山本七平botまとめ/「絶対的シンボルの取捨と日本人の回心(コンバージョン)」/~一夜にして軍国主義者が民主主義者になった理由とは~

山本七平著『「空気」の研究』/「水=通常性」の研究/154頁以降より抜粋引用。
天皇制 偶像破壊 山本七平 ニ・ニ六事件 尊皇攘夷 臨在感的把握 文明開化
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山本七平bot @yamamoto7hei
1】多くの人は、明治において過去のシンボル(偶像)を捨てた。そして、捨てない者を旧弊とか頑迷固陋とかいって罵倒した。<『「空気」の研究』
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2】しかしそれは、罵倒した人がその状態を脱却して、新しいシンボルヘの臨在感的把握をしなかったということではなく、その逆、即ち直ちに新しいシンボルを臨在感的に把握し、そのシンボルとの間で「文明開化」という「空気」を醸成したというだけである。
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3】勿論言葉もスローガンとしてシンボルになりうる。従ってそれが「尊皇攘夷/文明開化」であれ、その言葉が分析すべき意味内容をもつ命題でなくシンボルである限りは、その転換はこれら「標語」の意味内容とは関係なく、それへの感情移入が成り立てば、すぐに転換し「空気」を醸成し得て当然である
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4】この状態は戦後の出発でも同じであり、この場合、転換した人びとは、これで過去と断絶し得たと思い込んで不思議ではない。明治のはじめ、多くの日本人は非常に面白い言葉を口にした。「われわれには歴史がない、われわれの歴史は今日から新しくはじまる」と。
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5】これは戦後における行き方、即ち新しい対象の臨在感的把握により、あらゆる面で過去と断絶し得たと信じようとした時、多くの人が過去に対してとった態度と同じである。即ち過去を全て否定さるべき対象として再構成し、それをも臨在感的に把握しなおす事によって過去と断絶しうると信じた訳である
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6】この態度は宗教的な回心(コンバージョン)と非常によく似ている。そして宗教的回心なら、心の転回により臨在感的把握の対象が一変し、「古き神々を捨てて新しき神々をとる」ことによって、「古き自分を捨て、新しき自分に生きる」という現象が起っても不思議ではない。
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7】その場合、過去の臨在感的把握の対象は、消えるか、否定の対象として”悪魔化”され、その結果、自己を拘束していた過去の”空気”が一瞬にして消え、その呪縛から解放されたと感じても不思議ではない――たとえそれが新しい対象への呪縛に身を委ねることであっても。
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8】この現象はキリスト教受容期の西欧を見れば少しも珍しい現象でなくその者はすぐさま過去の「偶像破壊」へと向うのである。そして日本の転換期にも…過去において賛美の対象であった者が一転して悪の権化となった――無敵皇軍も天皇も…またそのスローガンであった東亜解放も忠君愛国も経済成長も
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9】ただこの場合、新旧いずれの対象であれ、その対象が絶対者乃至は絶対的対象であらねば、この回心は起り得ない。分析的対象は回心を起さす信仰の対象ではあり得ない。という事は明治の回心においても、戦後の回心においても、その回心を起させた対象は何らかの絶対者であらねばならなくなる。
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10】明治の転回点とそれにつづく戦前の対象は天皇であった。だが回心した者は、たとえ後が主観的には「新しい、生れかわった別人」であろうと、その一瞬前のその者と、別人であることはできない。
山本七平bot @yamamoto7hei
11】前述したように、黒板の「大和魂」を消して「民主主義」と書いたところで、その教師自身に変化が生じ得たわけではない。同様に、昭和十九年の日本人が、二十年の八月十五日で一変することはあり得ない。
山本七平bot @yamamoto7hei
12】ただ、臨在感的把握の対象を一変させ、それへの回心によって、いわばそれへの感情移入を行なうことによって、自己が変革したという錯覚をもちうるに過ぎないわけである。その際、対象は絶対であり、この同時的回心という点において、各人は対象に対して平等の立場に立たねばならない。
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13】結局いずれの場合であれ、その絶対者に対して、他のすべてのものは平等となる。これは宗教的回心の当然の帰着であり、絶対者が回心者を”差別”する存在ではあり得ず、キリスト教的に言えば「主にある兄弟姉妹」でなければならない。
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14】この関係は明治も戦後も同じであり、違いといえば、戦後の絶対者は民主主義てあり憲法であったと言うことだけである。従って民主主義と憲法の日本における定義は、たえずそれを改訂し、改訂しうることを民主主義の原則とする西欧の伝統的の定義と同じではあり得ない。
山本七平bot @yamamoto7hei
15】まして「民主主義とは、統治の一形態であって、それ自体の中に克服すべきさまざまの欠陥を含む」ものとして相対化することは到底日本では認められず、「民主」といえばこれは絶対で、しかも日本のそれは世界最高の別格であらねばならなくなる。
山本七平bot @yamamoto7hei
16】憲法も同じであり、あらゆる法は常に欠陥をもつから、その運営において絶えず改正を必要とする存在であってはならず、戦前の天皇制が、他国の立憲君主制とは全く違う金甌(きんおう)無欠の体制であったという主張と同様、完全無欠であらねばならないのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
17】一言でいえばそれらを表わす言葉は、批判・分析の対象となる内容をもつ概念でなく、一種の偶像、いわば絶対的なシンボルであらねばならず、そうでない限り、情況に対応する”オール3的平等”の同時的回心は起り得ないのである。
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18】だがしかし、一つの政治制度は現実には「絶対」ではあリ得ない。またそれは一律平等無差別を保証する機構でもない。元来は仏像の如くに臨在感的に把握できる対象ではなく、人間が運営すべき機構である。だが、だれもそれを自覚できなくなる。
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19】そのため政治への要求は宗教的にまで過大になり、その要求は結局、臨在感的把握の一方的充足を求めることになる。
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20】ニ・二六事件の将校は、天皇を臨在感的に把握していたから、それを仏像の如くに見なしており、従ってこの天皇が自分の意志をもち、一つの機構を支配していると実感したとき、仏像が口を利いて自分たちを断罪したように驚いている。
山本七平bot @yamamoto7hei
21】驚くのも無理はない。臨在感的把握の対象は、自分の方から一方的に感情が移入できる「偶像」であらねばならず、それ自体が自らの意志をもって行動されては、その対象になり得ない。すなわち、「水を差す」通常性がもたらす情況倫理の世界は、最終的にはこの「空気支配」に到達するのである。
山本七平bot @yamamoto7hei
22】この状態は戦後とて変りはない。だが対象となり得ないものを対象とし、それが醸成する「空気」を一つの体制として持続させ、一つの永続的な「力」となりうるには、空気のほかにもう一つの要素が必要である。
山本七平bot @yamamoto7hei
23】「空気」は臨在感的把握の対象の変化によって一瞬にして消えてしまう。従って…それは個々の決定を拘束し得ても永続的体制とはなり得ない。このなり得ない筈のものが一つの体制となり得、全体空気拘束主義で全日本を拘束して「何かの力」を発揮させるには一つの通常性の裏打がなければならない。
山本七平bot @yamamoto7hei
24】それが「水」という現実の指摘だが、同時にそれは現時の情況の指摘であり、その永続化が情況論理と情況倫理で、それを成立させうるのが「一君万民」「一教師・オール3生徒」の、「父と子の隠し合いの真実」という体制になってくるのである。

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