小松崎拓男氏による『TOKYO POPの終わり』とその反応
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ベネチアビエンナーレ、日本館の展示(ビエンナーレの公式Twitterより)
http://www.youtube.com/watch?v=gcb7wNP383k&feature=youtu.be&a
小松崎氏による「TOKYO POPの終わり」とその反応
ベネチア・ビエンナーレの田中功起の受賞で、TOKYO POPの時代が完全に終ったと考える。村上隆、奈良美智、会田誠らの牽引した時代は終り、会田誠の森美術館の個展が最後の華だったのだ。新コンセプチュアル時代の幕開けである。しかし多分それは難解なそれではなく、軽快なそれだろう。
2013-06-02 00:38:46私はこの傾向のアートのことを、難解ではない、わかりやすく、軽い概念芸術という意味で、ライト・コンセプチュアル・アートと呼んでおこうと思う。
2013-06-02 00:45:07@takuokomart 小松崎さん、そういう考え、表明していいのかなぁ。後で火傷しますよ〜。何々の時代が始まるだの終わるだの、日本のART言論が外国からの風見鶏の時代こそ終わったと、そうは言えると思う。なんでベニスで賞とった作家がいてそれだけで変わんのよ?
2013-06-02 01:19:58すみません、終わったのではなく、定着したと僕は考えます。 RT @takuokomart: ベネチア・ビエンナーレの田中功起の受賞で、TOKYO POPの時代が完全に終ったと考える。村上隆、奈良美智、会田誠らの牽引した時代は終り、会田誠の森美術館の個展が最後の華だったのだ…
2013-06-02 02:45:11そうじゃなきゃ、僕は終わった作家とカテゴライズされるんだな…。…でも、そんな見方はど〜でもいいや〜。死ぬまで、やりたいように自分の流儀でやってくべ!グナイ!
2013-06-02 02:48:27☝因みに小松崎さん、90年代半ばに「TOKYO POP」展企画し、いち早く僕らを紹介した張本人です。で、僕はデビュー直後の田中くんと超ミスマッチな二人展をやったことがある。 まあ、田中功起くんなどが日本国内でもっと知名度が上がるのは、美術界全体のためにも良いことだと思います。(続
2013-06-02 10:58:57続き)日本の現代美術は一つの傾向だけがあるわけじゃなく、幅の広さがちゃんとあることは伝わった方がいいので。それにもともとコンセプチュアルなものって、カワラオン・アラカワの時代から日本の得意ジャンルですからね。
2013-06-02 10:59:04村上さんや奈良さん、会田さんからメンション来ているので長くなるかもしれないけれど。以下連ツイします。1〜11まで。
2013-06-02 12:48:02実のところTOKYO POPの頃から始った村上さん、奈良さん、会田さんらが牽引してきた日本美術の波は、2007年の松井みどりの「マイクロポップの時代」(水戸芸術館)で終ったように感じていた。簡単に言うとポップの在り方を自己の周辺の親しいものに徹底的に「矮小化」してまったからだ。1
2013-06-02 12:49:59それより前から次の時代を担うようなアートは何だろうと捜していたけど、なかなか見つからなかったし、わからなかった。田中功起が気になるようになったのは、この2007年よりもいくぶんか前だったと思う。話に落ちのあるような無いような、くだらないと言えばくだらない映像作品。でも気になる。2
2013-06-02 12:50:38以後全部を見ている訳ではないが、折に触れて目にする作品は面白かった。映像、インスタレーションとも内側を外側にしてしまう意味や行為の反転、文脈のずれや脱臼、美術とは何かという問い、アーティストや批評家、キュレーターの言説の問題など内容はコンセプチュアルにも拘らず、笑えたりする。3
2013-06-02 12:51:07で、そんな彼の作品がベネチアに出る。しかもキュレーターは蔵屋美香。欧米がどう評価するか、とても興味があった。その彼が特別賞を受賞。何がどのように評価されたのかは待つとして、通用するんだという思いが強い。4
2013-06-02 12:51:39もちろんベネチアで賞取ったからどうなんだ、という意見はあろう。この賞はこの先の成功の保証書ではない。しかしある種の評価であることには違いない。5
2013-06-02 12:52:03ここからが本題なのだが、なぜ彼が新しいか、それは村上さんや奈良さん、会田さんよりも若い世代にも拘らず、1)作品にサブカルチャーの影響を全く感じないこと。全く別の文脈から作品作りが始まっている、ことによる。6
2013-06-02 12:52:29そのほか2)一人称の美術ではない複数人称の創作行為や形式に意識的に言及していること。3)アートの社会化を主題のひとつとしていることなどを今は上げておく。まだもう少し見ないとわからないことは多い。7
2013-06-02 12:53:01かつてベネチア・ビエンナーレで椿昇、中原浩大、そして村上さんの作品が展示された。日本ではメジャーではなかった。1993年〜1995年、あの時の何か新しいことが始まるという高揚感とは違うが、新しいものが始まる、いや今回の場合は何か始めなければならないという感じかもしれない。8
2013-06-02 12:53:25敢えて始めるという意味では村上さんの言うように「後で火傷する」かもしれない。しかし、何かを敢えて断定的に言い切ってしまうささやかな無鉄砲さも、今の美術を動かして行くには必要だろうと考えた。久々に村上さんから直接メンションもらって嬉しかった。お、まだ忘れられてなかったんだって。9
2013-06-02 12:53:56奈良さんの「定着」ということも考えないといけない。で、多分、この問題、これからは会田さんの言うように、幾つかの思潮が時代を並走するのだろうと思う。だから、勿論のこと3人の制作や作品が終わった訳ではない。これは絶対に誤解してもらいたくないところ。10
2013-06-02 12:54:14それは菅木志雄、戸谷成雄、宮島達男、川俣正、大竹伸朗などが今でも同時代的に意味を持つのと同じことだと思う。むろん私はこれからも村上隆、奈良美智、会田誠に注目し続ける。私たちの時代を代表する作家として。しかし一方で、田中功起のような新世代にも注目したいのだ。11 以上
2013-06-02 12:55:30@takuokomart 小松崎さん!僕は小松崎さんには全くもって恨みはない。デヴュー当時に平塚の美術館での展覧会に招聘してくださったことを感謝している。だが、今回の言説、捨てては置けないので、指摘、ツッコミ入れさせて頂きます。
2013-06-02 14:02:51@takuokomart さて、まずこれ→<ベネチア・ビエンナーレの田中功起の受賞で、TOKYO POPの時代が完全に終ったと考える。村上隆、奈良美智、会田誠らの牽引した時代は終り、会田誠の森美術館の個展が最後の華だったのだ>
2013-06-02 14:04:01@takuokomart まず<TOKYO POPの時代が完全に終ったと考える>←これ、ご自身で解説すべきかとおもうのですが、小松崎さんが1996年に行った展覧会のタイトルであった、ということ。その意味で自己言及的に小松崎さんの中での「終わった感」は全然結構です。どうぞご自由に。
2013-06-02 14:09:39