- KARUBI_Ino
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松永孝義語録18:「俺そーゆーの多いんだよね。『これいいよね』って言うと『この人の実力はこんなもんじゃない!』って怒られるの笑」松永さんお気に入りのディスクがそのアーティスト屈指の駄作であることを小松亮太に指摘されて。小松註:普通の人と全く違う何かをキャッチできる素敵な松永さん!
2012-07-29 10:42:08松永孝義語録:19「今日友達が聴きにくるからキンチョーしちゃうな~」(90年代前半@新宿ミノトール楽屋)小松註:この発言にはMUTE BEATなどレゲエ系のファンにタキシードや白シャツを着ている(異様な)松永孝義の姿を晒すのは、なんか照れちゃうなっていう話も含まれている。
2012-07-30 09:57:45松永孝義語録20:「池波志乃ってぇ!すっげぇスタイル良くてぇ!!(以下失念)」(90年代前半)小松註:ある仕事(力士の祝い事だったと思う)で、最後の三本締めの音頭をとるために姿を現した池波さんの美しさに圧倒されて。当日は黙っていたが数日後に想い出したらしく突然の熱弁。
2012-07-31 11:44:56松永孝義語録21:「えぇぇぇー!?郵便て都内に出しても大阪に出しても料金同じなんすかぁぁぁ」小松註:これは横で聴いていてほんとに驚いた松永発言。この時すでに彼は不惑を迎えていたが、まだまだ浮世離れ感覚は健在であった。
2012-08-01 11:50:14松永孝義語録22:「JAGATARAってライブんときニワトリ殺したりしてた連中なんだよ笑」(94年)小松註:松永さんの紹介でOTOさんや南流石さんの「TANGOS」に参加することができた。JAGATARAの流れを汲む彼らの活動は短かったが新鮮だった。ビクターのアルバムにも参加した
2012-08-01 11:59:58松永孝義語録23:「うんっっと気持ち悪りぃ奴」(小松母に〇ックンてどんな人?と訊かれて)小松註:前面に名前が出ることはなかったが松永さんはポップス界でも活躍した。気持ち悪い人、という語句に対する「うんと」という不適切な接頭語はむしろその過剰さをよく伝えており秀逸な松永言語といえる
2012-08-01 12:13:45@rikiriki1203 でも「俺はアーティストだからいいんだよ!」という感じはなく努めて常識に沿った思考を心掛けていた人なんです。特に30代半ばは努力されてました。でも時々、、、いま追悼文を書いていますが、面白過ぎるエピソードを次々に想い出してしまい逆に作文に苦しんでいます。
2012-08-01 15:23:29松永孝義語録24:「なんか・・・タンゴの人たちって他の音楽の世界のやり方みたいなのを全然知らないっていうかぁ」小松註:音楽的な話ではなく、要は仕事上のノウハウが他の音楽世界に比して時代に即してなさすぎる、という話。若かった僕にこういう話を率直に聞かせてくれたことに感謝している。
2012-08-02 00:17:56松永孝義語録25:「下っ端の奴が『あの~ギャラを・・・』ってリーダーんとこ行ったら噛んでたガムをお札にペッて出してクシャクシャ、ポイッ、拾え!みたいなさぁ笑」小松註:音楽業界のイジメについて教えてくれた小話。松永さんはあるインタビューで昔のジャズ界のイジメを批判的に回想している。
2012-08-02 00:26:59松永孝義語録26:「えぇ~!どこがぁ~?全っ然よくねえよあんなのぉ~!」90年@BsAs。小松註:彼は時折ヒヤッとする本音を吐いた。タンゴの本場で観光ナイズされ切った不甲斐ないライブを聴いた後、僕の父が関係者の日本人に良かったですよ、と社交辞令をする後ろでの発言(しかも大声!)。
2012-08-02 00:41:32松永孝義語録27その1:「俺この前タクシー乗ったらさぁ、すげえ小さい音で運転手さんが音楽かけててぇ、『えッ?これバンドネオンじゃないすか?』っつったら運転手さんのここ(コメカミ)がピクってなってぇ。」「それで『もうちょい音大きくしてもらっていいすか?』っつったらラ・ジュンバなの」
2012-08-04 00:10:42松永孝義語録27その2:「んで、『え!?プグリエーセのラ・ジュンバじゃん!』っつったら又ここ(コメカミ)がピクってなったのね」「そんで、『僕タンゴのベースやっててぇ』っつったら運転手さん『エエェー!』っつって、『藤沢嵐子さんの伴奏しててぇ』っつったら『エエエエエエ!』っつってぇ」
2012-08-04 00:19:50松永孝義語録27その3:「もうずっと『えええええええええええ!!!』」とかいって盛り上がる盛り上がる!笑」(多分90年頃)小松註:この運転手さんはその後何度もライブに来場された。松永さんを「とてもいい青年で・・・」と感動していた。松永さんが亡くなったことをご存じだろうか。
2012-08-04 00:25:55@fortincero_love 本当はタンゴ世界を一歩出れば松永さんはスターでした(タンゴ世界の人たちはそのことを殆ど知りませんでした)が、そんなことはお構いなしに超マイナーなタンゴ世界にも身をおいて小さな出会いも大切にしていました。
2012-08-04 03:11:32これが松永孝義さんが愛したオスバルド・プグリエーセ楽団の「La Yumba」(ラ・ジュンバ)http://t.co/cjvK5NRb メロディ感を極限までセーヴし、ピアノのプグリエーセが考案した「ジュン・!バ!・ジュン!・バ!」というリズムを中心に展開する激烈にして不思議な曲。
2012-08-04 17:22:46松永孝義語録28:「やっぱあの絵がいいんだよぉ笑」(中崎タツヤの漫画について)小松註;15~20年程前スピリッツを愛読していた松永さんに、「『伝染るんです』が読みたいの?」と小松亮太が訊いたら「じみへん」が目当てで買っているとのこと。うん、確かにあれは松永イズムを彷彿とさせる。
2012-08-05 09:16:06松永孝義語録29その1:「徹夜でヨーグルトの賞味期限を決める会議やってんだけど、皆黙って座ったまま2日目でここ(コメカミ)に汗が「タラ」ってなって、3日目んなったらまたここ(コメカミ)「タラタラ」って汗が増えててぇ笑」小松註:「じみへん」がどんな漫画か解説してくれた松永さん。
2012-08-05 09:30:39松永孝義語録29その2:実はその1での松永さんの解説は彼の記憶違い。正しくはヨーグルトの実質的賞味期限を決めるべく食品会社の人達が腐臭に耐え嘔吐に苦しみながら「消費者のため」に腐ったヨーグルトえお喰う話。しかし松永さんはそんなことより無表情な人々の「タラ」に痺れていたわけである。
2012-08-05 10:53:43松永孝義語録29その3:既に皆さんお気づきのように、語録27でご紹介した運転手さんの「ピク」といい、つまり松永言語の中の擬態語の多くは中崎タツヤさんの漫画から多大な影響を受けていると推測できる。そういえば松永さんは「ブリブリ」という擬態語を物凄く不適切に使っていたが、また改めて。
2012-08-05 10:59:35松永さんの事想い出しました。THE世界遺産(今日も18時にオンエアあります)の音楽のレコーディングは松永さん参加の予定でした。2010年春、末っ子と幼稚園にいたら携帯に連絡で「癌が見つかってぇ、結構進行しちゃってたみたいで入院するから」ということで田中伸司さんに変更になったんです
2012-08-05 12:55:55今月発売の雑誌に松永孝義さんのことを寄稿させていただきました。子供の頃から知っている人を限られた紙面で完全に描き切れるわけもないですが、結構なボリュームになったと思います。ツイッターでは書きづらいことも書きました。雑誌に書けないことはこれからもここで呟きます。
2012-08-09 15:43:34@saesaenyan ありがとうございます。想い出しましたが、その曲はベース(このときはエレベでした)は松永さんの演奏と中島ノブユキさんのシンセベースの演奏とを混ぜ混ぜにしてあるんです。エピソードを新たに松永語録に出します。
2012-08-10 10:15:09松永孝義語録30:「いつもの上から目線はど~したんだよぉ~笑」07年春@乃木坂。小松註:生まれて初めて作曲したアニソン「下弦の月」(©モノノ怪)の録音をしていた僕は、タンゴのレコーディングと違い上手く場を仕切れずにいた。「どうしたらいいのかな、、、」と、弱音を吐いた僕に対して。
2012-08-10 11:47:49松永孝義語録31:「くっっだらねえええええぇぇ~!笑笑笑」(97年頃@客船にっぽん丸の食堂)小松註:オーボエ奏者、茂木大輔さんと大学卒業以来蕎麦屋の前でバッタリ遭遇し、手渡された茂木さんの著作「オーケストラ楽器別人間学」を船内でパラ見して感想を叫ぶ松永さん(僕は楽しく拝読汗)。
2012-08-10 23:59:26松永孝義語録32:「弱音器だよ。6千円ぐらいすんだぜぇ、こんなもんがぁ」97年頃。小松註:エレキベースならアンプ、コントラバスなら弓や松脂など付属品を持ち歩くわけだが、その中のゴムの塊みたいなものについて質問した小松への答え。弱音器なんかを持ってるのは彼がクラシック上がりだから。
2012-08-13 23:14:44