【結論】義賢さんのお墓はたしかにちょっとボロいかもしれないけど言うほどじゃなかった!しかも今も立派に管理されて県指定史跡にもなっていた!さらに平成の世にも法要が営まれ新しい供養碑まで建っていた!石碑の文を見る限り地元では尊敬され愛されているようだった!義賢さんは大蔵のヒーローや!
2012-07-30 15:51:54この供養塔があるのは大行院というお寺の敷地内のようです。
【比企郡歴史探訪レポ】供養碑がある場所の近くから鐘の音が・・・音の鳴る方へ行ってみると、立派な鐘堂。しかもお堂の天井は源氏の家紋である笹竜胆がびっしり!平成23年に出来たものらしい。(鐘は自由につくことができました) http://t.co/avrAzp8j
2012-07-30 15:59:18【比企郡歴史探訪レポ】境内にはさまざまな供養塔や像がびっしり。なんだか真新しくてカッコヨイ不動明王像がありました。 http://t.co/K4YvNbx2
2012-07-30 16:04:12【比企郡歴史探訪レポ】境内でワゴンカフェを発見!お店の方に伺ったところ、ここは平成三年に興された大行院というお寺で、数々の供養塔は個人個人が建てたもの。一人一人が卒塔婆を書いて行をするそうです。卒塔婆も独特の形。この辺りは中世の神仏習合の慣わしが残っているとのこと。それはすごい。
2012-07-30 16:04:27きっとこの大行院ができたときに、あの源氏三代供養塔も建てられたのかとおもいます。ワゴンカフェのコーヒーがおいしそうでした。暑さのあまりカルピスとか頼んじゃってちょっと後悔。
2012-07-30 16:06:24菅谷館(畠山重忠公居城)跡
【比企郡歴史探訪レポ】菅谷館跡:さて次は都幾川(ときがわ)を渡って菅谷館跡に向かいます。都幾川の風景はこんな感じ。義賢さんたちがいた頃もこんな風景だったのかな。この都幾川にはバーベキューができるキャンプ場もあります。この夏ぜひどうぞ。 http://t.co/CeUPIjp9
2012-07-30 16:09:26【比企郡歴史探訪レポ】菅谷館跡:菅谷館は鎌倉幕府の有力御家人の一人、畠山重忠公が居住していたといわれる場所。この場所は戦国時代にも城塞が築かれていたようで、堀や土塀などの遺構があります。 http://t.co/ufFuhpsC
2012-07-30 16:11:15【比企郡歴史探訪レポ】菅谷館跡:これが堀らしいのですが・・・なんかすごい草・・・自生してる白いヤマユリがところどころに咲いていてキレイです。ちょうど今が見頃! http://t.co/8ZAJyU9P
2012-07-30 16:12:00比企郡歴史探訪レポ】菅谷館跡:重忠公と菅谷館跡の説明版。重忠公が討たれた二俣川の合戦の際、この館から出発したことが吾妻鏡(鎌倉幕府の歴史書)に書かれているそうです。鎌倉街道に接しているから、大蔵館と同じように要所を締める館だったのかと。 http://t.co/UqWUaoP4
2012-07-30 16:14:18重忠公は三浦義明娘を母にもつが、頼朝の石橋山挙兵の際には平氏方で参加して源氏方の三浦氏を攻め、このとき祖父義明公は戦死してしまう。その後は鎌倉幕府の重臣となり治承・寿永の乱(いわゆる源平合戦)で数々の武功をたてる。しかし頼朝の死後、二俣川の合戦により誅殺される。享年42。
2012-07-30 16:16:01二俣川の合戦には三浦氏一族も参加していたというから、三浦氏にとっては敵討ちの合戦だったのでしょう。それにしても三浦氏との因縁浅からぬ重忠公。ちなみに大蔵合戦で義賢公を討った源義平公は、義朝公と三浦義明娘との間に生まれた子だそうです。三浦氏も魅力的!
2012-07-30 16:18:02【比企郡歴史探訪レポ】菅谷館跡:敷地内にある重忠公の像。重忠公といえば義仲公の愛妾巴御前と一騎打ちしたとか、一の谷の合戦で一人だけ馬を担いで駆け降りたとか、なんか常人離れした武勇伝がたくさん・・・ http://t.co/mqVW9ADT
2012-07-30 16:20:19菅谷館跡の敷地内にある嵐山史跡の博物館も見どころです!
【比企郡歴史探訪レポ】菅谷館跡:同じく敷地内に嵐山史跡の博物館があります。映像資料が充実しているようなのでまたゆっくり行きたい。ここに重忠ロボットがあるというので楽しみにしていたのに故障中だった・・・(重忠ロボットの衝撃写真はこちら→ http://t.co/25UZBkXP )
2012-07-30 16:21:52おしまい
ということで今回の比企郡歴史探訪レポは以上で終了!長々とお付き合いいただきありがとうございました。比企郡嵐山町は自然豊かなとても良いところでした。今回行けなかった史跡も沢山あるので、またゆっくり訪れたい。最後に大行院の供養塔前にあった板碑から言葉を借りて結びとします。
2012-07-30 16:23:09「自然と緑を重んじ故郷を愛し先人の遺風を尊び両親に孝養をつくしすべての人に忠(まごころ)と恕(おもいやり)を以て接するという上人の意志の一層の実現即ち天人合一の人道の振興を期そうとするものである この郷に光あれ この里に幸あれ」
2012-07-30 16:23:33