前田泰樹『心の文法』合評会補遺

「EMの方法論は何か」という問いをめぐって、懇親会で榊原さんとお話ししていたこと。
5
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

エスノメソドロジー(EM)研究を特徴づける方法論は何か?EMは、データを集め、そのデータを最もよく説明する理論を打ち立てているわけではない。また、実践のメンバーの考えを了解することは必要かもしれないが、それがEMを特徴づける方法論ではないと思う。

2012-09-10 23:32:31
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

EMを特徴づける方法論は、参加(participation)であると思う。だからEM研究者は、研究成果についてどうやってそれを知ったのかと問われたら、私は研究対象となる言語ゲームに参加してきたからだと答えればいいのではないだろうか。参与観察という言葉もある。

2012-09-10 23:43:33
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

観察による知識に対して、参加による知識knowledge by participation(=分有による知識)というものがあるのではないだろうか。これは、母国語話者の母国語についての判断に権威性があるように、一人前のゲーム参加者がゲームに対して持つ権威性に由来する知識である。

2012-09-10 23:52:37
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

個人精神療法の治療対象は個人であり、個人を知る方法は了解である。対して、家族システム療法では治療対象は家族であり、家族を知る方法はjoiningと呼ばれている。これは、問題をはらむ家族に見られる独特の家族ルールに治療者が同調し、一旦は「家族ゲーム」に参加することである。

2012-09-11 00:05:56
Eisuke SAKAKIBARA @Acrographia

その限りで家族システム療法家とエスノメソドロジストは似ている所がある。もちろん家族システム療法家は、ゲームのルールを記述することが目的ではなく、ルールを変えることが目的なのであるが。

2012-09-11 00:10:05

KOMIYA Tomone @frroots

EM研究にとって「参加」が重要な要素であることは疑いがないけれど、それを「方法論」と呼ぶのはやっぱり違和感があるな。

2012-09-11 00:26:14
KOMIYA Tomone @frroots

研究対象となる実践に、部分的にであれ下手くそにであれ可能的にであれ「参加」できて、「そこで何が起きているかわかる」ことは、EM研究が開始できるための前提条件であって、EM研究の一部分ではないように思う。

2012-09-11 00:26:38
KOMIYA Tomone @frroots

「どうやってそれを知ったのか」と問われてEM研究者が正当化しなければならないのは、「そこで何が起きているか」という事実についての主張ではなく、「そこで起きている『それ』を、私たちはどのようにして『他ではなくそれ』と理解することができているのか」という「方法」についての主張だ。

2012-09-11 00:27:12

KOMIYA Tomone @frroots

昨日、「EM研究者が正当化すべき主張は (1)そこで何が起きているか ではなく (2)そこで起きている『それ』を、私たちはどのようにして『他ではなくそれ』と理解することができているのか だ」と書いたことへの補足。 https://t.co/keVH5kcl

2012-09-11 08:24:56
KOMIYA Tomone @frroots

もちろん、研究者にとってなじみのない実践を研究対象とするときは、「何が起きているかわかる」ためにまず「参加」の訓練が必要になる。でも、「参与観察」とか「フィールドワーク」とか呼ばれるそれは、厳密には、EM研究の一部ではないといわれるべきではないか。

2012-09-11 00:27:43
KOMIYA Tomone @frroots

そうは言っても、読者にとってなじみの薄い、あるいはふだんほとんど意識することないような実践の研究を提示する場合は、(2)を納得してもらうことを通して(1)を理解してもらわなければならない。

2012-09-11 08:25:12
KOMIYA Tomone @frroots

その場合は、(1)も「正当化すべき主張」だと言えるかもしれない。けれど、(1)が正当化されるのは(EM研究では)あくまで(2)が正当化されることにおいてでなくてはならないのであって、「私はそこに参加してきたから」ということによってではない。

2012-09-11 08:25:27
KOMIYA Tomone @frroots

難しいのは、読者になじみがない、あるいは普段ほとんど意識しない実践が研究対象の場合であればあるほど、(2)がうまくいかないと、(1)ももっともらしく見えない、ということ。

2012-09-11 08:25:39
KOMIYA Tomone @frroots

そうすると、「そもそもなんでこの(1)は正当化されうるのか」という疑問が生じて、しかも非EM研究者にとっては、その疑問がEM研究に原理的に内在する困難に由来するのか、たまたまそこで(2)の分析がうまくいっていないことに由来するのかの区別がつきにくい。

2012-09-11 08:25:49
KOMIYA Tomone @frroots

一昨日の研究会で生じていた混乱は、部分的にはそういうことだったのかもしれない。もしそうなら、一見「EM研究の方針」に向かって投げかけられている疑問に対しては、「方針の定式化」によって返すのではなく、「分析の再提示」によって返す、ということがあってもよかった。

2012-09-11 08:26:09
KOMIYA Tomone @frroots

そうすればもうちょっと「主張内容の検討」もできたかもしれない。

2012-09-11 08:27:01