中世後期に「職」のピラミッドはなかった

もともとタテの関係だった「本家-領家-荘官」のピラミッドが、中世後期になると崩れてヨコ倒しになったんだぜ、という中世荘園史好きにはたまらないお話。 伊藤俊一先生のツイートをまとめさせてもらいました。
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ITO Toshikazu @toshiitoh

鎌倉時代の「職の一円化」を解説するのに、本家-領家-荘官のピラミッドを90度横倒しにして下地に射影する説明を思いついたが、名案なのかどうか。

2012-06-21 14:46:33
ITO Toshikazu @toshiitoh

中世後期にはもはや「職」のピラミッドは無いということを示せるのだから名案かも。

2012-06-21 14:47:51
ITO Toshikazu @toshiitoh

鎌倉時代の下地中分は領家-地頭の間が有名だが本家-領家間もある。実は本家-領家間の中分が意識されるようになってから初めて「本家」という概念が現われる(cf.高橋一樹氏)。

2012-06-21 14:52:09
ITO Toshikazu @toshiitoh

本家・領家は直接代官を派遣して年貢を取ります RT @tsukatetsu: それだと、全ての荘官が本家・領家に代わって年貢収納権を手に入れるという事態が生じてしまい、まずくありませんか?RT @toshiitoh:「職の一円化」を解説するのに本家-領家-荘官のピラミッドを横倒し

2012-06-21 16:21:35
ITO Toshikazu @toshiitoh

基本は一円支配だと思います。この代官は「職」を持たないので簡単に解任されます。RT @tsukatetsu: いえ、荘官による一円的支配を一般的な傾向として見てとれるのは妥当なんですか?との疑問です。地頭の場合はともかくとして。RT @toshiitoh: 本家・領家は直接代官

2012-06-21 16:44:48
ITO Toshikazu @toshiitoh

荘官と代官の区別を説明しないと一円化後の荘園支配のイメージはつかみにくいか。一つの荘園に地頭職・下司職-領家職-本家(職)が重層していたのが、取分に見合った下地を分割して各職が一円的な所領となる。そこに派遣される代官は年限を限って経営と収納を請負うだけで相伝の権利は持たない。

2012-06-21 17:05:19
ITO Toshikazu @toshiitoh

もちろん全ての荘園所職が一円化、下地化するわけではない。最後まで領家と地頭が中分しない荘園もあるし、本家と領家との間で支配権を争い、勝った方が下地を支配し、負けた方に年貢を納めることもある。

2012-06-21 17:11:45
ITO Toshikazu @toshiitoh

分割・一円化した荘園所職は、一つの独立した所領として扱われて同質化する。建武政権以降は東寺が地頭職を持つような奇妙なことも普通になる。

2012-06-21 17:47:52
ITO Toshikazu @toshiitoh

下司職は残ることもありますが追い出されることが多いです。RT @tsukatetsu: 本家・領家が直接派遣した代官は分かるのですが、それ以前、預所や下司だった人々はどうなるのですか? RT @toshiitoh: 基本は一円支配だと思います。この代官は「職」を持たない

2012-06-21 18:31:54
ITO Toshikazu @toshiitoh

幕府御家人になったり、南北朝内乱で活躍すれば独立し、あわよくば荘園丸ごと自分のものにできますが。RT @tsukatetsu: 本家・領家が直接派遣した代官は分かるのですが、それ以前、預所や下司だった人々はどうなるのですか?

2012-06-21 18:34:19
ITO Toshikazu @toshiitoh

播磨国矢野荘は例名領家職が東寺領、同地頭職が海老名氏(御家人)領、別名領家職が南禅寺領、同下司職が海老名氏領。例名公文の寺田氏が御家人を称して独立しようとしたが東寺に潰されて没落。

2012-06-21 18:43:50
ITO Toshikazu @toshiitoh

下司職をどう定義するかによりますが、地頭職ではない荘官職が下地化するのは希だと思います。RT @tsukatetsu: では、下司職は一円化、下地化するわけではない、ということでしょうか?RT @toshiitoh: 下司職は残ることもありますが追い出されることが多いです。RT

2012-06-21 19:04:53
ITO Toshikazu @toshiitoh

鎌倉後期、幕府と関係を持たない下司なんて誰も守ってくれない。領家は非正規な代官に換えたいし、近隣の地頭は下司の所領を虎視眈々と狙っている。

2012-06-21 19:20:58
ITO Toshikazu @toshiitoh

矢野荘別名の下司は開発領主の矢野氏だったが没落し、例名地頭の海老名氏の手に帰した。なお、海老名氏は承久の乱で没落した例名下司の惟宗氏の跡職を給与された西遷御家人。

2012-06-21 19:32:40
ITO Toshikazu @toshiitoh

う~ん、開発領主が確保する所職としか。それだと地頭職も入ってしまうので、非御家人の開発領主の所職か。RT @tsukatetsu: なるほど。ところで、下司職にはどのような定義があるのですか? RT @toshiitoh: 下司職をどう定義するかによりますが、地頭職ではない荘官職

2012-06-21 19:39:28
ITO Toshikazu @toshiitoh

今日の日本社会史では中世百姓の居留の自由の話が好評だったのだが、最近の概説書は政治の話ばかりで、農村生活についての良書が見当たらない。

2012-06-21 20:40:39
ITO Toshikazu @toshiitoh

昔の本は、百姓が連帯して農民闘争な本が多く、これも使いにくい。本当の中世農村はもっとドライで殺伐としていたと思うのだが(^^)。

2012-06-21 20:44:06
ITO Toshikazu @toshiitoh

耕している耕地が自分のものになるわけではない(中世後期には変わるが)。いやなら出てきゃいい。年貢さえ払えば荘官に止める権利はない。

2012-06-21 20:51:30
ITO Toshikazu @toshiitoh

そうですね。上部構造の話ばかりと言う意味でした。RT @syakekan: これこそまさに政治の話ではないですか(^^; RT @toshiitoh: 今日の日本社会史では中世百姓の居留の自由の話が好評だったのだが、最近の概説書は政治の話ばかりで、農村生活についての良書が見当たら

2012-06-21 20:54:43