開拓する武士たち

前 現在見られる「自然」の「不自然さ」について http://togetter.com/li/405531 次 領主の次男以降の扱いと「ウラマー」について http://togetter.com/li/405607
61
司史生@減量中 @tsukasafumio

関東地方とかそうですが、近世初期に開拓された平野部の田圃って、谷(やと)に営まれた中世農村とは異質な空間ですよね。近世初期にあれが出現した時は、コンビナートみたいに衝撃的な景観じゃなかったかなあ。

2012-11-10 23:53:17
司史生@減量中 @tsukasafumio

江戸や大坂といった近世都市は、日本の歴史において野蛮から遮断されて生きることが可能になった、はじめての都市だったんじゃないかな。

2012-11-11 00:00:08
銅大 @bakagane

RT言及: 大河ドラマでは伊豆の豪族の北条時政が武士+開拓領主でありますが、平安時代にはああいう武士開拓領主が日本のあちらこちらに農地を切り開いたのでしょうね。そして、江戸時代の平和な社会では、武士ではなく豪農が開拓領主として活躍するようになったのでしょう。

2012-11-11 00:23:06
銅大 @bakagane

・・・ひょっとすると、戦国初期に帰農した武士には、そういう開拓団的な役割もあったのかしら。父方の先祖は、水野【暴れん坊】勝成の足軽であったそうですが、福山領主になった時に備後の土地をもらって農民に戻り、そこを切り開いて農地を作ったと家伝にあります。

2012-11-11 00:25:51
銅大 @bakagane

おお、鎌倉の頃ですか。低湿地とは、苦労が忍ばれます。 RT @tanoakira_open: bakagane 先日亀有香取神社という神社に行ってきたのですが、1276年に建てられたそうです。水はけの悪い低湿地になりますが、そのころから農地としての開拓が始まったようです。

2012-11-11 00:28:44
たのあきら(公開用) @tanoakira_open

@bakagane その亀有香取神社から1㎞ほどの地点に葛西城という城があったそうなのですが、城のあった青戸という土地は「おおと」「おおつ」もとも呼ばれ「大津」という字も当てられたとか。

2012-11-11 00:29:04
銅大 @bakagane

@tanoakira_open 「津」ということは、港でありますか。やはり江戸は水の都でありますな。(ブラタモリ的な表現)

2012-11-11 00:30:27
銅大 @bakagane

http://t.co/lWSo3XyJ 亀有香取神社の由来:当時亀有の地は下総国葛西御厨亀無村と呼ばれ、香取大神宮の神領地であったことから本宮の御分霊(経津主大神)をお迎えし村の鎮守様としてお祀りされました。/ なるほど、神領地でありましたか

2012-11-11 00:32:13
リンク t.co 亀有香取神社
たのあきら(公開用) @tanoakira_open

@bakagane 港湾都市だったようですね。古隅田川と当時の利根川が分岐した地点で、北関東に川でさかのぼるための要衝だったようですね。江戸城とは川筋でつながっていたようです。

2012-11-11 00:32:29
銅大 @bakagane

神領地ですと香取大神宮の金融・流通ネットワークも背景にあり流通の重要性も高いですね RT @tanoakira_open: 港湾都市だったようですね。古隅田川と当時の利根川が分岐した地点で、北関東に川でさかのぼるための要衝だったようですね。江戸城とは川筋でつながっていたようです。

2012-11-11 00:37:10
たのあきら(公開用) @tanoakira_open

@bakagane 水系ごとに「氷川神社」「久伊豆神社」そして「香取神社」が分布していたとか。

2012-11-11 00:40:11
銅大 @bakagane

@tanoakira_open おお、さすがは中世日本の総合商社であります

2012-11-11 00:41:18
お菓子っ子 @sweets_street

武士の一族が何世代もかけて地道に農地を整備しながら一族の根を張っていって、一族郎党が多くなって土地に収まりきらなくなるとその一部が分家で別の土地に移り住んで根を張って・・・といった感じで武士の血統が広がっていったんでしょうね @bakagane

2012-11-11 00:35:39
司史生@減量中 @tsukasafumio

リストラした兵士は生業確保してやらないと、戦乱がおさまらなかったでしょうねえ。RT @bakagane ・・・ひょっとすると、戦国初期に帰農した武士には、そういう開拓団的な役割もあったのかしら

2012-11-11 00:36:18
銅大 @bakagane

江戸時代初期の大名、幕府の苦労はいかほどであったか・・・日本は平和になりました、めでたしめでたし、とはいかんですよなぁ RT @tsukasafumio: リストラした兵士は生業確保してやらないと、戦乱がおさまらなかったでしょうねえ。

2012-11-11 00:38:45
お菓子っ子 @sweets_street

半士半農の地侍層なら侍稼業をやめて農業に精を出すだけだし、専業の武士でも親族筋の地侍や名主なんかを頼って農村の指導者に収まることができたでしょうね。さらに戦乱が終わって仕事にあぶれた雑兵が農村に戻ることもあったかもです @bakagane

2012-11-11 00:42:06
たのあきら(公開用) @tanoakira_open

@bakagane 足立区に青井という土地がありまして、字面をみるときれいな名前なのですが、江戸時代末期まで開拓に苦労した低湿地だったそうで。「精耕」という字の「青」と「井」をとって名付けたのだとか。苦労がしのばれます。

2012-11-11 00:42:50
銅大 @bakagane

@tanoakira_open なんと、そのような由来が。江戸時代の長い日本の平和は、そうした開拓を地道に進めるために必要な充電期間であったのだと思います。

2012-11-11 00:46:00
司史生@減量中 @tsukasafumio

南北朝や室町の動乱では没落して消息不明になってた武士が突如再起したりしますが、土着した一族があちこち根を張ってたから、没落しても寄食できたんでしょうねえ。 RT @sweets_street @bakagane

2012-11-11 00:42:51
お菓子っ子 @sweets_street

一族筋には農村に根を張ってる地侍や名主なんかがいっぱいいるでしょうしね RT @tsukasafumio 南北朝や室町の動乱では没落して消息不明になってた武士が突如再起したりしますが、土着した一族があちこち根を張ってたから、没落しても寄食できたんでしょうねえ。 @bakagane

2012-11-11 00:43:59
銅大 @bakagane

@sweets_street 広がる領地がなくなると土地が細分化されて生活が苦しくなったり、次男三男が飼い殺しにあったり・・・そして、外への侵略を目指す若者が。ヨーロッパですと、十字軍運動なんかも、背景のひとつにそういうのがありそうです。

2012-11-11 00:44:09
司史生@減量中 @tsukasafumio

近世初頭の地侍だと、武士として家臣化するか農民として名主化するかは中々悩ましい選択ですよね。

2012-11-11 00:48:15