表象文化論学会ミニシンポジウム「イメージの権利」、その後の議論
@conchucame 私のような「批評と研究の狭間」にいる者としては、森さん自身が仕掛けるad hominemな要素(ブログでは注記ですね)がまず気になったので、「乙」と返されてもやむないかもです。イメージをめぐる思考の流れとしては、別文脈でベケットについて触れましたが(続
2012-11-12 02:45:42@conchucame @kanbaya @yishioka 考えていました。そうした原理的な思考を誘発する力が森君の発言にはあったように思います。それだけに、美学VS表象の図式(それが面白く機能する場合もあるだろうけど)が印象付けられてしまうのは勿体無いのでは、ということです。
2012-11-12 02:48:15@conchucame このあたりの問題について、ディディ=ユベルマンの問題意識の一部が「連想」を含むだろうという推測を述べました。ここで作家の言葉を「概念の明晰化」という形で分析することも興味深いですが、同時に文献的アプローチも必要だろうと私は考えています。
2012-11-12 02:50:07どなたかのツイートに加治屋さんの「流通しなければイメージではない」というコメントに対する批判(?)があったが、イメージ自体とその流通形態という区分が妥当なのかも、イメージの存在論的身分を問いなおしながら検討しなければならないだろう。
2012-11-12 02:54:20すいません、明日朝一で講義なのでとりいそぎのコメントを差し上げて、ここらで落ちます。議論が盛り上がってるようならまたコメント差し上げたいと思います。
2012-11-12 02:58:29@conchucame そして改めて、当日の討議の場にいなかったこともあるので、私が今述べたような「当日の議論そのものではなくその背景にあると推測される文脈」についての言及が、「イメージ」と「権利」をめぐる考察にどれだけ寄与しうるのか確信がありませんが、
2012-11-12 03:19:17@conchucame カントの「事実問題/権利問題」のような意味で、「イメージの諸条件を権利問題として問うこと」、ようするに「イメージについての存在論的な問いかけ」が成り立つと考えました。が、当日は著作権などの「法律上の権利」が主題だったようなので、誤解もあるだろうと思います。
2012-11-12 03:24:39@yishioka もちろん法律上の権利が議論の出発点だったのですが、「イメージの権利」という多義的なシンポタイトルに始まり、存在論的な問いかけは最初から議論の背景に潜んでいたと思います。ので、そこをもう少し明確にしたい、という趣旨の発言をフロアからしました。
2012-11-12 03:32:38@yishioka 昨日は色々とご教示いただき、ありがとうございました。『イメージ、それでもなお』は、ちょっとした一文が膨大な文脈や背景を背負っているから手強いです。
2012-11-12 14:44:03