山本七平botまとめ/『なぜ人は論理的説得で心的転回を起こさないのか?』~”黙示的”思想伝達手法に抗えぬ日本人~

山本七平著『「空気」の研究』/日本的根本主義について/212頁以降より抜粋引用
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山本七平bot @yamamoto7hei

1】日本人は「情況を臨在感的に把握し、それによってその情況に逆に支配される事によって動き、これが起る以前にその情況の到来を論理的体系的に論証してもそれでは動かないが、瞬間的に情況に対応できる点では天才的」という意味の事を中根千枝氏は大変に面白い言葉で要約している。<「空気」の研究

2012-06-06 21:26:54
山本七平bot @yamamoto7hei

2】「熱いものにさわって、ジュッといって反射的に飛び退くまでは、それが熱いと幾ら説明しても受けつけないしかし、ジュッといった時の対応は実に巧みで、大けがはしない」と。オイルショックのときの対応の仕方は、まさにこの言葉の通りだが、過去を振り返ってみれば、公害問題でも同じである。

2012-06-06 21:58:40
山本七平bot @yamamoto7hei

3】この傾向は確かに我々にあり、またあって当然と言わねばならない。我々は情況の変化には反射的に対応はし得ても、将来の情況を言葉で構成した予測には対応し得ない

2012-06-06 22:26:53
山本七平bot @yamamoto7hei

4】前に”カドミウム”のところで「科学は万能ではない」という新聞投書を引用したが、その人が主張のつもりで言っていることは実は「現実」であって、言葉による科学的論証は、臨在感的把握の前に無力であったし、今も無力である

2012-06-06 23:02:32
山本七平bot @yamamoto7hei

5】戦時中もそうであったが、この事は戦後も変っていない。「 #大躍進 」の時、桶谷繁雄氏が専門の冶金学の立場から中国の土法製鋼で鉄ができる筈がない事を論証したところ、総攻撃にあった経験を記しておられる。

2012-06-06 23:27:09
山本七平bot @yamamoto7hei

6】冶金学者の科学的技術的専門的論証は誰も信用せず、土法高炉が立ち並ぶ壮大な写真に人々とは反応する訳である。同じように洗剤騒動の時、メーカーは少しも売り惜しみをしていないし、減産をしている訳でない事をいかに論証しても無駄であった事を、ある会社の社長が(続

2012-06-06 23:58:24
山本七平bot @yamamoto7hei

7】続>「あれにはホトホト弱り果てた」といった口調で話された事があった。この場合も、この社長がどのように論証したところで、洗剤が倉庫に山積みになっており、代議士などの摘発隊が勇ましくブッている写真と記事の方に人は反応する訳である。

2012-06-07 00:26:31
山本七平bot @yamamoto7hei

8】同じ事は今もなお行なわれている。先日原子力発電の今井隆吉博士が「その人に提供し、その結果その人がもっている筈の情報量と、その人の態度変更とは関係ない」事が、様々の調査の結果明らかになり非常に驚いた旨話された。

2012-06-07 00:57:12
山本七平bot @yamamoto7hei

9】簡単にいえば原子力発電について三、四時間かけて正確な情報を提供し、相手の質問にも応じ、相手は完全に納得した筈なのに、相手はそれで態度は変えない。そして、今の説明を否定するかの如く見える一枚の写真を見せられると、その方に反応してしまうという。

2012-06-07 01:26:30
山本七平bot @yamamoto7hei

10】これも土法高炉の写真に反応するのと原則的には同じ事であろう。これは桶谷氏の二十年近い昔の体験と極めて似ている――いかに土法で鉄が出来ぬと専門家が学問的にこれを論証しても、また人々がその論証に納得してもそれで態度を変えず、一枚の壮大な写真の方に反応してしまう。

2012-06-07 01:56:55
山本七平bot @yamamoto7hei

11】そしてこれはまさに戦争中の状態なのである。こういう事例は挙げて行けば際限がない、というより逆の事例を探す方が困難な訳である。ではこういう傾向は日本人だけのものであろうか。決してそうではない。また、映像を否定して論証だけにすればこれがなくなるのであろうか。決してそうではない。

2012-06-07 02:26:43
山本七平bot @yamamoto7hei

12】非論理的な言葉の積み重ねが映像的に把握され、人がこれを臨在感的に把握してそれに拘束される場合があり、その典型的な例をあげれば黙示文学である。黙示文学といっても日本ではヨハネ黙示録しか知られておらず、それも殆ど読まれずかつ研究もされていないが、これは簡単にいえばある種の(続

2012-06-07 02:56:45
山本七平bot @yamamoto7hei

13】続>「言葉の映像」を順次に読者に提供していく事によって、ある状態に読者を拘束してしまう文学だと言ってよい。そしてこれに拘束されると、人はたとえ論理的に論破されても心的転回を起さず、そのままでは確実に殺される事を論証されても態度を変えずに殉教してしまうわけである。

2012-06-07 03:26:37
山本七平bot @yamamoto7hei

14】黙示文学にはしばしば神話的手法が使われ~略~戦前の歴史教科書は「神話を事実として教えた」というより一種の黙示文学と考えた方が合理的で、これに拘束された人は例え日本の破滅を論証しようとそのまま進めば死しかないと証明されようとそれによって態度を変えなくて不思議ではないのである。

2012-06-07 03:56:48
山本七平bot @yamamoto7hei

15】そしてこの事は、日本人が特別に異常な民族でない事を物語っている。人間は同じ人間であるが故に、ある情況になればある反応をして当然であり、従って別の状態におかれれば別の行き方をするというだけの事である。

2012-06-07 04:26:38
山本七平bot @yamamoto7hei

16】何故こうなるのか? 「描写とか図像には思想性はない」と人が思い込んでいるからである。

2012-06-07 04:56:42
山本七平bot @yamamoto7hei

17】ところが描写も図像も一つの思想を伝達しており、ある図像がどの様な思想を伝達したかを研究する図像学(イコノグラフィ)という学問もあり、黙示文学もこの観点から「言葉にする連続的な映像の積み重ねによる思想の伝達方法」として研究されねばならないのである。

2012-06-07 05:26:29
山本七平bot @yamamoto7hei

18】以上のような目で日本の新聞を読む時、人々はそれが、ある種の思想を黙示録的に伝達する事によって、その読者に一切の論理・論証を受付け得ない様にして来た事の謎が解ける筈である。

2012-06-07 05:56:48
山本七平bot @yamamoto7hei

19】戦時中の報道の研究、中国報道の研究、公害報道の研究等全てをこの観点から行なって行けば、単なる描写の積み重ねの様に見えるものが、実は、ある種の思想で人々を拘束して、絶対に態度を変えさせなくする黙示録的伝達であった事を人々は覚るであろう

2012-06-07 06:26:30
山本七平bot @yamamoto7hei

20】だがこの探究の細部については、別の機会に譲りたい。 人は論理的説得では心的態度を変えない。 特に画像、映像、言葉の映像化による対象の臨在観的把握が絶対化される日本においては、それは不可能と言ってよい。

2012-06-07 06:56:39
山本七平bot @yamamoto7hei

21】カドミウムが”カドミウム”である者に対して、カドミウムが金属である事を論証しても、同じような手法でお札が紙である事を論証しても、御真影も遺影デモも紙と印画紙と印刷インキである事を論証しても、それは一冊の本もまた紙と印刷インキである事を論証するのと同じ様に無力なのである。

2012-06-07 07:26:32
山本七平bot @yamamoto7hei

22】この無力を知る時、人はその臨在感的”空気”に対抗する為に通常性的”水”をさす。しかしここで忘れてはならない事は、空気も水も現在および過去のものであって、未来はそれに関係ないという事である。

2012-06-07 07:58:31
山本七平bot @yamamoto7hei

23】従ってこの方法をとる時、人は必然的に保守的にならざるを得ない。いわば進歩的な”空気”そのものが、実は最も保守的なものにならざるを得ないのである。そして過去の水は常に「目の前に予測しうる現実としての未来」を「差す」事によって、この空気に対応するという形になっていた。

2012-06-07 08:26:54
山本七平bot @yamamoto7hei

24】だがそれも、いわゆる先進国の「現在」を自己の未来として臨在感的に把握する事によって可能だった訳で、これは厳密な意味の未来ではない

2012-06-07 08:57:15
山本七平bot @yamamoto7hei

25】「未来は神の御手にある」という言葉がある。この言葉は宗教的に理解してもよいが、現実的に理解すればざらに明確である。人間の手は未来に触れることはできない。明日の状態に手を触れ得ないだけてなく、一時間後、一分後の状態ですら手を触れ得ない。

2012-06-07 09:26:45