“美術鑑賞には知識が必要か否か”-単純化された図式により失われるものの存在-

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@drawinghell

トーマス・デマンド展では作品に関する情報を一巡目に渡されないことによって、その情報がある状態とない状態の二つの「見え方」を比較体験することができた。それを上手く体験できたのは、自分がデマンドの作品についての詳細な情報を事前に知らなかったことも関係しているだろう。

2012-06-05 21:25:03
@drawinghell

“美術鑑賞には知識が必要か否か”といった話題がよくTLに流れてくる。「ゼッタイに必要よネー」「絵は勝手に見ればいいなんてウソよネー」「知識はあればあるほどいいに決まってるのにネー」といった会話が、主に“知識必要派”の立場から聞こえてくる。

2012-06-05 21:26:16
@drawinghell

しかしそこで言う「知識」とはなんだろうか? そもそもそれが「絵」であるということ自体が「知識」である。だから厳密に言えば絵を「知識なしに勝手に見る」ことなど、悟りの境地にある禅僧でもなければ不可能だろう。

2012-06-05 21:28:04
@drawinghell

もちろん彼/彼女らのいう「美術鑑賞に必要な知識」とはそんな根源的な意味ではなく、せいぜい美術史に関する教養といった程度だろう。しかしそれすらも「絶対必要」「多ければ多いほどいい」と断ずるためには「鑑賞」の意味するものをそーとー狭く固定化する必要があるだろう。

2012-06-05 21:28:51
@drawinghell

知識は絵を見ることの補助にも障害にもなりうる。だから「絵を見るのに知識は必要」も、「絵なんて勝手に見ればいい」も、文脈や目的次第でどちらも真になりうるのだ。マチガイはその二つを対置して二択の問題としたときから始まる。

2012-06-05 21:29:57
@drawinghell

手っ取り早く「わかる」にためには問題を単純化した図式に当て嵌めるのが一番だ。「『無題』というタイトルを付ける作家は自分の作品も理解できない馬鹿だ」といった主張を時折耳にすることがあるが、これなどは「わかる」ために単純化された図式の最たるものだろう。

2012-06-05 21:30:45
@drawinghell

そこまで酷くなくとも似たような単純化された図式は「美術」や「作品」をめぐる“常識”として往々に出回っている。単純化された図式はワカリヤスイ。そのため人々を動かす大きな力にもなりうる。しかしそのことによって「失われるもの」の存在を我々は決して忘れるべきではないだろう。

2012-06-05 21:31:33

 

せざにすむ @cezannisme

知識から逃れることなんてできないわけですよ。それが大前提。問題はそこからどうするか。

2012-06-05 22:47:06
せざにすむ @cezannisme

知識というものも一枚岩じゃなくて、いろいろ種類があるんじゃないかな。ダメなのは、簡単に分かったような気になる知識だと思う。例えば、セザンヌは他視点で描いた、とか。物事を単純化してしまう知識というか。知識も突き詰めていけばますます訳分からなくなったりするわけで。

2012-06-05 22:42:52