- tkatsumi06j
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個人が責任をとらない文化
この包含性の欠如を補償するために、組織の上層部に求められるのが責任履行能力だ。これには説明責任と責任履行することの両方の資質を含む。これがいわば、包含性を犠牲にすることで組織階層の最下層にいる者への代償となる。そして下層の者はこの権利を最大限に行使する。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:00:00つまり、合議には参加しないが、その代わり最大限の責任をとることを上層部に求める。ここで実は責任転嫁の心理が生じ、何が起きても責任は上層部にあるということになる。だから、上が辞めたり謝罪すれば社会的責任が果たされたと考える「責任をとらない運動」となってしまう。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:02:30「指導者のいない運動」では「排除の論理」は働き得ない
いまちらりと #紫陽花革命 の主催者と(本当は「革命の主催者」など存在しないが、抗議デモを総称してそう呼ぶことにする)一部主要な関係者との間の確執について、TL上で話題になっていることをキャッチした。そもそもこの種の問題が起きることが「指導者のいない運動」では、本来想定できない。
2012-07-04 04:04:45「指導者のいない運動」では、問題になっているような「排除の論理」は働きようがない。常に包含的であるのがその常態だからだ。排除するにしても、それは合議によって決められる。その合議というのは、その場にいる全参加者の合議によって決められる。「主催者」は決めない。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:07:32「ひとりひとりがリーダー」の意味
WPが「指導者のいない運動」の典型と評した #OWS では、デモなどのオーガナイズは「主催チーム」によって為されるが、そもそもこのチームが自薦他薦を問わず立候補し、合議で決められる。イベントの前には「総会」が開かれ、そこでそれぞれチームが役割を分担して機能する。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:10:02#OWS が単なる「リーダーのいない運動」ではなく「ひとりひとりがリーダーとなる運動」である理由がこここにある。「役割」は誰が与えるでもない自分で作り出し、そしてその役割について、総会にといて合議による「承認」を求めるのだ。だから、誰もがリーダーとなれるのだ。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:12:16ところが「誰もがリーダーとなる」ということは、「誰もがリーダー並の責任を求められる」ことと同義。だから、率先して自分の役割を作り出す人は、そのことで自分に責任が求められることになることを自覚しなければならない。これが、日本人の国民性的にどうなのかと思ってしまう。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:14:36「ひとりひとりがリーダー」な運動の萌芽
ただ、 #紫陽花革命 が今の規模に到達するはるか以前から、全国各地でデモや集会は行われており、その中には「リーダーのいない運動」の萌芽を私はずっと感じてきていた。誰に任せるでもなく、「k自分のできること」を自分の責任の範囲で行っている人がそこかしこにいたからだ。 そこに希望を見る
2012-07-04 04:17:49今回起こった主催者による「排除の論理」というものは、運動の黎明期には起こりがちなことなのだろうと思う。でも、こういう問題も全体で討議し、「主催者」任せにせずに解決していけば致命的な分断を招いたりはしないと思う。まだ運動の「形」だってできていないのだ。これからだ。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:19:57論より行動!
さて、私もこうして「評論」ばかりしてられません。自分も「参加者」。もう #紫陽花革命 の一員なんですからね。その自覚を持って、私も私なりの責任範囲を決めて活動をしていかなければなりません。難しい組織論みたいなものを展開しましたが、要は運動を成功させたいのです。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:25:06運動には対立軸があります。私たちが求めているのは社会・政治の変革でしょう。そして私たちの「声」を届け、気付かせることでしょう。ただのガス抜きでしている訳ではありません。各個に求めるものはそれぞればらばら。でもコアが同じだからこそ、ひとつの運動として成立する。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:27:26終わりに
現実的に、私たちは社会の少数派です。「行動」を起こす人は、まだまだ少ないと言わざるを得ない。つまり多数派は私たちの行動を好ましく思わない。疎ましく思っている。嫌悪すらしているかもしれない。そういう多数派に無用な種を与えないこと。せめてこの一つだけでも合意したいです。 #紫陽花革命
2012-07-04 04:30:17長々と偉そうにすみません。この運動を成功させたいからこそ、色々な確度から何が必要かを必死に考え、言語化しているのだと思ってください。私の中でもまだ考えが全てまとまっているわけではありません。あくまで気付きをシェアしているのだと思ってください。ご精読感謝します。 #紫陽花革命 万歳
2012-07-04 04:33:25フォロワさんの反応とやりとり
「主催者」が果たす役割
@tkatsumi06j 例えば逮捕者が出た時のサポートに端的に出るんじゃないですか。未然に防ごうとしてた「主催者」の努力は評価していいと思う。潰された70年西口広場の様な討議の場は大切。その点では圧倒的に質が高かったと思います。課題でしょう。
2012-07-04 04:11:57@joha_woodcraft はい。私は何も主催者側の「行動」を咎めているわけではないのです。ただ運動としてまだ「形」が出来ていないんだな、と感じました。主催者におんぶにだっこして任せるか、個人個人が責任意識を持って「個人リーダー」たるか、まだ誰も決めていないでしょう。
2012-07-04 04:21:48@joha_woodcraft つまり「主催者」の評価が運動の評価じゃないんですよ。運動の評価は参加する個人個人が決めるんです。決めるというのは、左右するということです。評価を行うのは、あくまで運動の外にいる人間ですから。一人の「参加者」として、私はこの運動の行く末が愉しみです。
2012-07-04 04:23:14@tkatsumi06j だから次回が尻すぼみになってもそれはそれで良いんだという事で。ある目的意識を持った行動とは対極で、逆説的に参加者が増えるというパラドックスを理解すべきでしょうね。
2012-07-04 04:37:06