『類別克服法』編集会議(身体均整師会)
@yuri21a そーそー、その作業をやりたいからこその現代語訳ですよっ*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・* やっぱデータ化しとくとやりやすそうですよね*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚
2013-01-07 00:07:54@nihaku どゆこと?はね、私には意味わからんとことかメモるので誰か他の先生がそっと解釈についてフォローしてくださるとか期待((o(^∇^)o))したり。病名について簡単に症状書き込むとか。←医師じゃないからコピペで。
2013-01-07 00:05:27@yuri21a あぁ… でも、てことはだんだんやりやすくなるってこと?? ←ひとごと 手分けしてやりたいとこですよね、 気長によろしくお願いしますm(_ _)m
2013-01-06 23:58:16@nihaku やりやすいかな。どうだろう…結局一言一句見比べなきゃいけないんですよね、それならだーって読みながら打てるのもいいかなとも。ただ変換が(--;)単語登録の嵐。
2013-01-06 23:55:52@yuri21a どうなんでしょう、 UPはなしなのかな? 問題あったら誰か注意してくださるでしょうし、 いちおどっかに引用&転載オッケーって書いてありましたよね。 あと、 櫨山先生のおこしたやつあった方がやりやすいかしら??
2013-01-06 22:57:29@nihaku ちょっと時間があったからやってみましたが、たいへーん。時間かかりますが、少しずつ進めましょう。upがまずけりゃ、草稿で更新し続けて時を待つのも蟻かと。
2013-01-06 22:54:36@yuri21a おおおおおお*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・* あと、 こんな勇気のでる記事をさっきみつけました(・ω・)ノ http://t.co/tTi4DYii みんなで校正しますから気負わずに(・ω・)ノ
2013-01-06 19:40:27#ruibetu 類別克復法の「矛盾克服上の参考」の内容は、『第四回中四国療術学会の記録』にいう「推理・演繹」による「仮説・臆説」との位置づけと思います。類別克復法、特殊奏法、矢野版類別克復法講座集を比べると、発展のあとをたどることができるからです。
2013-01-06 19:16:08#ruibetu フェルマー定理の証明、iPS細胞の発見、ヒックス粒子の発見、いずれもことなる研究者や研究施設での追試を経て同じ結論が検証なしには真理とは認められません。また計測方法の刷新や新事実の発見で過去の「真理」が見直されることもおこります。
2013-01-06 19:15:45#ruibetu 「仮説」とは検証を必要とする仮の説、「臆説」とはあれこれ推し量った説という意味です。「結論」とか合理的解釈といった言葉を避けていますね。科学では信頼できる方法論とデータによって一定の説を発表したからといって即座に承認されるわけではありません。
2013-01-06 19:15:23#ruibetu 『第四回中四国療術学会の記録』(1952)のなかで、亀井先生は科学的療術は、結論よりも(※三浦)、操法並びに操作点を導き出す方法論の科学性が重要だとしています。たとえば「推理・演繹」によって「合理的な解釈」などではなく「仮説・臆説」を設けるとしていますね。
2013-01-06 19:13:00@yuri21a はいっ!! 醤油こと*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
2013-01-05 00:28:59@yuri21a おぉおぉ(((o(*゚▽゚*)o))) ありがとうございます見ました目! *・゜゚・*:.。..。.:*・'(目▽目*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
2013-01-04 14:55:10#ruibetu 綜合的理解においては、さらに進んで、「操法ならびに操作点の価値は人体を物心の総合体とみなすことによって発揮される」ことへと思い進めることであるとされています。ここにおいて十二種体型につらなる考え方の輪郭が浮かび上がってきます。
2013-01-04 13:08:23#ruibetu とくに論述の仕方と関わりが深いのは推理・演繹で、そこでは省察に依拠しながら「事実的に根拠があっても学問的に説明できない」ものに対して、科学的精神、科学的法則に準拠して「仮説・臆説」を設けるとしています。
2013-01-04 13:08:07#ruibetu 蒐集(文献的研究)、整理、立証、観察、省察、推理・演繹、綜合的理解の7段階が科学的療術の研究方法に不可欠だという主張は、そのまま類別克服法の研究法であり、「矛盾を克服する基礎」「矛盾を克服する類別操法」「矛盾克服上の参考」という叙述方法でもあると思います。
2013-01-04 13:07:17#ruibetu 『亀井師範と身体均整法』に紹介していますが、亀井先生は療術運動は基本的なものがかけていて「足元がふらついている」と捉えていました。そういった役割を果たせる人材が見当たらないという事情を汲んで、科学的療術の基礎付けをしなければと思っておられたのです。
2013-01-04 12:55:35#ruibetu いきなり亀井先生の文章を読んだ人は、なぜこれほどこと細かく抽象的な議論がなされているのか理解に苦しむと思います。この難解さは、論述の対象が療術師ではなく、制度設計にあたる医療や厚生政策の専門家に向けてなされていることを考えなければなりません。
2013-01-04 12:55:16#ruibetu つまり個人による体験が重視されながら、それにとどまっていては「科学的方法としては無意味人なるので」その直接体験を「省察」して、体験の具体性を普遍性へと高めなければならないとしているのです。
2013-01-04 12:55:03#ruibetu 「立証」、「観察」というのは個人による体験=直接的な体験、つまり「行為をすること」「受けること」によって得られることが強調されています。そのうえで、各自の行為実践に限定されていてはだめなので、直接体験の省察へと進み、体験の具体性から普遍性を導くとされています。
2013-01-04 12:54:51