【2012年大河ドラマ『平清盛』と大河botの〈語り〉に関する一考察】gontaayaさんのツイートまとめ

『平清盛』特有の現象の一つ、大河botたちによる壮大なるお戯れ。gontaayaさんの一連のツイートを勝手ながらまとめました。
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ごんたあや @gontaaya

近現代の出版文化は、作者自筆の原本を活字化して「正本」として流通させる。それ以外の「異本」は存在しない又は正式に認知されない。つまり〈語り〉はただ一つしか存在しないという文化的社会的前提の下でわたしたちは生きている。でもそれは〈語り〉の歴史のごく最近の事でしかない。 #平清盛

2012-12-22 23:21:45
ごんたあや @gontaaya

しかし、本来、〈語り〉の内容は、語る人によって自由に変型・拡張されていくものである。『平家物語』の膨大な異本群が今日に示しているのは、絶対唯一の「正本」という概念が行き渡る近代が失った、柔らかな〈語り〉の世界である。

2012-12-22 23:25:54
ごんたあや @gontaaya

『平家物語』の原型はあの戦乱を体験した人々の存命中に形成され、体験者でなければ語り得ない情報が含まれている。と同時に後世の作者達による情報の取捨選択と変型加工も行われている。複数のテキストを参照したひとびとも、虚構と事実のずれに気付いたはずだが、それを問題視した形跡は見えない。

2012-12-22 23:29:15
ごんたあや @gontaaya

このような『平家物語』の〈語り〉のあり方は、説話的とも捉えられる。説話は、[だれが Who][いつ When][なぜ Why][どこで Where][どうやって How][何をした What](5W1H)を語ることが成立必要条件と定義される。(小島孝之氏篇『説話の界域』総論)

2012-12-22 23:36:32
ごんたあや @gontaaya

『宇治拾遺物語』序に「少々は空物語(=虚構)も有り」とあるように、説話の〈語り〉において事実情報の伝達は内容の一部であり、むしろ[どうやって How]の部分をいかに豊かに描写するかが重視されていた。それが語り手の聴かせ所読ませ所であり、受け取る側もそれと分かった上で享受してきた。

2012-12-22 23:58:34
ごんたあや @gontaaya

『平家物語』もまた、「事実の記録」のようでありながら、語り手の意図や価値観に合わせて出来事の日付や前後関係が改変されている。多くの『平家物語』異本が生み出された根底に存在するのは、語るひとと聴くひと双方の、歴史的人物に対する寄り添いであり、想像力であり、願いであろう。

2012-12-23 00:02:42
ごんたあや @gontaaya

大河ドラマ『 #平清盛 』の目指した方向は、『平家物語』が本来持つ、柔軟な〈語り〉の世界を取り戻すことにあったように思う。それは、絶対唯一の「正本」の概念が浸透し、あまりにも黒か白か/嘘かまことかの二元論に傾きすぎて硬直した現代の〈語り〉への、秘かな挑戦だったのかもしれない。

2012-12-23 00:07:21
ごんたあや @gontaaya

その試みがなぜ現時点では広がらないか。覚一本『平家物語』はやはり強固な定型として縛りになったのだと思う。教科書等で知る覚一本の語りのイメージゆえに、平清盛とその一族の物語は最初から見ることを敬遠され、覚一本の語りと異なるゆえに、このドラマは遠ざけられたのだろう。 #平清盛

2012-12-23 00:11:41
ごんたあや @gontaaya

また。何が起こり起きているのか分からない現時点で、わたしたちは無意識に、全てにおいて本当のことを徹底的に求めてやまなかったり、すぐに分からないことは見たくない気持ちになったりしている。 #平清盛 が広く受け入れられなかったことは、裏返しにこの時代の苦しさを表しているようにも思う。

2012-12-23 00:18:40
ごんたあや @gontaaya

けれどもそこに一矢を報いたことは間違いない。この新しい『平家物語』異本はここから始まる大きな礎になると思う。 #平清盛

2012-12-23 00:19:29
ごんたあや @gontaaya

〈語り〉の本領は、聞く者の心を新たな地平に誘うことにある。『 #平清盛 』の〈語り〉は、これが絶対唯一だと定型を型どおりなぞるのではなく、こんな見方もできるんですよと提示して、語らざることも含めて物語がひとびとの心の中で動き始めることを期待するような〈語り〉の方法といえる。

2012-12-23 10:32:20
ごんたあや @gontaaya

〈語る〉ことの自由さ。それを受け取り、楽しむ自由さ。ゆるやかに物語は広がりつづける。〈語り〉の豊かさを取り戻そうとするドラマの方法に、最も敏感に、最も強く熱く反応したのがツイッターだったことは、新たな〈語り〉の時代の到来を如実に示しているといえる。 #平清盛

2012-12-23 10:34:48
ごんたあや @gontaaya

定型化した〈語り〉をなぞるドラマであったなら、ツイッター上でひとびとがこのように盛り上がることは決してなかっただろう。ドラマの内容に対する批判であれツッコミであれ、定型を知るひとびとの〈語り〉も誘ったことで、『平家物語』をめぐる「知」が動いたことも享受史上の大きな意義があった。

2012-12-23 11:08:14
ごんたあや @gontaaya

このドラマは歌舞伎の見えのような場面が多数あり、コーンスターチの霞がたなびき、細部まで作り込まれたセットと装束と儀礼が様式美の粋を究める。それに対し台詞は極限まで絞られる。饒舌と寡黙が絶妙に配合された〈語り〉ゆえに、たった一言、わずか一瞥が、見る者の心を全部持っていく。 #平清盛

2012-12-23 14:53:46
ごんたあや @gontaaya

大河ドラマ『 #平清盛 』は、『平家物語』という作品の説話性を忠実に継承している。時間と空間をとびこえる物語は現代人には不思議な感覚を抱かせるほどに説話的である。語られざる時間と空間のすきまに、新たな〈語り〉の余地が生まれ、語りたいという願いが大河botをツイッターに出現させた。

2012-12-23 14:56:29
ごんたあや @gontaaya

大河ドラマ『 #平清盛 』が新しい〈語り〉を提示したからこそ、大河botは次々と生まれた。大河ドラマと大河botの〈語り〉は表裏一体の現象である。このドラマの〈語り〉すなわちこの新しい「異本」は、語りを聴く側が自ら語る側に回って語り始めるのを許容して促す懐の深さを兼ね備えている。

2012-12-23 15:02:09
ごんたあや @gontaaya

大河botは、アイコン一つとツイートだけで、人物になりきって、語り、戯れる。これはTwitterならではの特異な現象に見える。しかしあらためて古典作品を見直すと、平家の歴史を題材とした文学や演劇は、すべて個々の自由な〈語り〉によって生みだされてきたものである。 #平清盛

2012-12-23 15:33:37
ごんたあや @gontaaya

平家の人々は、早い段階の語りから、史実から遊離したキャラクターが一人歩きしていったといえる。『平家物語』の諸本も語り手の意図や価値観に合わせて人物を脚色している。また室町時代の『平家花揃』( @heikehanazorohe )は、花や風景で登場人物をキャラ設定・解説している。

2012-12-23 15:35:54
ごんたあや @gontaaya

能には『平家物語』を題材とした曲が多い。しかし、能の作者が『平家物語』諸本の、どのテキストに基づいてその人物像を創作したのか、ほとんど特定できないという。おそらく複数のテキストを参照しながら、独自の解釈と工夫で人物を造型したのだろうと推測されている。それが今に伝わる。

2012-12-23 15:38:14
ごんたあや @gontaaya

大河botたちの存在は、大河ドラマの直接の影響下にあり、その〈語り〉から生まれている。しかし『平家物語』のありかたを考えると、平家の滅亡の歴史の〈語り〉から生まれたテキスト・能・歌舞伎・文学・先行映像作品、またいわゆる史実botならびに大河botは、いずれも本質的に等価である。

2012-12-23 15:40:47
ごんたあや @gontaaya

近代に至るまで、能楽・歌舞伎・文学・映画・ドラマと源平ネタが尽きることはなく、平家の物語は語られ続けてきた。大河ドラマがこの物語を新たに〈語る〉のと同様に、大河botもまたこの物語をツイッターで語っている。大河botの誕生は、文学史・表現史の上からも必然だったといえる。 #平清盛

2012-12-23 15:48:10
ごんたあや @gontaaya

作り込まれたネタの宝庫となるのがこのドラマの面白さである。直截にいえば、大河botはネタ芸人である。だがそれこそ〈語り〉の世界。代々の平家語り作品は半分が同時代人向けネタで出来ている。大河bot達の語りによってツイートの言の葉に花が咲き、ひとびとは戯れ、TLは祝祭空間と化した。

2012-12-23 16:45:18
ごんたあや @gontaaya

好きなドラマは多くあれど、一年を通して人物と物語に入れ込み、日常まで侵食されるほど消耗したのはかつてないと言ってもいい。この〈語り〉ゆえに、あまりにも生々しく突き刺さる喪失の悲しみは、大河botの存在のおかげで和らげられていた。TLの存在に永遠の魂すら感じていた。 #平清盛

2012-12-23 16:46:42
ごんたあや @gontaaya

永遠に残すことも〈語り〉の目的である。誰かが亡くなっても、他の者がなりきって語り継ぐことで、その存在を永遠に残す役割を果たす。大河botの存在もやはり、その原動力には「語りたい」という願いがある。それがフォロワーの心を打つ。語り継ぐという人の切実な営みが今目の前のTLにあるのだ。

2012-12-23 16:48:00
ごんたあや @gontaaya

〈語る〉ということの影響力の強さと、〈語る〉ひとの熱い想いが、読む者の心を打つ。さざ波が大波に変わるように、『 #平清盛 』はTwitterを深く揺るがし、bot、公式、絵師による盛絵の展開など、世界を動かした。自らの心の軸をこの場でみつけたひとも多かったのではないか。

2012-12-23 16:49:53