岡崎乾二郎氏: 「震災前に作られた作品を出すべき。事故後の変節は反省ですらない」

震災後に「変節」して見せることは、震災前にやっていたことを「なかったこと」にし、現在への私的なアリバイ作りに終始し得る。―― この togetter をまとめた私は、岡崎氏の発言を通じて、そういう問題意識を喚起されました。 【追記】 edtion1 氏による、同じつぶやきを使ったまとめ: http://togetter.com/li/312608 言及された作品の写真や、岡崎氏の発言に対する様々なレスポンスを見ることができます。(※私より前に作成されていたようで、混乱させてしまって申し訳ありません。以後気をつけます。)
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

《3.11 TSUNAMI 2011》は 津波を現地の人がその場で撮影した映像とその撮影者への宮本隆司氏によるインタビューで構成された作品。災害写真、映像とは何でありうるのか?それは可能か?かつて阪神大震災を撮影した宮本氏が根底的な問いかけhttp://t.co/AARJbBt6

2012-05-29 20:33:14
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

1996年神戸震災後のヴェネチア建築ビエンナーレ磯崎新氏はベタに震災瓦礫を日本館に持ち込み積み上げを命じ、それを宮本隆司氏の震災現場写真が囲む外には工事中のサイン。で金獅子賞。参加した作家たちは相当複雑な思いだけが残った、と。震災を売り物(批評の道具?)にしただけではないか?と

2012-05-30 23:31:39
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

まさか繰り返されないでしょ、という思っていたが(誰でも知っていることだし)。ううむ。災害という表現の主題は文字通り忘れることによって可能になるのかしらん。いやいやモダニズムだから忘却が核心なのか。災害と表現は、忘却と白紙還元(知性還元)でだけ結びつく。

2012-05-30 23:42:53
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

流出し消失してしまった日本美術(史)なんて主題で天心の五浦の六角堂を(流れ流れ)ヴェネチアに出現させる、なんてベタな案@qualquelle さんはokしてくれるかな? これは相当くだらない案ではある。関東大震災の当日に展示された大観の「生々流転」を展示する。生々流転の核心は忘却

2012-05-30 23:52:19

五浦六角堂 http://bit.ly/LJE1XF 2011年3月11日の津波で流失した。(再建され、2012年4月28日より一般公開)

横山大観 《生々流転》 http://bit.ly/LJEtVL 再興日本美術院展の東京展初日、関東大震災に遭遇。難を逃れた。

おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ああ、つまらないツイートでした。

2012-05-30 23:52:45
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

日本美術史流出=天心の五浦の六角堂を(流れ流れ)ヴェネチアに出現させる、これはベネチア向けのベタで下らない案と書いたけど、関東大震災の当日に展示された大観の「生々流転」震災前に描かれ震災当日にジャストミートしたという点だけでもヴェネチアでの展示に値するイヤな面をもっていると追補

2012-05-31 00:09:08
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

つい追補)、巨匠でであれ新人であれ(震災と関連づける読みが避けられないならば、なお)震災前に作られた作品を出すべき。テーマは「すべて想定内」とすべし。事後的な作品を出すべきでない(想定外という認識の追認に終るだけ)。あらかじめ今回の災害は表現構造に組み込まれていたと示すべき。

2012-05-31 00:50:22
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ちなみに吉阪隆正による日本館1956は構造的にも白井晟一の原爆堂計画1955の余波の一つと見れる。原爆堂計画は日本語では原爆堂だが英語ではTEMPLE ATOMIC CATASTROPHES すなわち複数形=今後起こりうる全ての核エネルギーがもたらす災害に対峙させられていた。

2012-05-31 01:00:25

吉阪隆正の設計による日本館 http://bit.ly/LJKq5b

白井晟一・原爆堂計画 http://bit.ly/LJKhi8

おかざき乾じろ @kenjirookazaki

想定外、想定内の区分は責任あるなしの区分(弁明)に使われる。想定外なら天災、想定内なら人災。ゆえに批判は事故以前に遡り、それが必然だったと認識されぬと成立しない。事故への事後的応答=表現は往々その取り返しできなさ、つまりその想定外を追認し強調するだけになりがち。(1)

2012-05-31 04:36:14
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

技術は本来それが破綻する境界を自覚し組み立てられる、よってすべての事故は可能性として自覚されている。破綻ないとの思込ませるのは政治的方便。共同体的願望。芸術はこんな世俗技術の外部技術としてその束縛から離れうる。つまり技術破綻の点=事故を表現構造に前もって組み込むことができる(2)

2012-05-31 04:36:26
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

事故、災害への真当な対応とはまず事前の構造へ遡ること(予期されていたにも関わらず対応されなかった事の自覚)、だから事故後の応答ではなく事故前の表現こそ説得力をもつ。批判、表現すなわち意志的行為の根拠として。事後の変節=陳謝?哀悼?など反省ですらない。反省とは事前に戻ること。(3)

2012-05-31 04:53:12
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

以上、事前の作品構造が大事。という補足。

2012-05-31 04:57:19

3日後、ご本人による補足。

おかざき乾じろ @kenjirookazaki

おくれた補足=ベタで下らない案と書いた理由)東京美術学校を追われた天心は国家に愛想をつかし、入水死した楚の知識人=政治家、屈原に自らをなぞらえ、死を賭し大波瀾に身を投げ入れる覚悟で、太平洋の荒波の只中に立つかのような、観瀾亭(六角堂)を建てた。

2012-06-03 13:04:10

横山大観が、入水直前の屈原(くつげん)を、岡倉天心をモデルに描いている。 http://bit.ly/L6x3sB

  Wikipedia 「屈原」 http://bit.ly/L6x5Rc

おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承前2)六角堂という呼び名は、知られているように、随から淡路島に(まさに大海原を)漂流、流れついてきた唐櫃に納められていた如意輪観音を納めるために、聖徳太子が建造した六角堂(頂法寺)から、とられている。

2012-06-03 13:06:45
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承前3)あたかも雪村『風濤図』のごとく http://t.co/rCP84KLQ

2012-06-03 13:11:33
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おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承前4)天心の意志が図ったかのように.1939年泊林古美術展覧会でヒトラーは雪村「風濤図」を絶賛、日独合作映画「新しき土」で顕著なように日本が地震、台風、火山の国で死の覚悟をもった国という美学は浸透しつつあった。先陣として横山大観指揮の1930年「羅馬開催日本美術展」の成功。

2012-06-03 13:13:10
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

承前5)ちなみに48年ロンドン大会までオリンピックには芸術競技(賞あり)が併催(文化プログラムとして現在も存続)。国威を競う場としてピークは36年ベルリン。同時期ファシスト党が自立した芸術競技会の場としてヴェネチアビエンナーレを梃入れ。1936年ヒトラー、ベネチアビエンナーレ訪問

2012-06-03 13:17:12
おかざき乾じろ @kenjirookazaki

ところで吉阪隆正設計による日本パビリオンは、当初は天上に天窓が空き(空が見え)、雨水は館の中央を瀧の如く落下し床の同じく開口を通り抜け、地階の庭園に落ちるよう設計されていた(実施は異なる)。自然の恐ろしさを知らぬのでなく、その不可避を示す日本美学をヤケクソに組み込む(脱構築)案。

2012-06-03 13:19:05