青いムーブメント~1988年いかたの脱原発ニューウェーブ~

歴史は繰り返すのか、それとも螺旋を描いて別の場所に到達するのか。
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ありす @alicewonder113

中島眞一郎:私は、この闘いの呼びかけ三団体「グループ・原発なしで暮らしたい(別府)」(代表小原良子)、「原発なしで暮らしたい九州共同行動」(代表松下竜一、事務局長中島眞一郎)、「伊方原発反対八西連絡協議会」の三団体の世話・連絡係の責任者として、この闘いを渦中で体験した。

2012-07-14 22:53:10
ありす @alicewonder113

(一部要約)伊方原発の出力調整実験で、チェルノブイリと同様な事故が起きる危険性を知った大分県別府市の「グループ・原発なしで暮らしたい」の女性たちが、1987年12月に…反対の署名を…全国に呼び掛けた。この署名はすごい反響を呼び、二か月間で100万名を超えた。

2012-07-14 22:54:25
ありす @alicewonder113

(要約)1988年1月16日、四国電力本社に予備折衝の申入400名、1月24日「出力調整実験の中止を求める交流の集い」200名、1月25日四国電力への実験中止申入行動に全国から1000名。子連れの主婦ら200名が交渉中に逃亡した四国電力幹部の帰りを待って本社で一晩泊まり込んだ。

2012-07-14 22:55:25
ありす @alicewonder113

(泊まり込んだ人々は)大量逮捕が予想されるなか、翌日、四国電力の要請に応じた香川県警機動隊の二回目の警告に従い本社内より自主退去。2月11日夕方から実験当日の12日の抗議行動(第二次高松行動)には、全国から5000名が参加。

2012-07-14 22:55:35
ありす @alicewonder113

引用:第二次高松行動にそなえて、四国電力は…本社の敷地境界に高さ二メートルのフェンスを張り巡らした。敷地外の道路上で、数千名が終日抗議行動をさまざまな創意工夫したパフォーマンスで展開した。ダイ・インによる道路封鎖を口実に香川県警の機動隊300名による強制排除も試みられるが、(続

2012-07-14 22:56:39
ありす @alicewonder113

(承前)参加者の強い抵抗にあい押し返され、機動隊に連行された多くの参加者も、警察官の人手が足らなくなり誰もいない護送車から次々と逃げてきたり、公務執行妨害で逮捕した一名も手錠をつけたまま奪還され、逃亡し、逮捕者ゼロに終わる。

2012-07-14 22:57:13
ありす @alicewonder113

要約:2月8日松山東署、松山市内で実験中止のステッカーを張った主婦一名を「屋外広告物条例違反」「軽犯罪違法」の容疑で現行犯逮捕(略式起訴で翌日釈放)、2月18日愛媛県警八幡浜署、伊方原発反対八西連絡協議会会員一名を「建造物不法侵入」「器物損壊」容疑で逮捕、家宅捜査(翌日釈放)。

2012-07-14 23:00:07
ありす @alicewonder113

引用:これらは警察の反対行動への見せしめ逮捕であったが、実験反対の世論の高まりにより、抗議が警察に殺到し、翌日釈放せざるを得なくなった。

2012-07-14 23:08:02
ありす @alicewonder113

引用:三団体による行動だけでなく、1980年代当時、強力な組織的動員力を有していた革新政党や労働組合もそれぞれ独自な…反対行動を取り組んだ。…しかし、全国の多様な行動のなかで、実験を強行した四国電力や他の電力会社、通産省など原発推進勢力をもっとも震え上がらせ、震源地となったのは

2012-07-14 23:08:16
ありす @alicewonder113

(承前)上記の呼びかけ三団体による「いかたの闘い」であった。いかたの闘いは、統一と団結の思想ではなく、バラバラでもよいから、各自の責任で闘いたいように闘えば、より以上に大きな効果を上げることを示した。

2012-07-14 23:08:25
ありす @alicewonder113

引用:いかたの闘いをへて、電力会社は出力調整実験は行うことができなくなり…原発での出力調整運転は以後行われなくなった。そのため、電力会社は、定期点検期間の短縮化や数値のごまかし、原発の寿命の延長、「安全基準」の緩和等に原発の経済性の活路を求めていくことになった。

2012-07-14 23:08:32
ありす @alicewonder113

(感想)こうして今読むと、出力調整という操作と、安全基準の緩和と、どっちが危険だったのかよくわからないな。

2012-07-14 23:09:04
ありす @alicewonder113

要約:関電日高原発計画を頓挫させるなど、いくつかの原発の新規立地を阻む闘いに自信と活力を与えた。

2012-07-14 23:12:27
ありす @alicewonder113

88年1月24日の交流集会で、松下竜一氏「にわかに小原良子さんというわけのわからん人が出てきまして、我々の従来の取り仕切ってきた運動パターンを全く覆し…我々は兜を脱ぎまして、今あなた方についていきますから、何でもしたがいますから命じてくださいという状態です」

2012-07-14 23:15:17
ありす @alicewonder113

引用:松下竜一氏は「本物の運動」とよび、平井孝治氏は「反原発学者仲間から、自分は縁を切られるかもしれないが、この運動に賭けたい」とのべ、私は「この運動にかかわり担い続ければ、私が過去十数年以上の活動で築いてきたものすべてを失うかもしれないが、もはや後には戻れない」と決意した。

2012-07-14 23:17:28
ありす @alicewonder113

引用:それほどいかたの闘いとこれまでの運動の在り方とのギャップは大きかった。…1970年代から80年代の反原発運動の延長上に花開いたものではなく、両者には大きな断絶があった。両者の間には、その原理や運動論、闘争方法をめぐって葛藤があり、前者の介入を排して形成されていった

2012-07-14 23:51:13
ありす @alicewonder113

引用:いかたの闘いは、「二月の出力調整実験を許せば、チェルノブイリ事故の再来を招き、四月も正月も迎えられない」という心からの恐怖と危機感を持った人々によって担われた。その恐怖と危機感を共有できない限り、この闘いは理解できない。

2012-07-14 23:53:43
ありす @alicewonder113

引用:「反原発ニューウェーブ」に対して、当時も、現在も「主婦の集団ヒステリーで、一過性の運動」「非科学的で非論理的運動」「情緒的運動」「お祭り騒ぎで、一基の原発が止められなかった」というレッテルが貼られてきた。

2012-07-14 23:55:19
ありす @alicewonder113

引用:しかし、その対極にあると思われる「集団ヒステリーでない持続型の運動」「科学的で論理的な運動」「非情緒的運動」の立場の人々によっては、この闘いは実現できなかった。

2012-07-14 23:55:24
ありす @alicewonder113

引用:原発や実験の危険性を以前からよく知る人々の「知識」は、実験を止めるための行動に結びつかなかった。いわば、専門的に知っていることと、実験を止めることが大きく乖離していることを明らかにしたのが、いかたの闘いであった

2012-07-14 23:55:30
ありす @alicewonder113

いかたの闘いにおける「タカマツ三原則」①この行動は、参加者一人一人の意思と責任において実施されるもので行動全体を指揮・統率する団体や個人はありません②この行動について、参加者は当事者として何人も同じ位置にいます。すべて一人一人参加者として対等な存在です。以下略

2012-07-15 00:02:32
ありす @alicewonder113

引用:いかたの闘いでは、参加者が対峙している四国電力の幹部、社員、警備員、機動隊員や警察官に対して、原発や出力調整実験の危険性を語りかけ、真剣に説得している姿が至る所で見られた。…当初は威圧的、敵愾心に満ちていた彼らが、しだいに…一人の人間として話を聞くようになっていった。

2012-07-15 00:06:48
ありす @alicewonder113

引用:そこには、「敵-味方の論理」ではなく、原発をつくり推進する組織と生存を脅かされる個人の論理に基づき、推進している組織を支える一人一人を人間として個人に還元無化していくことで、実験の中止や原発のない社会を実現していく考え方に立っていた。

2012-07-15 00:11:03
ありす @alicewonder113

引用:反原発ニューウェーブの論理とは、他人に委ねることで、自立できず、権威を取り込むことで平等を実現できていない自らの在り方を変えようとしている人々の論理である。

2012-07-15 00:13:46
ありす @alicewonder113

引用:いいかえると、原発という個人、個人の人間を支配し、その生存さえ危うくしている組織やそのシステムの転倒した関係を正し、一人一人の個人の生存と幸福を実現するための組織やシステムに作り直そうとするものといえる。

2012-07-15 00:15:31