  高齢者自身の生活費と家賃(高齢者一人の分)が援助の要否判定の基礎となり,子どもに親の扶養
 (金銭面・介護面とも)をする義務を課すことはない。ましてや,同居していない子どもに扶養義務を
  課すことなどあり得ない。
   したがって,今回のお笑いタレントのようなケースが問題になることはあり得ない。なお,
  スウェーデンでは,最低保障年金があり,年金額が低い場合は住宅手当などが加算される仕組みに
  なっているため,高齢者が生計援助(生活保護)を受ける必要性があるケース自体がごく稀である。

4 フランス
(1)扶養義務者の範囲
   夫婦間と未成年(事実上 25 歳未満)の子どもに対する親
(2)扶養義務と公的扶助の関係
   イギリス,スウェーデン同様,優先関係すら問題にならない。

第5 扶養義務の強調は餓死・孤立死を招く
 小宮山大臣が言及した「扶養義務者に扶養困難な理由の証明義務を課す」とか,一部で主張されている
ように福祉事務所の調査権限を強化し,扶養義務者の資産も含めて金融機関に回答義務を課すような
法改正がなされれば,どうなるであろうか。
 生活に困窮した人が,福祉事務所に生活保護の申請に行くと,親兄弟すべての資産や収入が強制的に
明らかにされ,申請者本人が望まなくても,親兄弟は無理な仕送りを迫られることになるであろう。
これはほとんどの場合,親兄弟にとって歓迎せざることであって,親族関係は,むしろ決定的に悪化し
破壊されるであろう。
 あるいは,福祉事務所の窓口では,25年前の札幌市白石区での餓死事件のように,申請者に対し,
「扶養義務者の扶養できない旨の証明書」をもらってくるようにと述べて追い返す水際作戦が横行する
であろうが,法改正がなされれば,これは合法として容認され,餓死・孤独死・自殺事件が頻発する
ことになるであろう。
 そもそも,生活に困窮している人は,親族もまた困窮していることが多い上,さまざまな葛藤の中で
親族間の交際が途絶えていることも多い。先に述べたとおり,現状でさえ,扶養照会の存在を理由に
保護申請をためらう人が多数存在するのに,扶養が前提条件とされれば,前記のような親族間での軋轢を
おそれて申請を断念する人は飛躍的に増大することは間違いがない。
 日本の生活保護利用率は1.6%に過ぎず,現状でも先進諸国の中では異常な低さである
 (ドイツ9.7%,イギリス9.3%,フランス5.7%)。この状況に加えて,さらに間口を狭める
制度改革がなされれば,確実に餓死・孤立死・自殺が増える。
 これは,緩慢なる死刑である。しかも,死刑囚ですら糧食を保障されているのに,それさえ奪うという
意味では死刑よりも残虐な刑罰である。何人もそのような刑罰を受けるいわれはないし,何人も
そのような刑罰を科す権限はない。制度改革を進めた政治家や報道機関は,死者に対してどのような
責任がとれるのか,冷静になって慎重に検討することが今,求められている。
 かつて,2006年3月4日,大阪市立大学における日独ホームレス問題国際シンポジウムにおいて,
前ドイツ連邦副議長であるアイティエ・フォルマー氏は,冒頭「その社会の質は,最も弱き人がどう
扱われるかによって決定される」と挨拶され,「貧困者への施策を国政の最も重要な施策として位置づけ,
国政を運用してきた」ことを強調された。
 日本においても,政治と報道にどのような「貧困政策」を盛り込むのかが,その「質」のあり方とともに
問われている。
                                            以 上

※こちらも是非お読みください。

生活保護制度に関する冷静な報道と議論を求める緊急声明

利用者数の増加ではなく貧困の拡大が問題である~「生活保護利用者過去最多」に当たっての見解~

市民生活の岩盤である生活保護基準の引下げに反対する意見書~低きに合わせるのは本末転倒!~

 


asahi.comから引用:

生活保護受給者の自殺率、全国平均の倍 厚労省報告

http://www.asahi.com/national/update/0713/TKY201107120864.html

 生活保護を受けている人の自殺率が、2010年は10万人あたり55.7人だったことが分かった。全国平均(24.9人)の倍以上と高い水準で、厚生労働省は自殺の主な原因であるうつ病患者への支援などを強化する考えだ。

 12日の社会保障審議会生活保護基準部会で同省が報告した。自殺者数は1047人で、単身世帯が849人と8割を占める。うつなどの精神疾患を抱える自殺者が684人(65.3%)だった。

 09年と比べると、自殺者数(1045人)は横ばいだったが、自殺率(62.4人)は減少。これは、「生活保護を受ける人が増えた影響」(担当者)としている。