指導者層から見る60年安保闘争――島成郎『ブント私史』(1999年)より
[history][quote]「国会デモに続くこの羽田闘争〔60年1月〕に対し、ジャーナリズムは一斉に批難を浴びせた」「自民党・政府は全学連に対する特別立法、『暴力学生』の大量検挙、長期拘留、国会デモの規制を言明した」(島成郎(1999:102))
2012-08-26 21:17:07[history][quote]「社会党、総評は統一行動を乱すものとして安保共闘会議からの全学連排除を正式に決定した。共産党は『反革命挑発者』『民主勢力の中に送りこまれた敵の手先』の追放を叫んで目の色を変えていた」(島成郎(1999:102))
2012-08-26 21:17:49[history][quote]「80名に及ぶ検挙者にも拘わらずこの救援活動に応ずる弁護士は一人もいなかった。ブント内部でも指導部を根こそぎパクラれるような戦術への風当たりも強かった」(島成郎(1999:102))
2012-08-26 21:18:32[history][quote]「しかし不思議と私には殆ど動揺はなかった。またブントのなかにも『悲愴感』のような暗さはいささかも感じられなかった」(島成郎(1999:103))
2012-08-26 21:18:59[history][quote]「私を深く支えていたのはこの闘いのなかで生まれた全く新しい大衆運動の現出であった。明らかに私たちブントの闘いによって、政治にとって、安保闘争にとって、人民運動にとって流動する状況が生まれたという確信である」(島成郎(1999:103))
2012-08-26 21:36:12[history][quote] 「兆候は至るところに現れていた。幹部の締めつけにも拘わらず下部労組のいくつかは公然と全学連との共闘を宣言する。*共産党下部党員も中央の必死のトロツキスト狩りに抗してブント支持を表明するものが相次ぐ」(島成郎(1999:104))
2012-08-26 21:37:01[history][quote]「港地区委員会は反中央・反スターリン主義を表明、三月ブントへの合流を決定する。羽田闘争に学連とともに参加した長崎造船労働者細胞もブント結集を決める」(島成郎(1999:104))
2012-08-26 21:38:56[history][quote]「決定的時期に運動の抑圧にのみ奔走した指導部を批判した清水幾太郎・末川博・石川達三ら十七名の文化人が声明を発表する。ブント事務所に名も知らない人々からの激励と共感のメッセージやカンパが引きもきらず寄せられてくる。一つの雪崩が起き始めたのだ」ibid
2012-08-26 21:39:52[history][quote]「さて〔1960年〕二月、三月、新条約調印を終えた安保攻防戦の舞台は再び国会に移り、最終批准を前にして与野党の口舌戦が議事堂のなかで続けられていた」(島成郎(1999:106))
2012-08-26 22:08:22[history][quote]「過重な役割をひきうけたブント中央にも微妙な変化があらわれる。『一挙にふくれ上がったブントの内部固めに力を注ぐべき時期だ』『大衆運動に埋没せず綱領討議を中心にして理論的一致をはかるべきだ』*などなどの意見である」(島成郎(1999:107f))
2012-08-26 22:09:09[history][quote]「一理あるこれらの意見に耳を傾けながらも私は、*今は手を休めることなく攻撃の時期、ブントはここにこそ賭けるべきだと強く主張した」(島成郎(1999:108))
2012-08-26 22:09:53[history][quote]「と同時に暮からの闘いに身をおくことによって、これまでの『左翼』批判の視点も更に一歩踏みこんで考えるべきだとの思いにとらわれていた」(島成郎(1999:108))
2012-08-26 22:11:27[history][quote]「安保闘争における社共の日和見主義は、あれやこれやの戦略戦術上の次元のものではない、『社会主義』を掲げ『革命』を叫んで大衆を煽動しつづけてきたが、果たして一回でも本気で権力獲得を目ざした闘いを指向したことがあるか」(島成郎(1999:108))
2012-08-26 22:12:07[history][quote]「権力を獲得しいかなる社会主義を日本において実現するのか、どんな新しい国家をつくるのか一度でも真剣に考えたことがあるのか、という疑問である。答えはもちろんノンである」(島成郎(1999:108)
2012-08-26 22:12:33[history][quote]「それではしからばブントはどうなのか。*権力獲得を一度も真剣な課題とせず、反対運動を自派勢力拡大の手段としてしか考えぬ左翼とブントはどれほど異なっているのだろうか?」(島成郎(1999:108f))
2012-08-26 22:13:37[history][quote]「反スタ、反帝とスローガンを掲げ、やや過激な戦術を対置させたからといって、それは同じ次元の*ものではなかろうか?」(島成郎(1999:109))
2012-08-26 22:15:25[photo] 島氏の写真もあげておく. / 1983年4月、沖縄の自宅でくつろぐ. (古賀康正氏提供) / 島成郎記念文集刊行会(2002)『ブント書記長島成郎を読む―島成郎と60年安保の時代〈1〉』, p.243 http://t.co/052d6Rcy
2012-08-29 01:49:28