- Ryohei_TMD
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産業革命以降、穀物の脱穀、選別、乾燥は比較的早期に機械化された。が、籾摺りだけはなんと第二次大戦後に至るまで手作業だった。そして思うに、籾摺りこそ穀物の種子の食糧化の最大の難関なのだ。
2012-10-31 09:57:46作ってみてわかったのは、米は収穫した後が大変だということだった。稲木立て、はざかけ、脱穀、選別、籾摺りはそれぞれが田植え、稲刈りに負けず劣らず手間がかかる作業。が、数年間保存が利くことと「完全食」と言わせるほどの栄養価は米の最大のメリット。
2012-10-31 09:51:47稲という植物の種子を特に米と呼ぶところに、この国の民の稲に寄せる思いが込められている。その思いは時と共に変遷していっただろうが、「米」という命名は米への経済上の価値の付加より先にあったと想像している。
2012-10-31 07:57:13稲は、籾蒔きや水田の場合は水の調整以外は、各段階の作業の時期がある程度前後しても大丈夫だ。田植えが一週間に及んでも、稲刈りだったら半月かかっても、大勢に影響はない。つまり、作りやすい作物なのだと思う。
2012-10-31 07:06:08どんな道具を選ぶかはその人の感覚や考え方や実状によるが、より原始的な道具を使ったからといって人工的な道具より自然に即した成果を出せるとは限らない。楽器、画具、調理器具、農機具などなど、道具というものは使い方次第なのだな。
2012-10-21 18:46:30きょうも長柄を使って泥田に溝を切る作業をした。このやり方を見つけたことで、溝掘りをあと30年続けることができる可能性が見えてきた。
2012-10-21 18:28:53来年は水田をやめ、半陸稲的栽培をすることに決めたらドジョウが帰ってきたという皮肉。これから掘る貯水溝の数を倍にしようっと。どぜう鍋のためならなんだってするさ。
2012-10-21 18:26:35きょう、マイ田んぼでドジョウを見つけたっ。ドジョウが帰ってくる日をどれほど待ちわびたことか。それは、叶わない夢やも知れぬとも思っていた。
2012-10-21 18:22:10@kouichhoshihara 桜の木が多い狩場。いいな〜。色んな和人がいたでしょうけど、桜の木の多い山で狩りをするアイヌの人々を見てkarinpaの音を借りて狩場と地名を付けた和人がいたとすれば、きっとアイヌの人々に深い憧憬を抱いたんでしょうね。
2012-10-18 18:06:33@kouichhoshihara イウォロを侵すことは厳禁だったのですね。「イウォロとは生活資源確保の場」ともありましたが「狩場」という表現になんとも言えない野趣とドラマと、自然に包まれている安心のようなものを感じます。
2012-10-18 12:58:29農耕栽培生活は歴史的に狩猟採集生活より後に発生したから狩猟採集生活の発展形であると言えなくもないが一概にそうは言えないやも知れぬというあたりもだな。
2012-10-18 08:33:05土地の所有権が明確でない所の狩猟採集民同士は獲物をめぐって争うだろう。そのリスクを避けるための農耕栽培なのだと言えなくもないがそうではないというあたりも。
2012-10-18 08:28:16現代に狩猟採集生活をするならドロボーにならざるを得ないからおとなしく自分ちで米・野菜を栽培すると言えなくもないがそうではないというあたりをば。
2012-10-18 08:21:30モンキチョウって、いつも飛んでいるというより舞っている感じだな。アキアカネはいつも注意深い。カケスはいつも怒ってるし、ムカデはいつもあわててる。イモリはいつもぼーっとしてるし、そんでサワガニは、いつも静かで騒がにー。
2012-10-16 14:52:10