笠井潔さん:清涼院流水への評価の変遷について
つながりやエゴサーチで引っかかった中傷は無視することにしているが、清涼院評価を誤ったことを、笠井は自己批判していないとかほざくような無知蒙昧な輩には、『探偵小説と記号的人物』を読めといいたい。
2012-08-07 02:14:57マルクス評価を変えたとき『テロルの現象学』を書いた。同じように、清涼院評価を変えたとき『探偵小説と記号的人物』を書いた。知りもしないことを偉そうにほざく、下らない人間はどこにでもいるということだろうが。
2012-08-07 02:17:38このことは宇山秀雄氏の葬儀の際、清涼院自身にも伝えたが、そもそも清涼院が世に出るきっかけを作ったのは笠井である。兄弟の先輩たちは、清涼院が自作を一挙掲載した京大ミス研の部誌を、意図的か偶然かは知らないが、宇山氏に渡していなかった。
2012-08-07 02:26:59新本格バッシングのときもそうだったが、反感を抱く連中は公に批判を書こうとしない。清涼院野場合も、業界での陰口が蔓延していた。こうした風土はジャンルを腐らせる。京大の先輩に、そこまでいうなら、ちゃんと批判を書けよといった。「いや、後輩の足はひっぱりたくないから」という返答だった。
2012-08-07 02:29:47わが家でスキーツアーをやったときのことで、先輩が清涼院を誹謗している場には、新本格関係の作家や評論家や編集者が20人もいた。まだ第一作が出る前のことだ。その話を聴いた編集者、その他は、だったら読まなくていいと思ったろう。
2012-08-07 02:32:33清涼院を褒めたりすれば、すでにプロ作家である諸先輩の逆鱗に触れかねないと思ったかも知れない。立派に足を引っぱっているわけで、こちらのほうが公的な批判を書かれるより、新人にとっては実効的な打撃になる。
2012-08-07 02:36:08ジャンルの腐敗を阻止するため、そのころ目に着いた本格としての「構築なき脱構築」派の一人として、だれもやらない清涼院批判を書いた。清涼院一人を標的にしていたわけではない。80年代ポストモダンの一週遅れの反復にすぎない「構築なき脱構築」派の一人と、清涼院を見誤ったのは間違っていた。
2012-08-07 02:41:05笠井潔の、今ツイートで話題にしてる評論だけはちょうど去年読んだけど、本人がまさに今言ってる通り「自分は清涼院流水や以降出てきたメフィスト系の作家に対して懐疑的に見てきたけど、少なくとも無視できない存在だし一部に対しては考察を改める必要がある」と要約できる内容だったと思う
2012-08-07 02:43:50そう思ったのは2002年のことで、清涼院のフォロワーとして脱格系が袋叩きになっていたときのことだ。刊行されている時評集を読めば判るが、舞城も西尾もデビュー当時から注目し評価していた。これらの新人の存在を無視しては、本格の将来は論じられないと考え始めた。
2012-08-07 02:45:33キャラ性やゲーム性などなど、21世紀探偵小説にとって不可避である新たな問題を提起した新人が、清涼院から出発しているとすれば、清涼院評価を改めなければならない。そうして書いたのが『探偵小説と記号的人物』で、作中ではかつての清涼院評価の誤りを公に自己批判している。
2012-08-07 02:47:16こういう事情も知らない阿呆が、一面的な思いこみで他人を中傷する。勝手にしろと言うしかない。怒り心頭で連続アップしたので、ミスタッチや変換間違いも多いだろうが、支離滅裂ではないはず。文意はとれるだろう。不愉快なので、これからしばらくつながりは見ないことにする。
2012-08-07 02:51:09笠井潔氏がツイートで述べていたように以前抱いていた清涼院に対する考え一部改めないといけないということが『探偵小説と記号的人物』には書かれている。ミネルヴァシリーズは3作目と5作目を読んだけど、1、2、4作目も読まなきゃ。
2012-08-07 03:15:32ちなみに清涼院は、笠井の自己批判を受けいれたうえで、阪神大震災が創作のきっかけだったことを正確に理解してもらいたいと注文していた。この点は『21世紀探偵小説』で飯田一史が検証している。
2012-08-07 03:20:35大塚=清涼院には、マンガのノベライズ( 『20世紀探偵神話』だったか)で、笠井は公安だとか、からかわれたことがある。この程度のことは笑って水に流す程度の度量は、生涯一ガキにもある。「報復」(笑)として、大塚をモデル人物にしてからかったし。
2012-08-07 03:24:37しかし、どうして清涼院の評価を誤ったのだろう。断続的に20年ほど続けてきた時評家として、有力新人を見抜いてきた自信がある。伊坂幸太郎や舞城王太郎から辻村深月にいたるまで、第一作か第二作の時点で、担当していた長文書評(約15枚で、評論としても読める)で取りあげている。
2012-08-07 04:07:08この点は、4冊ある時評集を読んでもらえれば、誰にも確認できることだ。しかし清涼院の場合は判断が間違っていた。若いころから鍛えてきた評価基準が通用しないほど、根本的に新しかったのだろう。この新しさを頑固オヤジ的に、自分の世代経験を特権化して、自己保身的に無視するという選択はある。
2012-08-07 04:11:07しかし、それは間違っていると思った。清涼院の新しさを理解できなかった自分のほうを、21世紀的に改造しなければならないと。そう思えたのは、なにも失うものがない生涯一ガキだったからだ。キャラ性やゲーム性に無自覚だった自分を改造するため、『探偵小説と記号的人物』を書いた。
2012-08-07 04:13:39これには、当時つきあいのあった東浩紀の影響も大きい。この点、いまでは遠くに離れてしまったが、東には感謝している。とはいえ、時代はさらに変貌しつつある。大塚英志や東浩紀、あるいは清涼院から西尾維新にいたる世代もまた、自分を変えようとしなければ時代に追い越されるだろう。
2012-08-07 04:17:03東の場合、オタクの代弁者から『一般意志2・0』への転換が、それに当たるのかも しれない。3・11以降の事態について、東より先に自前憲法運動をやっていた大塚は、長い沈黙を続けている。大塚の沈黙は、「おたく」左翼的な立ち位置が、失効したという自覚の結果なのだろう。
2012-08-07 04:20:44東の転換は時代的な嗅覚の産物だとしても、ラディカルとはいえない。この間のデモに対する否定的態度が、それを示している。理論的にいえばカール・シュミットだが、ようするに民主主義義国家はデモが作ったという事実を見ようとしない、その精神分析的な意味での頑強な「否認」の姿勢に先にはない。
2012-08-07 04:24:12オタクの代弁者から立場を転換したとしても、デモなんて嫌いだ、やっても効果はない、やるのはバカだけだというポストモダン世代の固定観念に、ずっぽりとはまりこんでいる。そういう自分が時代遅れなら、それでもいいと居直っているふしもある。そうした理念的自己保身は、思想的でない。
2012-08-07 04:27:30糸井重里の場合と同じで、そうした頑固さは嫌いでない。むしろ東が、坂本龍一や中沢新一のように反原発の旗振り役に転身していたら、より深い嫌悪感を感じたろう。しかし、それでも、国家の起源を見ようとしない、考えようとしない東思想の脆弱性は問題だ。
2012-08-07 04:31:29