山本七平botまとめ/【空気の研究②】/臨在感的把握の絶対化がもたらす「物神化と偶像支配」

山本七平著『「空気」の研究』/「空気」の研究/40頁以降より抜粋引用。
3
山本七平bot @yamamoto7hei

①ここに臨在感的把握という伝統を無視した明治以来の誤れる啓蒙主義的行き方の結果があると思うが、以上のような言い方はあまりに抽象的で意をつくさないうえ、私は元来、こういう言い方は奸まないから、重複するが、次に例をあげて説明しよう。<『「空気」の研究』

2012-10-02 07:27:56
山本七平bot @yamamoto7hei

②以上の関係が最も明確に出るのは対象が物質の場合だから(いわば感情移入による臨在感的把握の絶対化が、相互に起らない、すなわちお互いに感情移入をしあわないから)、前述の骨とカドミウム金属棒を例にとろう。

2012-10-02 07:57:41
山本七平bot @yamamoto7hei

③日本人が、人骨に何かが臨在すると感じ、その感じが知らず知らずのうちに絶対化されて、その結果、逆に人骨に心理的に支配されて、病的状態になる。この原因は、おそらく、村松剛氏が『死の日本文学史』で指摘しているような伝統に基づく、歴史的所産であろう。

2012-10-02 08:28:07
山本七平bot @yamamoto7hei

④すなわち、人の霊はその遺体・遺骨の周辺にとどまり、この霊が人間と交流しうるという記紀万葉以来の伝統的な世界観に基づいている。こういう伝統は西欧にはない。

2012-10-02 08:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤ギリシャ人は肉体を牢獄と見、そこに「霊」がとじこめられており、死はこの霊の牢獄からの解放であり、解放された霊は天界の霊界の中にのぼって行ってしまうと考えた。そして残った「牢獄」は物質にすぎない。その牢獄のまわりを霊がうろうろしていることはない。

2012-10-02 09:28:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥ヘブライ人の見方はこれと違い、こういう見方に非常に懐疑的な一面があったことは、旧約聖書のコーヘレスの書の「人の霊が天に昇るなどというが、そんなことはだれに証明できよう」といった意味の言葉にも表われている。

2012-10-02 09:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦とはいえ、ヨセフスの『ユダヤ戦記』は、最も伝統的と自己規定したエッセネ派の考え方が、ギリシャ人と極めてよく似た考え方であったことを記している。従って両者の差は、別の研究課題であるが、しかし、少なくとも両者には共に、人骨に何かが臨在すると見る伝統はない。

2012-10-02 10:28:09
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧ただこういう伝統は、日本であれ西欧であれ地下水の如くに絶えまなく執拗に流れつづけているにしろ、その存在の証明は、村松氏の著作のような膨大な文猷による裏付けを必要とする。

2012-10-02 10:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨この点、カドミウム金属棒は、それへの臨在感的把握の絶対化、その絶対化に基づく、金属棒による被支配と、それに至る歴史的過程が非常に明確にきわめて短期間に出ているから、長い歴史に基づきかつ表面に表われにくい人骨よりわかりやすい。

2012-10-02 11:28:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩もっとも、わかりやすいということは、その醸成の歴史的過程がすぐわかるからだが、しかし反面その「空気」は簡単に雲散霧消してしまうので、別な面で、すぐわからなくなるという欠陥がある。

2012-10-02 11:57:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪いずれにせよ、イタイイタイ病発生以前に、カドミウム金属棒を見て記者がのけぞることも、逃げ出すことも、またそれに対して金属棒をナメて見せる必要も、絶対にありえないであろう。従ってこの歴史は人骨と比べるときわめて新しくかつ短い。文明開化の明治以降の出来事なのである。

2012-10-02 12:28:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫カドミウム鉱山は世界に数多いが、イタイイタイ病が存在するのは神通川流域だけだそうである(もっとも私自身それを調べたのではないから確認はできないが)。勿論カドミウム金属棒は、普通の金属棒であって、それから何かが発散しているわけではない、遺跡の人骨という物質と同じである。

2012-10-02 12:57:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬こんな事は小学生にもわかる科学的常識であろう。従って今、イ病について何も知らず「科学的常識」しか持たぬ外国人と前述の日本人記者とが、同席で「あの本の持参者である某氏」と記者会見したとする。カドミウム金属棒が出される。これは誰にとっても同じ物質すなわち「金属棒」にすぎない。

2012-10-02 13:28:11
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭それは人骨が、誰にとっても同じ「物質」にすぎないのと同じである。ところが日本人記者団はのけぞって逃げ出した。何でもありませんと言って某氏はペロリと金属棒をナメた。この状態は、そこに同席した外国人記者団にとって、全く理解できない状態であろう。

2012-10-02 13:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮そしてもしこの金属棒を、発掘場の人骨のように、毎日毎日運搬させたら、日本人記者団の方はおそらく熱を出し、外国人の方は平然としているであろう。この状態の差は、言うまでもなくその時点までの「イ病史」という「写真と言葉で記された描写の集積の歴史」の所産である。

2012-10-02 14:28:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯記者たちはイ病の悲惨な状態を臨在感的に捉え、そう捉える事によって、この悲惨をカドミウム金具棒に「乗り移らせ」(すなわち感情移入し)乗り移らせた事によって、その金属棒という物質の背後に悲惨を臨在させ、その臨在感的把握を絶対化する事によって、その金属棒に逆に支配された訳である。

2012-10-02 14:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰絶対化されているから、この際、自分と同じ人間がその金属棒を平然と手にしていることは忘れられる。これは人骨処理でも同じである。従ってこの図式を悪用すれば、カドミウム金属棒を手にすることによって、一群の人間を支配することが可能になるのである。

2012-10-02 15:28:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱言うまでもなくこれが物神化であり、それを利用した偶像による支配であるが、明治以来の啓蒙され”科学化”された現代人は、これを「カドミウム金属棒の振りまく」「その場の空気」に支配されて、思わずのけぞったり逃げ出したりした、と表現するわけである。

2012-10-02 15:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲もちろんカドミウム金属棒はその一例にすぎず、対象は前述した自動車でも、またその他のどんな物質でも可能であり、昔の人の表現を借りれば、「イワシの頭」で十分なのである。

2012-10-02 16:28:05