貧農史観の起源

「農家はいつも虐げられている」という感覚は農家に根強い。他方、「江戸時代の農家はそれなりに生活が豊かだった」と、貧農史観が見直されつつある。では、なぜ貧農史観が根付いたのか。その起源を尋ねると、明治維新から敗戦までの政府による厳しい政策が原因だったことが分かる。
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shinshinohara @ShinShinohara

「農家はいつも虐げられてきた」このフレーズは必ずしも正しくない。明治維新以後に農民が特に苦しい生活を強いられ、このときの体験が江戸時代にまでさかのぼって「江戸時代でも農家は貧しく搾取されていたに違いない」というイメージが定着した可能性がある。

2013-01-24 12:17:55
shinshinohara @ShinShinohara

江戸時代には五公五民など、収穫の半分も租税で持って行かれているのだから重税にあえいでいる、というイメージがある。しかし、このときの計算根拠は江戸初期の収穫量なので、江戸時代に農業技術が発達し収量が上がった結果、実際の租税負担の割合は、実態としてずっと小さかったと言われている。

2013-01-24 12:20:18
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、明治維新で農家の生活は一気に苦しくなる。租税負担の軽減を期待して百姓も応援した維新政府だったが、いざ成立すると租税負担は江戸時代よりも極めて重くなった。しかも米の現物納税を許さず、「地租改正」で現金納税を農家に義務づけた。販売能力のない農家は、この負担は極めて大きかった。

2013-01-24 12:22:19
shinshinohara @ShinShinohara

明治政府が農民に対しいかに過酷であったかは、一揆の発生数でも見て取れる。江戸時代の260年間に発生した一揆の総数とほぼ同じ数の一揆が明治維新のわずか40年程度で起きたのだ。「農家は虐げられる存在」というイメージは、このとき定着した可能性がある。

2013-01-24 12:24:35
shinshinohara @ShinShinohara

しかも、名主・庄屋といった村の名士が江戸時代と明治時代で変質した。江戸時代には名主が一族郎党を巻き添えにして死ぬことになっても、村を代表して直訴に及んだり、一揆の先頭に立った。村の運命を背負う覚悟のある名主・庄屋は江戸時代にたくさんいた。これが明治になって変質する。

2013-01-24 12:26:40
shinshinohara @ShinShinohara

基盤の軟弱な明治政府は、名主・庄屋たちの経済力をうまく生かす必要があった。一定の時期まではそうした地元の名士は、村人の繁栄のために活動していたが、東京などの大都市に住むようになり、不在地主になっていった。村人と縁がなくなり、小作料を搾り取ることに熱心になっていった。

2013-01-24 12:30:58
shinshinohara @ShinShinohara

小作人が増えたのも、明治以降の特徴である。地租改正で、納税は現金で行う必要が出たものの、通常の農家に販売能力はない。やむなく、田畑を手放し小作人になるしかなくなるケースが増えた。名主・庄屋だった地元名士には土地が集まり、大地主となっていった。

2013-01-24 12:33:21
shinshinohara @ShinShinohara

地租改正の負担に耐えかねて小作人になる農家が増加し、地主は大都市に出て不在地主化し、村人の繁栄を願い、活動してくれる人が村からいなくなってしまった。江戸時代の名主・庄屋が命をかけて村民のために活躍したのと大きく様変わりした。

2013-01-24 12:35:35
shinshinohara @ShinShinohara

明治以降の農村は、重い租税負担に苦しみ、まさに虐げられ、搾取されていた状態であった。しかも不在地主は村民のことを考えず、小作料を搾り取ることだけを考えた。小作争議が多発したのもこのためである。「農家は虐げられてきた」という強烈な体験は、明治以降に形成されたと言える。

2013-01-24 12:37:38
shinshinohara @ShinShinohara

不在地主による搾取と小作人の貧しい生活を憂慮した人は、戦前にもいた。農工商務省(戦前の農林水産省)は、不在地主を取り締まる法律の制定に努力するが、なかなかうまくいかない。だが、不在地主を一掃するチャンスがついに巡ってくる。なんとそれは、敗戦である。

2013-01-24 12:39:09
shinshinohara @ShinShinohara

GHQの威光を借りて、農水省は不在地主を一掃する農地解放の改革に成功する。小作人は自分の田畑を所有する自作農になることができ、戦後の食糧増産に寄与することになった。また、高度経済成長時に「生活水準をサラリーマン並みに」のかけ声の下、農家の生活水準も向上した。

2013-01-24 12:41:18
shinshinohara @ShinShinohara

だが、明治から敗戦に至るまでの「農家は虐げられてきた」という強烈な体験は、日本の農家に染みついた。また、戦後の左翼思想の普及も影響して、「封建時代の江戸時代は、明治政府以上に厳しい生活を農家に強いていたに違いない」というイメージが広まった。

2013-01-24 12:44:04
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、封建社会が近代的政府よりも必ず過酷で残酷とは限らない。農家に対する施策だけを言えば、明治以降の政府の方が江戸時代より過酷だったと言うことは、おしなべて正しいと言えるだろう。封建主義を嫌った戦後の左翼思想が、ミスリーディングした可能性がある。

2013-01-24 12:45:37
shinshinohara @ShinShinohara

明治維新から敗戦に至るまでの農家の生活は、確かに厳しかった。しかしこのころの経験をもって、そのまま「江戸時代もそうだったに違いない」と考えるのは無理がある。江戸時代には農民の自治機能はかなり高く、租税の額も名主が村民を代表して交渉したりした。江戸時代はもう少し精査する必要がある。

2013-01-24 12:48:41
shinshinohara @ShinShinohara

ただし、江戸時代も土地と時代によって農家の暮らしは大きく異なった。ざっくり言っても、温暖な西日本と寒冷な関東以北ではコメの生産力も全然違った。江戸時代はまだ「やませ」などの冷害に対処することはできなかった。西日本は比較的豊かだったが、東日本は必ずしもそうではなかった。要注意。

2013-01-24 18:51:27
shinshinohara @ShinShinohara

しかし、東北の農家の生活は明治以降の方が厳しく、特に昭和に入っての豊作貧乏と冷害は極めて苦しい生活を強いられた。娘を身売りする事例が後を絶たず、義憤に駆られた兵士が五・一五事件や二・二六事件が発生する背景となった。このときの記憶が「貧農史観」の定着を助けたのかもしれない。

2013-01-24 18:56:20