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2017年4月22日

「江戸時代、農民は米を殆ど食べることができなかった」は事実か

タイトル通り。少なくとも自分は子供時代、「慶安のお触書き」とともにそんな学習漫画を読んだものですが、果たしてそれは事実だろうか?という話です。 「農民人口が8-9割で、しかも鎖国して輸出ゼロなんだから、農民が米食べないと最終的には腐っちゃうだけじゃん」という指摘は目からウロコでしょ(笑) もちろん一般的な年貢の重さや生活の苦しさとはまた別の話ではありますが。 @CnZBYF1ctAj1R23 @ut_ken @tyokorata @tyuusyo @mamesiba195 @wing_starbow @minoruno @manyu1490 @HB27624303 @tennteke
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

これからまとめ作る「江戸時代の農民は米を食べられなかったのか?」まとめのイメージ画像。 学習漫画は、古いものは古いまま版を重ねる(基本、史実や科学の事実はそう変わらないから、それはそれで正解)から、出版年にもよるんだよね。 最新のものは、新しい知見とか盛り込んでいるのかねえ…。 pic.twitter.com/LSVWyS2WUI

2017-04-22 06:31:17
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

togetter.com/li/1103168 まとめ、 イメージ画像としてサムネイルにする寸前だった、まぼろしの候補がこれ。 pic.twitter.com/0ju9xOeKcl

2017-04-24 03:40:41
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すんすけ @tyuusyo

#信じていたのにウソだった知識 「江戸時代のお百姓さんは米をほとんど食べられなかった」 1980年代から江戸時代のコメの生産量から考えて嘘ではないかと言われ始め、現在では1年間で一人あたり1石(150キロ)の米を食べていたとされる。ただし日常の食事では雑穀なども混ぜたりしていた

2017-04-20 06:57:33
すんすけ @tyuusyo

なお、出典は『百姓たちの明治維新』『峠から日本が見える』です

2017-04-20 07:10:35
まめ @mamesiba195

@tyuusyo それは私も信じていました。

2017-04-20 07:20:53
リバースの拳🍾🍫 @CnZBYF1ctAj1R23

江戸時代、お百姓さんもフツーにお米食べてます。 米食は控え勤勉に暮らす様にという御触れはで出ましたが・・・ (^_^;) #信じていたのにウソだった知識

2017-04-17 08:05:44
ut_ken @ut_ken

twitter.com/CnZBYF1ctAj1R2… いや、地方にもよりますけど、江戸時代の百姓は雑穀などとの混ぜご飯が主流。ただ食べられないというより、現金収入として売るから。米ばかりなのは買うだけの江戸などの都市。

2017-04-18 17:15:21
ちょこらーたはジムキャノンがお好き @tyokorata

@ut_ken 江戸の商家で丁稚奉公してた若者が沢庵とコメしか食えないために、江戸患いになるというお話と、軍隊における東北地方出身者の脚気の多さの関連性はもっと語られるべきだと思う。

2017-04-18 17:47:23
ut_ken @ut_ken

@tyokorata そういえば徳川吉宗の時代の特に米価が低迷してた時期って、不景気かつ通貨不足によるデフレだけど江戸では安いコメだけで食いつなげはするという状態だったんだよなあ。現代だと数年前「安い牛丼屋で飯食えばいい」と現状肯定してるのがあったなあ。

2017-04-18 18:01:46
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

togetter.com/li/1102214 関連 もともとはこの関連ツイートのひとつ。 #信じていたのにウソだった知識 が思わず笑えるネタからあるあるネタまでわんさか - Togetterまとめ togetter.com/li/1101913

2017-04-19 04:15:15
まとめ #信じていたのにウソだった知識 が思わず笑えるネタからあるあるネタまでわんさか ずっと眺めていたい ※僕の趣味で「ウソっぽい本当」も「まじでウソ」も「ウソじゃなくてこっち」もまとめてます。気になるネタは各自調べてください 75548 pv 157 18 users 64
夜乃宮 @wing_starbow

江戸時代の農民がほとんど米を食べられなかった説は嘘という見方もあるけど、当時の記録に食べてないものがあるのでなんともいえない。

2017-04-20 07:49:20
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

@tyuusyo この話は、日本が鎖国で米が外国に行かない以上、計算上どうしても農民が食べなきゃ腐るだけ…という点で十分な説得力あるのですが、なら日常記録に「きょうのごはんはお米でした」って結構残ってないのですかね? まあ、字で記録を残すってことは富農、富農だから米食ったのだ、となってしまうか。

2017-04-20 08:30:47
侘助 @minoruno

@tyuusyo 高校時代、何故かw地学の時間に教師が似たような話をしてくれました。米を一番作ってたんだからそりゃ基本米食ってたよね、日記とかに粟とか稗とか書いてあるのはそれが特別だったから書いてあったことで、普通のことは書かないよね、と。史料のトリックを認識しました覚えがあります。

2017-04-20 08:33:59
まにゅう@鎌倉武士 @manyu1490

@tyuusyo 1人1石だったら底辺の武士よりは食べれてたということになりそうですね。(壬生義士伝にそんな感じの事が…)

2017-04-20 09:52:09
HB㌠@土建屋アイドル萩原雪歩 @HB27624303

@tyuusyo 精神科医のなだいなだによると、アル中が問題になるようになったのは穀物の生産量が増えた近代になってからな模様

2017-04-20 18:07:15
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

1:昨日、引用した「江戸時代、日本の農民はけっこう日常的にコメを食べていたのではないか」「鎖国である以上、必然的にそうなるのではないか」という話、ちょっと面白いので再論したい。 まず、再リツイートしてみよう。(続く)

2017-04-21 08:34:21

※註 ここで、先ほど紹介したツイートを、当方がリツイートした上で本題に入りました。

gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

2:以上の「江戸時代、農民は結構米食べてたんとちゃう?」の話、僕はこんな一口話として聞いた。 大学で教授が階級史観を説き 「農民は、自ら作った米を食べることもできない境遇だった」 留学生が質問。 「では、江戸期の日本は余った米をどこに輸出したのですか?」 「……あっ?」 続く

2017-04-21 08:43:35
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

3:つまり、江戸時代の農民が米を食べてたんと違う?というのは、「米食べてたよ」という記録の有無の前に(あるのかもしれんが当方は知らん)、ちょっとした単純な計算、数学的パズルから考えられると。 ・江戸時代、日本はいわゆる鎖国だった ・米が主要な作物 ・「農民」人口が8割 (続く)

2017-04-21 08:46:00
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

4: ・米というのは、多少は保存が効くけど、最終的には食べなきゃ腐る ・残り2割の武士や町人たちが食い尽くせるわけはない。輸出もしてない ・最終的には年貢の米も、農民に回って農民が食べなきゃしゃーないっしょ という単純なリクツ。だれが最初に提唱したかは、調べればわかる筈

2017-04-21 08:49:19
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

6:実はこの話、井沢元彦氏が「逆説の日本史」連載開始時のマクラで紹介してたので、それを覚えてる人もいる筈。全体の井沢史論の評価とは別に、これは引用の論だし、氏は他人の説のダイジェストは非常に巧く、読みやすい(笑) ここから孫引く。 www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/histo…

2017-04-21 08:52:49
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

7;「唯物史観」の側の学者はよく「江戸時代の農民は自分が作った米を武士階級に取り上げられ、アワやヒエのような雑穀か口にできなかった」と主張する。 これ、実は、まったくのデタラメなのである。 (中略) たとえば「石」という単位がある。 中略し、以下は画像添付。 pic.twitter.com/belk8cyfEW

2017-04-21 08:58:25
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan

8:という感じで、「江戸期農民と米」の話は分かるのだけど、そこから自分が考えてたこと ・同じ理屈で麦粟稗の雑穀も基本的に誰かが食べなきゃいけない。日本ではコメが作れる場所と季節では基本稲を植えただろうけど、要は全体的な「米:その他の穀物、芋など」の割合はどれぐらいか? (続く)

2017-04-21 09:06:58
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コメント

gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
複数使わせた頂いた@ut_ken @tyuusyo さんらはじめ各氏に多謝(アカウントは前文の欄に)。誰でも編集可能です
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
まとめをあらためて読み直して、思ったんだけど「【純粋な100%白米のごはん】は大変な贅沢で、それは晴れの日のごちそうだし、一度も食べたことのない農民も多かった」じゃないかな?それだと、その後自分が目にした「白米は贅沢だった」的な思い出話や文献記録と整合する。言葉としても、「白米は百姓にとっては贅沢で、口にできなかったんだよ」というのは「100%の白米ご飯」の意味であっても嘘じゃない。/都市住民は結構食べていて、だから脚気=”江戸わずらい”が流行ったそうだけど。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
なまじ農家ほど、ちょっとした稲作不適地で雑穀が作れるから、質素勤勉な家は米を自分が食べられる程の収穫を得ても「ぜんぶ白米なんて贅沢」として雑穀を混ぜて、米は現金収入に変えたりとかもありそうね。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
途中に出てくる「鎖国している以上は米は国内消費される=百姓庶民まで米を食べていた」というのは、李氏朝鮮にも適用されるのではないか?という仮説も、ここに投げておきます。近世朝鮮史に詳しい方のご教授いただければ幸い。
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言葉使い @tennteke 2017年4月22日
昔「鎖国しているってことは外国から食料の輸入をしないってことだから、自給自足でやっていけると思ったんだろうな」という意見を耳にして、そういえば飢饉の時どれだけ餓死者が出ても、中国から食料を輸入しようと思わなかったんだなぁと思いました。まぁ弱みを見せたら攻め込まれるからってのも、あったでしょうけど。
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言葉使い @tennteke 2017年4月22日
「米というのは、多少は保存が効くけど、最終的には食べなきゃ腐る」については、藩が緊急時のために取っておいた備蓄米を、緊急事態にならなかったときにどう処分していたかは記録に残ってないんでしょうか?何年保管でその後は誰にどう渡していたか。緊急時は映画「武士の家計簿」で〝お救い米〟って放出していました。今だって消費期限が近づいた乾パンなんかは放出していますけど、学校とかルートは限られていますよね?
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愚者@勇者部満開15No.13 @fool_0 2017年4月22日
李氏朝鮮はどうなんだろう……定説では朝鮮半島では米を食べる習慣そのものが無く、稗や粟等の雑穀が長らく庶民の主食で米は全て輸出されていた(輸出先は当然中国一択だろうし)というものだったけど、確かに疑ってみる必要はあるかもしれない。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
tennteke そもそも、日本国内で流通が滞っている状態が多かったので。原因は「輸送能力」「藩単位での政治的境界」。たとえば元禄飢饉の際の東北に食料を送ろうとしても、海路は荒れ、陸路も雪でふさがり輸送不能だった。天明の大飢饉が深刻化した元凶も、各藩や商人が幕府の統制に従わず好き勝手に、備蓄や買い占めをしたこと。なお海外からの輸出はそもそもルートがない。商人に私貿易を許してるだけで朝鮮以外は政府間の国交はなく、輸入してるのは基本の食糧でなく高額小量な品中心。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
tennteke たとえば元禄飢饉の被害が大きかった津軽だと、飢饉の気配があってもなお、米を備蓄せずに古くなる前に売り払ってしまっていたので、被害がさらに拡大。また天明の大飢饉の江戸でも、田沼政権の飢饉対策の杜撰さが被害を拡大させていましたが、そのうちの一つが本来飢饉用の備蓄米を、古くなる前に売り払っていたこと。「即物的な現金収入目当てに古米になりきる前に売り払って、飢饉に対処できなくなる」という事態がたびたびおこっえいた。
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言葉使い @tennteke 2017年4月22日
ut_ken 渡部昇一さんが「本来武士、藩を守るための幕府が、飢饉の時に上米令をを出したことでその建前を捨てた」みたいなことを書いていましたが、藩同士の助け合いもご公儀の許可を得ないといけなくて、結構面倒だったと読みました…。
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刑事長/理事長 @DekatyouNy 2017年4月22日
tennteke やってなかった、という否定意見はないですし、戦国時代とかに実施しましたよ、なんてのは聞くので、やったことはやったんでしょうが、いかんせん記録が出て来ないと…今みたいに「ずっと残す義務」とか「残すための技術」とか無かった時代なので…(あと大河あたりで江戸中期の藩主あたりが取り上げられたら、地元でそういうのに触れた「未知の史料」が出て来るかも…井伊直虎がらみなんかはそうですし)
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
fool_0 あ、やはり明や清への輸出はあったんですね。板倉聖宣氏が江戸日本で考察したシンプルな理論は、1国でも穀物輸出先の外国があると成り立たないので、別と考えるべきでしょうね。またお米の位置づけも違うのかな?
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
tennteke なお同じ元禄飢饉の江戸と周辺だと、飢饉の気配がしだした数年前から幕府は、米の備蓄や米価安定政策などを取って準備。それぐらい徹底して統制しないといけなかった。
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アイマキ @aimakimakimak 2017年4月22日
江戸に出た労働者が米が珍しいあまり米ばかり食べて脚気になったってよくあったそうだから珍しいものではあったのかな
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愚者@勇者部満開15No.13 @fool_0 2017年4月22日
gryphonjapan ソースは失念しましたが、確か朝貢貿易の一環で朝鮮半島の米が輸出されていたそうな。というか当時の李氏朝鮮と国交があったのはそれこそ明及び清のみで、他に輸出しようがなかったのでしょうが。ちなみに日本への輸出も可能性としてはありえなくもありませんが、あったらあったで日本側に記録が残ってるでしょうし、それでもせいぜいごく少量だったのではないかと。
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ハドロン @hadoron1203 2017年4月22日
天保郷帳の記録によると、江戸中期には全国の石高が3056万石に達していた。http://urx.mobi/D4SL 当時の人口は3200万人くらいだから、1人1石分のお米は消費していたことになるよ。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
tennteke ええと、吉宗政権の「上米の制」は享保15年には取りやめていますし、「享保の大飢饉」は享保17年からの上に吉宗政権の幕府は積極的に大名へのへの支援をしていますよ(それまではむしろコメ余り状態で、相場維持を兼ねてコメの備蓄をしていたのも幸いした)。渡部昇一氏が間違っているのでは。
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まっくろなねこ @blackcat009 2017年4月22日
自分で収穫した米を食ってたんではなく、年貢として納めた米が、開墾治水、築城改修その他諸々の労働の報酬として払われ、それを食っていた。戦で駆り出された時も、炊き出しで米が食えた。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
そもそも江戸時代の農民の生活水準といっても270年間の初期と幕末では相当違うわけでして。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
対朝鮮の窓口で間近の対馬限定でなら、朝鮮からのコメの輸出もしていたはず。
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hararitto @sseg14 2017年4月22日
江戸周辺は水田が作れなくて蕎麦を栽培している地域が多いので、江戸の蕎麦文化が成立したくらいなので 米をあまり作れない農民は米を食えない
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hararitto @sseg14 2017年4月22日
この種の話題になると、江戸age明治sageになりがちですが、江戸時代と比べると明治時代は大人口増加時代ですから経済的には上昇してるんですよね。それに建築物などを見ると、明らかに江戸時代より明治時代のほうが豪華になっている。
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斑雪@東国正韻DB始動 @madarayukihs 2017年4月22日
李氏朝鮮の話は、気候的に米を育てられる地域はごく限られていたはず、という推測が基になっていたのでは?
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nekosencho @Neko_Sencho 2017年4月22日
白米だけのコメってのと、混ぜて炊くのとで味がぜんぜん違うってことでは。栄養的には混ざってるほうがあるけれど、味は恐らく大差があったはず。 その当時どちらが栄養学的にいいとか知られてるわけもないので、恐らく貧相な食い物と認識されていたのでは
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araburuedamame @rpdtukool 2017年4月22日
酒なんかの加工用の需要もあるだろうから単純に主食としてだけの需要を考えるわけにもいかんような気はする。磨かなきゃいけないからロスも相当出るだろうしね。
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okoo @okoo20 2017年4月22日
時代や地域によって違うんだからこんな一緒くたに話混ぜたらあかんと思うのだが。
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塩こうじ @shikuji 2017年4月22日
留学生と教授のエピソードは「五公五民」の実態のマクラに教授本人から聞いた(という体の創作かもしれないけど)話として山本七平が紹介していた。 故郷の紀州和歌山は八公ニ民でよっぽど苛斂誅求を極めたのかと調べてみたら諸藩の中でも特に土地の実態把握がガバガバだったとか。
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塩こうじ @shikuji 2017年4月22日
粟稗の名目で実際は換金作物を作って儲けていた農民の話も紹介してた。 富岡製糸場の初代工場長を務めた尾高藍香の家は藍を作っていて、幕末に自分の納めている分をきっちり計算したら0.5公9.5民くらいになったのでこれでは幕府は潰れると書き残していて、実際五年後に幕府は倒れたと。
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伍長 @gotyou_H 2017年4月22日
「「きょうはごはん(=米)でした」って記録とか残ってないのかな?」って、普段食ってるものをいちいちボールペンもデジタル掲示板もなく、墨(インスタント的なもの自体はあった)を擦るところから始める「文」にいちいち残すもんかね。 破棄記録も冒頭のお触れも、「そういうことをいちいち言い残さなければならないような出来事」だったという考え、あるんじゃないの。
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伍長 @gotyou_H 2017年4月22日
ていうか、江戸時代ってコメの品種改良が進んでた時期ってどっかに文献なかったっけ?それが真なら、自分たちがロクに食えないものの研究開発とかやるとか到底思えないんだけど。
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茨 二科 @ibaranika 2017年4月22日
種籾として確保する量も今とは比較にならんほど多かったというのも忘れてはいけないかと。現代ですと、種籾が30~40kgで1ヘクタールぶんの水田に作付可能ですが、江戸時代頃だとずっと効率は悪かったはず。鳥に食われたりネズミにやられたりといった分もあったでしょうしね。
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大石陽@聖マルク @stmark_309 2017年4月22日
まず画像には別に食べられなかったとは書いてないし、白米が食べられないというのは別に江戸に始まったことではない。明治時代には、軍隊に入れば白米が食べられる、というのをアピールポイントの一つとして地方の若者を集めた(そのせいで軍の中で脚気が流行ったのだが……)。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
気候も江戸幕府300年の間には、温暖期あり、寒い期間ありですからね。天明飢饉の時代は、同時期にフランス革命も進行させる、世界的な寒冷、不作状態でした。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
Neko_Sencho いまの麦飯や、玄米、雑穀も、農家の努力で戦前とぜんぜん味が違っているらしいですね。誰かのエッセイで、健康のために玄米にしようといったら、祖母があんなものを食べるぐらいなら不健康のほうがましだ、と絶対いやだと言い張ったが、食べてみるとあ「あれ?いまの玄米はおいしい」となった…というのを読んだ記憶があります。
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伍長 @gotyou_H 2017年4月22日
お触れ(法律)視点で言えば、現代日本の労働環境ってそれなりに緩やかなんだけど、それを守らない事件が発生しては上限を決めたりしたりっていう話が出てくるわけで。冒頭の漫画になぞらえれば、 ・1日で8時間以上働いてはいけない ・1週間で40時間以上働いてはいけない ・1か月で特別忙しい時期でも1日8時間を超えるのが累計100時間超えてはいけない  なんてお触れが出た。そういうのが後の時代の人の目に触れて、「2000年ぐらいの人の労働環境は穏やかだった」って話が常識と化してる状態なんじゃないの、と。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
gotyou_H 残ってますね。例えば江戸時代後期の信濃では一般に、朝と夕が、小麦や雑穀による麺類や焼餅。昼がコメの割合は3~6割の麦飯(大根の葉も混ぜる)。出典は『百姓たちの江戸時代』。同書にはほかにもいろいろと。そもそも農民の主食は「自分の所で調達できる作物」で、地域ごとに米以外の作物も育てているのだから、当然そちらも食べる。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
あと地域差の例として、焼き畑のみの山村だと稗や粟の飯ですけど特に不住しておらずたまに平地の村で白米飯を見ると「蛆虫みたい」と思うぐらいでしたし、農業でなく林業をしてて現金収入豊富な村だと、米を買って食うので白米飯メインというケースも。
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塩こうじ @shikuji 2017年4月22日
みんなが和を尊んでいたから十七条憲法が作られた…のではなくて逆だ論のように、倹約しろちゃんと納めろとキツく言うのは実態そうでもなかったから的な部分もあるのかも。 農民はまったく虐げられていなかった論まで行くとアレだけど。現代の話でも税制上の優遇から補助金貪って肥え太る特権階級のように言いつのる暴論に飛んじゃう人もいるので一応。
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伍長 @gotyou_H 2017年4月22日
自分が言いたいのは、史観における「当然だったことは基本的に書き残さない」という話に沿った考え方の話なので、なにも「事実としてどこかに残されてるはずがない!」みたいな話ではないので、「文献として残っている実例」のコメントとかはいいです。
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伍長 @gotyou_H 2017年4月22日
って書いてるうちにツッコミいただきました。どうもすいません。
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nekosencho @Neko_Sencho 2017年4月22日
あと、そもそも「コメの飯がいいのか」以前に、戦後しばらくたつまで日本人は栄養が不足してる。 身長の推移 http://www.karadakarute.jp/tanita/column/columndetail.do?columnId=27 遺伝子が変わるほど他の民族とまじったわけでもないので、この伸び具合は食ったものの差だと思うよ個人的に
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茨 二科 @ibaranika 2017年4月22日
まあ東北地方だと江戸時代以降の約313年以のうち、229回もどこかしらで飢饉が発生してた、なんてデータもあるので、そこでの記録(米は全然とれず、食べるものはなにもない)てのがことさらクローズアップされてる、てのはあるでしょうね。農民の普通の食事なんてのはそうそう記録に残るわけじゃないですし
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Katabiragawa Atsushi @katabiragawaC 2017年4月22日
すげえ規模の貿易は江戸期を通じて諸外国と行なっていた事実を無視して鎖国だから輸出してないと言う論理は粗雑以外の何者でもねーだろ。
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hararitto @sseg14 2017年4月22日
gryphonjapan 昔、バンキシャ!で北朝鮮の米を食べてみるという企画があり、他の出演者が「あまり美味しくない」という感想で、戦前世代の河上和雄だけが「昔の銀シャリの味ですね」と言ってた。 ササニシキ・コシヒカリ登場以前と以後は違うようですね。
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Katabiragawa Atsushi @katabiragawaC 2017年4月22日
結論が正しければいいと言う話じゃあない。
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すこんヴ @tackco 2017年4月22日
「飢饉」の二文字の重さ。
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成瀬京太郎 @yuugekisen 2017年4月22日
物流が脆弱だから(大きな橋には基本的に橋がかかってない)米が育たない地域(大きな川がない等)に米が行かなかったのでは?
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クロモリフレーム @crmoframe 2017年4月22日
他のモノに比べて、米は単位面積当たりの収量が断然多い穀物だからなぁ。米の作付けの適地ならフツーに米食べてたでしょ。
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くま 八郎 @kuma_hachi666 2017年4月22日
農民が米を食べずにただ作ってただけって事も無いだろうし 死人が出る程の大凶作でもない限り食べてたよね
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あっきぃ。@いろいろつぶやくやつ @akkiy_ya 2017年4月22日
そこそこ収穫の多い地域だと、現金収入のために年貢以外の米を商人へ売って、普段は栄養素を補える雑穀飯ってパターンかな。そうでないと、都市部の商人が財を成す要素もないからね。苦しかったと記録に残っている地域は、気候や土壌の関係で収穫量がひどく悪く、飢饉になりやすい状態だったと思われる。
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赤木智弘@おとなブロイラー @T_akagi 2017年4月22日
「白いご飯」とかいう言葉は、僕が子供の頃まではまだ正しい意味合いとともに生きてた。
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hamp@横浜山中 @32hamp 2017年4月22日
コメ=白米って事も無いのでは? 上コメでもあるように「玄米は不味い」わけで、江戸煩い云々は精米された白米じゃないと起きないし。珍しい、おいしい、食べたことも無いコメってのは精米された白米で、玄米は普通に食べてた、ってのも有りだと思うけど。 機械が無い時代、精米は手間のかかる作業だし。
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びばのん/馬鹿家元 @kawaviva 2017年4月22日
もともと、米特に白米は、戦闘糧食として重視されていたのであるから、江戸後期はともかく、江戸前期までは、年貢米のうち現金化しなかった分は、備蓄に廻ると思うんですが。
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びばのん/馬鹿家元 @kawaviva 2017年4月22日
城を建てるときにも、芋縄を使ったりして城の壁すら喰えるように工夫するような軍事政権が、その年に収穫された米をその年のうちに消費するという想定がおかしい。
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秋まで ずっと休みでよいんじゃね? @dandonban 2017年4月22日
米の利用は米食だけではなく、酒造り、味噌・醤油等の製造に使う麹の原料、(精米技術が未熟で大量に発生していた)割米などは煎餅や団子になっているので、米の生産量の全てがご飯になっていたという前提はちょっと違うかなと。まぁ比率がわからんのだけども^^;
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nekosencho @Neko_Sencho 2017年4月22日
というか、世の中には「コメは大して食えないけど豊かな食生活」もあれば「コメ食ってるけど貧しいというか栄養が足りない食生活」なんてのもあるわけで、コメ食えてるかどうかってのは、農民の食生活が豊かかどうかってのとは直接は結びつかないよね
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すいか @pear00234 2017年4月22日
現代文明を前提に考えてしまう癖ってのはよくやりがちなので注意しないといけないってのはあるね。制度的にも、なにより文明水準としても、そう簡単に米をホイホイ右から左へ大規模流通させられるわけがないだろうっていうのは。年貢として納めたコメが、備蓄された数年後にようやく農民の口に戻ってくるってのもありそうだしねぇ。
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秋まで ずっと休みでよいんじゃね? @dandonban 2017年4月22日
あと、当時の税率が五公五民(六公な重税な藩や実質四公な天領もある)だったとして、農民の人口比率が8割とかなんだから、手元に残った米を全て消費に回したとしても、年間必要量の63%程度しか農民は食べていない事になるよね。
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シッズ〇@ゲーム専用垢 @shizzumaru 2017年4月22日
昔にも一等米二等米とかあったんだろうかとふと考えた
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hamp@横浜山中 @32hamp 2017年4月22日
kawaviva 毎年のことなんで、何十年もそのサイクル続けてたら、結局、一年の収穫量に匹敵する古米が毎年流通する≒その年の収穫を一年で消費する、になるのでは?
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hamp@横浜山中 @32hamp 2017年4月22日
dandonban 元の提言は、その「税」はどう処分されていたか? と言うことだと思います。
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イグナチオ @7oolong 2017年4月22日
「慶安の御触書」は限りなく偽書に近いものでしょ。「慶安」よりずっと後の江戸後期に一部の藩で広まったが、少なくとも幕府が出した法令ではないことはほどんど明らかになってるよね。白米食ってたかどうかの話には直接つながらないけど。
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ひやおはクリーニング @Geda_2 2017年4月22日
とても消費しきれない量をそんなにつくらせ納めさせてアボカドバナナなのとはけっこう思ってました。マンガなんかで、やせ細った農婆が体の何倍もの大きさの年貢を背負って納める道中あわれ体力を失い担いだまま死んでいく…とか諸悪の根源なのか。手塚先生にケチつけるわけじゃありませんが
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uheho @uheho 2017年4月22日
普通に筋道立てて考えてみるってのは大事だよねぇ。 俺もこのプロパガンダに騙されていた口。
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秋まで ずっと休みでよいんじゃね? @dandonban 2017年4月22日
32hamp あ、すみません。ちゃんと見てませんでした。ただ平時において税が還元されるルートが見当たらないのですわ。「商家の蔵にあって最後は投売り」ともありますが、それでは商人が儲からない^^; おそらく酒・味噌・醤油などの高付加価値化、割米、濡米など事故米は団子や煎餅などへの利用、そして藩が備蓄していた分は飢饉時の放出とかじゃないでしょうかね。農民が買い戻せるだけの別収入があれば別ですけども
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なんもさん @nanmosan 2017年4月22日
飢饉の記録でみると、藩の財政危機のため大増税して種籾まで徴収したことで壊滅的な被害が出たってのもありますから、基本農民が収穫したコメは種籾以外いったんすべて流通に回ったケースも多そうです。いったん流通したものは金を出さないと買えないわけで、しかも商人の理屈だけで言うと、在庫品の価格が下落するよりも廃棄する方がマシってのは現代でもよくある話だったりしますよね。
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遊佐飛鳥@漢晋春秋 @asukayusa3594 2017年4月22日
米は確かに他の穀物と比べると収穫量の多い作物ではあるけれど、同時に寒冷とか食害にメチャクチャ弱い作物である、ってのも忘れちゃダメだと思うんですがそれは。毎年のようにどこかで飢饉が起こっていたなんて話もあるし、そもそも石高通りに収穫出来た年はほとんど無いんじゃないかなあ。
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遊佐飛鳥@漢晋春秋 @asukayusa3594 2017年4月22日
で、飢饉に際してこまめに備蓄を放出するから腐る前には無くなるだろうし、放出先は非生産世帯の都市部や寺社が優先で、農村には少量しか還元されず雑穀や粥にして食ってたと考えれば「白米はほとんど食えなかった」にも説得力はあるんじゃないかなあ。
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泥水 @doromizu_inoko 2017年4月22日
輸出をしてないのは鎖国していたからというよりは単純に目方の割りに換金率が低いからじゃないかね?あと日本でも1993年に冷夏でタイ米を輸入してもてあました事があったけど、大陸で普段消費している長粒種と違って日本の米は短粒種だから輸出して受け入れられるかというのは疑問だな。 そういう意味で米は自国内で消費していたのだろうと思う。
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取鳥族ジャーヘッド/約二年寝過ごした76レジデント @torijar 2017年4月22日
『幕末下級武士のリストラ戦記』では、下級武士の俸給や登城時の弁当、能楽者への手当てで”古くなって変色した”米が出されていたと記録されてて、売り物にならないレベルの米は商家でなく武家の蔵にあったくさい。 あと米商いは溯って室町時代に土倉酒屋の表現があった通り加工業とセットなので飯でなく酒消費への転換がかなり強かったんじゃないか
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すいか @pear00234 2017年4月22日
asukayusa3594 石高が、アベレージではなくマキシマム、それも理想上限とか「藩の見栄で盛ってる」とかそういう可能性ってあるのかな。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
pear00234 一応江戸時代後期~幕末の大半の藩は、公称の石高より実際の方が高かったですね。公称の石高に応じて課せられる各種の負担回避ですね。見栄で公称の方を盛ってた少数の例が「水戸」。
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すいか @pear00234 2017年4月22日
ut_ken あそっか、幕府への上納回避(節税?)で過少申告ってのもあるのかなるほどなぁ。見栄で盛るより節税をっていう判断はあの時代にもあったんだなぁ、どうもあの時代だと「見栄で盛る」人たちばかりというイメージがあった。
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ひかる @hika22 2017年4月22日
江戸時代、米の大生産地ってどこだったんだろう?新潟出身ですが、新潟が大生産地になったのは戦後の土地改良の結果。当時は沼地が多いと聞きました。北海道は蝦夷地として、米の生産はどうなのだろう?現代風の土地改良されてない土地で、どれだけ収穫があったのか?
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
なお輸出ですけど、すぐに確認できる「地図グラフ図解でみる 一目でわかる江戸時代」だと、1684年の朝鮮への輸出品は「銀」が四分の三、他は同、そのほかの鉱物、毛皮の順。輸入は白糸が半分、他の繊維製品が四分の一、残り四分の一は人参で、米は輸入輸出ともに皆無。 1812年の清国からの輸入品でも、繊維製品が四分の一近く、三分の一が薬、香料、染料。飲食物はほぼすべて「砂糖」。あとは水銀の材料、陶磁器類など。輸出の内訳グラフはありませんでしたけど、金属と、海産物(中期以降)で、やはりコメはない。
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araburuedamame @rpdtukool 2017年4月22日
「昔の玄米はマズイ」ってのも、酸化した古米古々米食ってたからなんでしょうなあ。糠の部分悪くなると壮絶なまずさだからねアレ。今は冷蔵倉庫保管だからそんなでもないけど。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
ああ、アイヌとの交易なら、輸出品目に米もありました。
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はるを待ちかねた人でなし @hallow_haruwo 2017年4月22日
こういう話題になると自分の「昔の農村」の脳内イメージが時代劇とか以上に、昭和と分かってるのに矢口高雄先生の「オーイ!!やまびこ」とかの先生の子供時代のお話にかなーり引っ張られてるのに気づかされる。
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⚡波島想太🐈 @ele_cat_namy 2017年4月22日
「士農工商」でいう「農」には漁業や林業なんかも入ってきてしまうので、人口の8割が米を作っていた、という認識はちょっと違うのかな、という気がします。江戸時代の食生活は「江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか」「[図説]人口で見る日本史」が参考になるかもです。
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「尽誠に、汾岳を。」プロ野球 @jinsei_bungaku 2017年4月22日
ここまで佐藤常雄・大石慎三郎『貧農史観を見直す』(講談社)が言及されてませんが、現在の日本史界隈では余り評価されていないのでしょうか?
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kimuraお兄さん@小豆島 @nobuo_kimura 2017年4月22日
( ×H×)y-~~あー、朝鮮半島はねえ、当時の米って作物は北緯36度以北では恒常的に凶作になるリスクがあるんだわ。そもそも気候も風土も違うから半島全域で作れるわけじゃなかったし。
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イエーガー@狩猟準備中 @Jaeger75 2017年4月22日
32hamp 私もその意見に一票。収穫されたコメから作られるのは「白米」だけではない、という話でしょ。
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nekotama @nukotama001 2017年4月22日
食べてないと思ってなかった、ただ米の根本の質が悪いだけで。そもそも二毛作とかできる環境だから量が足りないと言う状況はよほどのことがなければなかっただろうと。まあ日本長いから米が出来にくくて小麦食ってる地域もあったりして一概には言えないにしても。
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ぽんすけ @tomtom4440 2017年4月22日
武士への扶持米だって玄米なんだから、保たない白米にわざわざして米蔵に備蓄しておくわけがない
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りょう @RMisugi 2017年4月22日
そもそも白米(精米)で、手間のかかるものなんだから、そりゃ「白米だけ」なんてのはハレの日のごちそう扱いでしょ。
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「立て!万国の労働者!」社会主義者akairoさん[岩間達人] @takashi7zzfe 2017年4月22日
歴史的に飢饉というのは穀倉地帯で起こる・・・富山や新潟でもよく起きた。これは日本に限らずでウクライナなども飢饉は多発した・・・が、その時であっても江戸(東京)やモスクワでは飢饉は起きていない。これは購買力こそが重要な要素だという話。田舎は都市の購買力に太刀打ちできないし流通網もその前提で構築されるからな・・・
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有芝まはる殿下。は混雑しない店で食事する @Mahal 2017年4月22日
pear00234 江戸初期だと、真田領沼田藩のような例があり(松代の同族に対しての見栄で過大申告)、そうしたケースでは当然ながら苛斂誅求で領民が苦しむケースはあった訳ですが、まぁ武断主義の時代だとそんなんしてたら藩自体潰されるリスクも高かったと
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ことだま けむりん @kemrin2011 2017年4月22日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/839816?tocOpened=1 明治16年の統計では明治13年には完全に輸入超過になってるかな。なお同じく明治10年代&国名表記だけど各地の収穫高もある。越後・羽後・近江・武蔵が多いみたい。
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kimuraお兄さん@小豆島 @nobuo_kimura 2017年4月22日
( ×H×)y-~~あと、朝鮮半島の場合は人口が少なくて開発の余力がなかったから生産性もアレな感じ。政治もアレだったし。
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BIRD @BIRD_448 2017年4月22日
pear00234 二宮尊徳の歴伝でも、余った苗を植えて米取ったり菜種小規模栽培で油を換金とかやってますし、天保飢饉の人なのでオススメ度は高い。
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TENNOたまに謎狩 @XH834 2017年4月22日
穀物は利ざやが少ないんで輸出品目としては…北前船航路で米→昆布等の海産物と交換ってのはやってましたが、北海道じゃ当時は米が取れませんでしたから例外ですね
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TENNOたまに謎狩 @XH834 2017年4月22日
年貢米は札差等の米を商う商人や藩所有の米蔵に収められて年数回に分けて武士に支給されました。その時自分たちで食べる分以外は現金化してもらいました。だから札差などの米商人が仲介に入って扶持米自身の移動は殆ど行われません。分たちで消費する分以外は換金する農家とだいたい同じだったりします
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緑川⋈だむ @Dam_midorikawa 2017年4月22日
この理論を考えついたガクシャの脳内に、「玄米と白米の区別」が無かったんじゃ無いかなと
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sakai @SkiMario 2017年4月22日
雑穀は誰が作ってたの?農家が消費する分は誰かが作るんでしょ?そんなに稲作不適切地っていっぱい有ったの?
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かふぇ氷 @cafeseaside22 2017年4月22日
金融商品としての米という側面も。輸送力が無かった分、実物を動かさずに所有権を動かす手法が発達した。
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TENNOたまに謎狩 @XH834 2017年4月22日
takashi7zzfe 実は富山は穀倉地帯ではないのですよ。呉西地方はともかく富山藩のあったところと今で言う呉東地区は暴れ川の集中地帯で毎年川の流れが変わる勢いで田畑を押し流す上、扇状地なものだから保水能力がなく水田に適さない土地でして。昭和に入ってからの土地改造のおかげて耕作地の水田の割合面積日本一になっただけだったりする
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ひお! @hio5310 2017年4月22日
うちの田舎の話だからよそは知らないけど米って新米の話で出てることがある。手持ちの新米だけじゃ家族食べていけないので売り払ったりで普段食べるのは保存状態の悪い古古米とかを買ってくるのが普通。混ぜ物のない真っ白いお米の美味しいごはんはまさに一度も口にせずに人生終える人も普通にいたとかで農家が米食べれないってのはそういう意味だとずっと思ってたよ。
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後藤寿庵 @juangotoh 2017年4月22日
hika22 今の岩手県南を含む仙台藩は、北上川周辺の開拓で実質石高百万石以上。藩が米を専売して海路で江戸に運び、江戸市中の米の三分の一が奥州米と言われたりしてたようです。
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araburuedamame @rpdtukool 2017年4月22日
農家が価値の高い新しい米を売って価値の低い古い米を買って消費するというのは確かに合理的。一種の鞘抜きだし、商人は米先物で同じようなことしてたんであろう。こう考えると、どんなクズ米でも俸禄として受け取らざるをえない下級武士が米の流通制度内では一番きついポジだったのかもしれない。食ってもマズイ。売っても安い。踏んだり蹴ったりだよね。
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Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2017年4月22日
武蔵野うどんなどを無視して東京関東は蕎麦と言い切る人がいるのに驚く
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もっこㄘん @Mokko_Chin 2017年4月22日
江戸時代と言っても徳川幕府は現日本国政府よりずっと長く続いていた(265年間)訳で、小判の改鋳も繰り返し行われているので時期を別けないとピンと来ないな。
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あかりんご @7teikero 2017年4月22日
杉浦日名子さんが『お江戸でござる』で「江戸っ子は米をたくさん食べていた」と言っていた気がする
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公然秘密結社社員 @higrik 2017年4月22日
SkiMario 例えば山の上のほうは水が少ないためコメは難しい、また各種限界により同じ地域でも水が回らなかったり水が冷たい、日当たりが悪いなどの条件の悪い土地は一定数存在します。そこではできるもの、例えば野菜、雑穀その他などを作ったりします。
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わい(ry @waidottowai 2017年4月22日
昔の人たちの食べる量を、雑穀で賄うって無理じゃね?とは思ってた。組織的に栽培するならそこで米作れよっていう。
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公然秘密結社社員 @higrik 2017年4月22日
朝鮮に関しては、17世紀以降は逆にコメを輸入していた可能性も存在しますが、資料には詳しく書かれていない上、統計もなさそうですのでよくわかりません。
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島だろう @8888888822a 2017年4月22日
石高で記されているからといって毎年安定して石高で通り米がとれるわけではないよ。昭和辺りまで餓死する人間はかなりいたわけだし
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島だろう @8888888822a 2017年4月22日
鎖国だから輸出しないわけでもない(清やオランダ等とは貿易を続けていた)訳だから輸出していないと言うのも違うと思う。そもそも米事態1年位は保存可能だから食べなきゃ腐るというのも違うんじゃないかなぁ・・・・・・
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がち @gachikibou 2017年4月22日
そもそもなぜ「江戸の農民」とひとくくりにして考えるのだろう。コメがたくさんとれる地方とそうでない地方があるのは当たり前。例えば飛騨の一部では昭和に入った頃でも秋に集めたドングリが重要な食糧になってたりする。米をたくさん食べられる農民もいたが、そうでない場合もあった、というだけのような。
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ナスカ(Nazka-U) @Chiether 2017年4月22日
しまった。不景気だ不景気だと世の中が沈んでるとき、後年の歴史家を混乱させるため、みんなで日記に「お先真っ暗。おまんま食い上げですわ」と書き残そうぜ。って提案しそびれた。
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木下(ビーフストロガノフ作戦) @onece_a_fool 2017年4月22日
父から聞いた話だけど、戦後になって戦時中の配給がひどかったという話をしていたら南信の山間部出身の人が「でもうちの村じゃ白米を食べられたのは配給のおかげ。それまで白米なんて食ったことなかった。うちの村じゃコメなんて獲れないから…」という話を聞いてとびっくりしたとか。
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ひかる @hika22 2017年4月22日
juangotoh 教えてくださってありがとうございます。宮城・岩手県の一部は、江戸時代から稲作が盛んだったんですね。
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文里 @wenly_m 2017年4月22日
こういう議論の発展は好ましい。そして運営は一刻も早くコメント欄を簡単にまとめられる機能を
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たちがみ @tachigamiSama 2017年4月22日
普段は精米して食べていないから、白米をご馳走扱いしていた可能性もあるのか… 考えてもみなかったな
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もっこㄘん @Mokko_Chin 2017年4月22日
ビタミンB1欠乏に依る脚気(江戸患い)が問題化したのは都市部や上流階級者からで、農村部の人間は米は食べても白米だけを食べることは少なかったんじゃないかなとは思う(江戸で蕎麦が流行した一因)
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吉川卓見@制作ですらなくなった! @nondarasinu 2017年4月22日
そもそも石高=米というのが暴論なんでないかい?漁師なんかは魚や米相場が安い時は米買って年貢を納めたりしているから、藩によっては他の品物が石高に換算されているよね。確かに慶安御触書は江戸時代に書かれたものが残ってなくて、実際に残ってるのは百姓達が自主的に規制した文書が多いんだよ。『日本農民史料聚粋』に沢山のってる。
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sakai @SkiMario 2017年4月22日
higrik それってコメの何倍もの量の雑穀ができるほどの面積なんですか?
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kumonopanya @kumonopanya 2017年4月22日
浮浪雲でかご担ぎがコメばっかり食って脚気になった漫画を読んだことがある
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仏塔 ぐでだま亭免堂苦斎 @wheyh 2017年4月22日
明治になってからの話だが、酒に税金かけたら(自家製酒許さぬ)、ごっそり農民の妻が夫の身代わりに逮捕されたと、某金融資格講義で聞いた。焼酎は別として米なきゃどぶろく作れないもんなぁ。
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もっこㄘん @Mokko_Chin 2017年4月22日
話と関係ないけど、白米に雑穀混ぜた飯も結構美味いもんよ。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
SkiMario 僕が先に例に挙げましたけど、『改訂新版 稲作以前 (歴史新書y)』には、近代以後になっても戦時中のコメの一斉配給体制までは、焼き畑で稗や粟だけを作ってそれのみの飯を食べていた山村の例もありますよ。山村や漁村がそうですけど、どこもかしこも水田での稲作メインと思わないほうがよろしいでしょう。
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ほげ @soregashi_box 2017年4月22日
床屋談義はいいから論文とかだしてほしい
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絶望党員 @zetuboutouin 2017年4月22日
お上が換金作物として、米を徹底的に収奪していたので農民は雑穀しか食べれなかった地域が有ったとすします。それって、要するに薩摩による奄美支配のお米版なんで、米を食べた農民が罰せられる等の記録が残っているはず。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
地域ごとの食生活の違いとして、『知られざる日本 山村の語る歴史世界 』では、江戸時代後期の例として、平地のインテリ百姓階級が山村に出向いて、山村では常食の肉を進められるが、すすめられた方はゲテモノ的に感じてしまうという食生活の差が挙げられていた。山村だとほかにも、平地のような農業ができなくても、山中で採集できる様々な産物で自給したり、よそに売って現金収入にしたりしている。
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ISW @ISW007 2017年4月22日
日本全国の総石高のうちコメは6割ぐらいだからコメが作れない地域も多いわけで、どこででもコメが食べられたわけでもないと思う。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
あと『百姓たちの江戸時代』では、江戸時代後期の信濃のそこそこ裕福な百姓坂本家の帳簿から読み取ったことがいろいろ書かれているのですけど、様々な副食物をカネで他所から買っている。貨幣・流通経済も念頭に入れないと。
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絶望党員 @zetuboutouin 2017年4月22日
pear00234 表高盛りすぎて、財政が真っ赤になったので、百姓から搾り取ったところ、一揆が起こったという事例があります。島原藩です。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
soregashi_box とりあえず何度も挙げられてる『百姓たちの江戸時代(渡辺尚志)』が一番手近ですね。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月22日
8888888822a いや、先に例を挙げましたが(記録も残っている)、江戸時代中の朝鮮・清国・オランダ対象の海外貿易で、米は輸入輸出ともにまるで扱われていません。輸出は金銀銅、中期以降は高級海産物加工品がほとんど。輸入も繊維製品とか薬、砂糖など、量のわりに高額なもの。コメの輸出はアイヌとの交易ぐらい。
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義明_雑談用 @yoshiaki_idol 2017年4月22日
SkiMario higrik ut_ken 愛知県でも、地元の町名の変遷とかを調べた時に、昭和初期まで「○○新田」って付いてた地名が結構あって、遡ってみると明治時代に移住してきた集団が開墾して名付けた、ってのが結構あって、濃尾平野のど真ん中でも明治になるまで水田が無かった地域が結構あったんだなー、と知ったことがあったんで、そういうのはよく解るな。
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Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2017年4月22日
gachikibou 今は観光地になっている五箇山の稲作開始が第二次大戦後と知ってびっくりした
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山北篤 @Gheser 2017年4月22日
8888888822a いや、例え10年保存できたとしても、10年後には結局食べなければならない。つまり、保存期間の長さには無関係に、食品はいつか食べなければならないので、保存できるからどうこうという議論は意味がない。
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ハチマキくろだ@6/6東京ティア く17b @hatimaki_kuroda 2017年4月22日
zetuboutouin おかげで「舐めただけで子供が百叩きにあうもので酒を作る」という、話聞いてるだけだと矛盾する黒糖焼酎という産品が。
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ハチマキくろだ@6/6東京ティア く17b @hatimaki_kuroda 2017年4月22日
慶安御触書って「裕福な家光公の時代でもこんなだったんですよ」ってコピーで天保期に大流行した、って話があるのか...
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がち @gachikibou 2017年4月22日
yoshikun2009 五箇山は気象的にコメが育ちづらいし、山間の村落では土地が狭くて平坦でもないですからね。段々畑作るにもそもそも山の上に水源がなけりゃできないし、反収の低そうな場所に藩がわざわざ用水を整備したりするはずもなく。五箇山はまだ煙硝を作る技術があるから年貢は何とかなったらしいけど、それがないところは食べるものは雑穀、補助にドングリや山野草、養蚕なんかで得たわずかな金でコメが買えれば御の字、ってところだろうな。
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がち @gachikibou 2017年4月22日
gachikibou とはいえ、これも日本の一部地域の話に過ぎないわけで、別に「江戸時代の農民全部」がこういう生活をしていたわけじゃない。米どころでは当然コメは安く手に入ったろうし、そういうところではそりゃ農民もコメ食べるでしょ。
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ハドロン @hadoron1203 2017年4月22日
武士階級といっても、人口の7%しか居ないからねぇ。8割を占める農民は、普通に米も食って消費してたんだよ。ただ、農民といってもピンキリで、庄屋・名主といった支配階級は豊かな暮らしをしていた半面、土地を持たない小作農は年貢のほかに地主に耕作料も払う必要があり、生活は貧しかった。
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きゃっつ(Kats)⊿ @grayengineer 2017年4月22日
大学時代(80年代)に近世民衆史やってたけど、そのころからもう研究者の先生たちはこういう話してましたね。研究者の知る農民と学校教育で教えられている農民がかけ離れていると。で、それは学校教育のほうにマルクス主義史観の影響が大きいんじゃないか、っていう話でした。たぶんそうなんだろうなと思います。
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きゃっつ(Kats)⊿ @grayengineer 2017年4月22日
これ以外にも学校ではたとえば「苗字がなかった」「教育を受けられず文字が書けなかった」など「農民は被差別階級であった」というようなニュアンスの内容で教えられてきましたが、これらもいずれも不正確で、苗字は公的に使用できなかっただけでなくなったわけではなく、私的な記録や文書では普通に使われていましたし、日記や手紙など農民たちの文書もたくさん遺されていて、かつ、寺子屋で学んだ歴史や算術などある程度の教養もそれらの文書から読み取れたりします。
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長 高弘 (獣脚類ティラノサウルス科ズケンティラヌス) @ChouIsamu 2017年4月22日
細かい事だけど、言い出しっぺの人は「自分で気付いた」のでは無く、好意的に解釈すれば、「かつて読んだ本の内容を思い出しただけ」の可能性が有るように思う。……問題は、「かつて読んだ本の内容を思い出しただけ」の場合、その本の著者が某偽ユダヤ人だったりするんじゃないかと云う事なのだが……。
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tsuachiya @tsuachiya1 2017年4月22日
最後の一粒まで商品から、米を売って雑穀を買ってたんじゃないの?アラブの産油国が油は最後の一滴まで商品なのと同じで。
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きゃっつ(Kats)⊿ @grayengineer 2017年4月22日
SkiMario これは実はそもそも近代以後の品種改良によって病虫害に強い稲、寒さに強い稲などが開発されていって克服されたところがあるので、現在の感覚で見ると米が作れない地域があるほうが不思議に見えますが、当時は現在に比べると稲という植物そのものが弱かったので、稲作に向かない地域が多かったというのはあると思います
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島だろう @8888888822a 2017年4月22日
ut_ken すいません、まとめに対して、そもそも鎖国の話が出るのがおかしいと書いたつもりだったのですが紛らわしかったですね😞💦
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スキタイ人かもしれない @eumenes177 2017年4月22日
他の方も仰っておられてますが、場所によりけりですなぁ。
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きゃっつ(Kats)⊿ @grayengineer 2017年4月22日
もちろん近代以前の中世・近世にも稲作の技術的改良はいろいろあって、道具類の改良、肥料等の改良、水利の改良、稲の品種改良、などなど、そういう積み重ねがあって今があるのですね
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ハドロン @hadoron1203 2017年4月22日
江戸から明治にかけて、日本人が何を食べてきたかは、この資料見ると分かりやすい。http://urx.mobi/D5g6 飛騨地方の統計だが、カロリーベースで米が64%、麦類が19%、稗、蕎麦などの雑穀が5%、大豆などの豆類が6%となっている。サツマイモがもっと多いかと思ってたけど、おかずを含めた全食糧中でも米が圧倒的に多いのが分かる。
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長 高弘 (獣脚類ティラノサウルス科ズケンティラヌス) @ChouIsamu 2017年4月22日
おそらくですが、例えば、うどんが美味い地域には2種類有って、近代以前から大都市だったり流通の拠点だった地域(関西・博多など)か、近代以前が、何からの理由で、毎年は米が出来るとは限らない地域(水不足が多い讃岐など)
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MitiM ヨ @mitim 2017年4月22日
興味深い面白い考察だけど、百姓8割を勝手に農民8割にしてしまってるのが難点 当時の百姓はそれこそ何でもありの人口として考えられていて(だから大部分が水飲み百姓)、土木工事など大型事業は百姓が従事していた もちろん土木の大小はあったろうが、見沼用水路のような大規模な事業もけっこうやっていたわけで、割合的には数%には収まらなかったのではないだろうか
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sudoufu @kappazizou 2017年4月22日
tsuachiya1 まあ雑穀を何処から買うかってのも有りますんで、雑穀の製造量、流通の問題で”これ以上は米を自己消費した方が良い”って拮抗点が有るはずで、最後の一粒までってのは無いか余程特定の地域に限られるんじゃないかと
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長 高弘 (獣脚類ティラノサウルス科ズケンティラヌス) @ChouIsamu 2017年4月22日
「近代以前は、農民は米が食べられない地域」に関したは、日本でも、戦前までは(もしくは下手するとガス釜や電気釜が普及するまでは)、湯取り法(要は、東南アジアなどでの伝統的な長粒種の米の炊き方と同じ)で米を炊いてた地域が有ったみたいで、そう云う地域は、元々は雑穀食が主流だった可能性が有るらしいです(1970年代か、それ以前に書かれた本に載ってた話なので、最近の研究などでは別の説が出てる可能性も有りますが)
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とりこ @TRI869 2017年4月22日
江戸時代初期は病害虫・例外対策のため1つの田んぼに赤米・もち米・インディカ米・早生・晩成種をあえて混在させて植えるのが普通だったが、商品作物としての価値は和米の晩生種に敵うものが無かったため、だんだん田んぼの米がそればかりになっていき、それが結果的に飢饉が起こった時に被害拡大にもつながっていたという
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とりこ @TRI869 2017年4月22日
とはいえ江戸時代はむしろ国民がやっと食べ物をまともに食べられるようになった時代なのだそうで、戦国時代は毎年江戸時代でいうところの飢饉レベル。なぜそれがわかるかというと(続く)
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とりこ @TRI869 2017年4月22日
檀家の誰々が何年何月に死んだという記録を戦国時代から付けてるお寺があってその記録を整理すると、江戸時代の飢饉の年には稲刈り時期に一番死者が少なく、そこから夏まで死者が増加し続けるグラフになるのに対し、普通の年は冬と夏の気候の厳しい時期に死者が増えるグラフになるのだそうで、それが戦国時代はずっと前者ということらしい
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グレイス@とーほぐファーマー一年生 @Grace_ssw 2017年4月22日
1400年~1900年ぐらいまで地球は小氷期だったという説がある。また、米は温暖な地域の作物であり、気温の低下には強くない。江戸時代までは米の品種改良も原始的なものだったであろうという予想から、米は今以上に気温の変化や病害虫に弱かったのではないかと考えられる。更に、当時の流通は人力か荷馬が基本だったこともあり、運搬距離にはそれなりに限度があったと考えられる。藩が違えば別の国の如き時代だったことも加味すれば、局所的な異常気象による不作は結構な頻度で起こったのではないかと考えられる。
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フルグラ美味しい @frugura 2017年4月22日
昔、大学の授業で習ったのは、江戸時代(どの時期か忘れた)の宮崎県の農民の暮らしを調べたら、予想に反して、摂取カロリーの半分は米からだったという話だった。
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mikumiku_aloha @mikumiku_aloha 2017年4月22日
家父長制だと家長やその跡継ぎである長男と、三男以下では同じ農民と言える食事情だったのかどうか。 大正や昭和の話になってしまいますが、農家の三男、五男とかいう人達が軍隊に入って、 銀シャリを腹一杯食べられるのが嬉しかったみたいな話は記憶にあります。
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李会 @rikaIMur 2017年4月22日
緑の革命って、あまり知られてないのかな。質が高く、そして均一な農作物が、広範囲に安定して供給されるようになったのは、本当にごく最近と聞く。
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m.t @Ellfas3 2017年4月22日
戦前日本で最も高級視されていた米は台湾米、その後きっちり緯度が上がる毎に評価は下がります。米の原産地を考えれば当たり前の話ですが…水稲農林一号というインチキみたいなゲームチェンジャー後の現代とは全く世界が違うのです。
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グレイス@とーほぐファーマー一年生 @Grace_ssw 2017年4月22日
米は2~4年ぐらいなら保存も効くので古古米などを使ってどうにかして飢えは凌いでいたのかもしれないが、収める年貢は確保しなくてはならないため、贅沢に毎日米というわけにはいかなかったのではなかろうか。これは古くからの言葉が米を特別扱いしているところからも想像できる。また、米は通貨の一つでもあったので大名はきちんと管理していただろうが、雑穀などは割と雑な勘定だったりした可能性もある。荒れ畑でも粟や稗なら育てやすいので、そこそこの量を作っていたのでは。とはいえ主食になるほどではなく、あくまで救荒食かな?
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グレイス@とーほぐファーマー一年生 @Grace_ssw 2017年4月22日
なので、農民が米をたらふく食っていたと言うのも、米なんかめったに食えないぐらいの贅沢だったというのも、両方とも間違いなのではないかなと。平時は米を食っていられたけれど、何年かに一度来る台風や冷害の時は本当に米なんか食えないぐらい飢えた可能性があって、それ故の山車だったりもっそうめしだったり新嘗祭だったり例大祭だったりするのかなあと、そんな感じ。
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寺井砂都 @SatoTerai 2017年4月22日
現代だと白米より雑穀米の方が高いという…
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とりこ @TRI869 2017年4月22日
雑穀混じり米なんて今じゃヘルシーとか言われて売られてますけど、江戸時代や戦前どころか昭和40年代ぐらいまで臭くて不味くて白米と比べたら食えたものじゃなかったそうです。貧乏人は麦を食え、なんてのが大スキャンダルになった理由もそれですし、今でも昭和30年代ぐらいまでに生まれた方は玄米ご飯や雑穀混じり飯を食わず嫌いする人が多い
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とりこ @TRI869 2017年4月22日
トマトがフルーツになるほど急激に糖度があがったのも昭和40年代ぐらいからだしさつま芋の糖度も同時期に飛躍的にあがってるし、あの辺が食べ物の「量から味への転換」の時期だったんじゃないでしょうか
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とりこ @TRI869 2017年4月22日
以上踏まえた上で、以前自分が書いたコメントをもう一回書いてみる『日中戦争が起こるのでこれからは米が足りなくなる、だから市民は雑穀混じり米を食べるべし、みたいな小冊子が都市に配られたことが農業紙に取り上げられた時の感想が「俺らずっと雑穀だ。何で米作らない都市民が白米食ってるの?」を中心に都市民へのヘイトと「ざまあ」の嵐で埋め尽くされてた』
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とりこ @TRI869 2017年4月22日
話の流れから一部切り取ってるので「俺らずっと雑穀だ」ってのは雑穀混じり飯のことだと思ってください。ともあれ、ずっと農民はよほどの祝の時とか、それこそ死にかけの人に出す以外は基本雑穀まじり飯を食べてたらしいんですね。白米に憧れながら
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みゆう @MinamidaYminami 2017年4月22日
弥生時代はみんなお米食べていたのに、戦国時代や江戸時代の農民はなんで粟や稗等の雑穀になってしまったんだろうと思ってたけど (=Φ人Φ=)
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花おみそ @hanaomiso 2017年4月22日
村上龍のエッセイで「百姓は奴隷のように扱われてたと教科書には載ってるがウソだ。そんな生活じゃチンポ勃たないしオマンコ出来ないじゃん?でも百姓はちゃんと子供つくってる」っての思い出した。
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みゆう @MinamidaYminami 2017年4月22日
江戸時代って、キリスト教徒が虐げられ、贅沢禁止令や倹約令で茶色や灰色の地味な着物ばっかり、お伊勢参り以外は自由によその土地に行けない、寺の許可がないと結婚も葬式も出来ず、西洋からの外圧がなけりゃ近代化出来なかった、と農民が苦しい生活を強いられていた暗黒時代というイメージ (=Φ人Φ=)
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꧁꧂眼鏡オヤジ꧁꧂ @kgbn1112 2017年4月22日
武士や江戸民は、秋収穫の米を1年中食ってた、農民は秋収穫の米を半分取られるから、春収穫の麦を混ぜて食ってた。だと思ってた
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ディアリーン@アークス @amatuki314 2017年4月22日
そういえば、日本で脚気が流行りだしたのは江戸時代から明治で白米食べだした時期か。 時代小説でもよく町人や地方の農家が米とか米+雑穀食べてるし、食えないほど苦しいのは飢饉とか冷害とかで穫れないけど収めなきゃのときか。
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Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2017年4月22日
gachikibou 五箇山は金を貸した商人すら何度か吹っ飛んだほどの貧困の地だったそうです。
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Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2017年4月22日
TRI869 もっと調理方法を変えられなかったのか?とも思ったのですが、昔のような調理用の熱源や水の確保にも一苦労した時代だと美味しく食べる調理法を探すのも大変だったのかな?
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七七四未満六四以上 @zy773 2017年4月22日
作物としての米と、料理としての白飯の差ですかね。生産しているからには消費もしているけど、米は通貨や納税としての意味も有ったので、米を売って雑穀を買うケースも有ったでしょうし、保存も流通も現在とは比較にならないでしょうから。
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じ ょ す ( J o s - a k i ) @joschiaki_swym 2017年4月22日
「石」の説明で出てくる画像の文章、論理的にちょっとおかしい気がする。はじめの段階で江戸時代の農民は米を食べてたかどうかわからないのに「石と人口が一致するはず」が前提になっている。一致するということはすでに食べてることがはっきりしてる前提が必要なのでそれをもとに食べてたかどうかを議論するための仮定にするのはおかしいのでは。実際に食べてたかどうかは別にして。
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熊田一司 @Kuma_art 2017年4月22日
井沢氏の「お百姓さん米食えなかった」→「では米をどこに輸出していたのか?」→「あれ?」のくだりの元ネタは山本七平じゃなかったかと。 『日本人とは何か。』 ~21章 五公五民と藩の経営<五公五民は農民搾取だったという常識のウソ> http://d.hatena.ne.jp/Atori/20090914/p1
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
「農民は米を食べられない」とホントに言われてたの?、という話で、私が記憶に基づいてですが断言できるのは、1968年(昭和43年)刊行、監修・考証・解説:和歌森太郎 作画:カゴ直利・宮坂栄一…だったらしい「学習漫画 日本の歴史」ですね。絵の構図まで覚えています /「この手で作った 米は食べられず」「毎日食べるものといったらアワかヒエだよ」と。子供心に「かわいそうだなあ」と思いつつ「アワって泡?あのあぶくを食べるの?」「ヒエって冷えた何か?」と疑問に思って親に聞いたので(笑)
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sakai @SkiMario 2017年4月22日
grayengineer いや、それを理解したうえで、そんなに雑穀の作付け面積が多かったのかって話です。雑穀農家が多くいたのであれば、上記の米だけの計算がそもそも空論になりますし。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
gryphonjapan 上で書いたやつは江戸時代の巻(そういえば慶安のお触書も史実扱いだったな…当時なら当然か)で、このページでの紹介画像は南北朝時代だから直接関係ないけど、知ってる人はこの絵柄を懐かしんでください(笑) http://www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/fmanga/kago.html 新しいバージョンになる前、昭和40-50年代に一番売れてたらしい「学習漫画 日本の歴史」
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有芝まはる殿下。は混雑しない店で食事する @Mahal 2017年4月22日
gryphonjapan このヘタレ系北条高時の絵はなぜか普通に覚えてるw
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neologcutter @neologcuter 2017年4月22日
貧しい「おしん」でも大根メシ食ってたワケだから、庶民がなんか混ぜて食ってた事は間違いないでしょ。麦飯(江戸時代なら米2~3割が標準?)なんてのもあったわけだし。
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neologcutter @neologcuter 2017年4月22日
なお、まとめの冒頭に出てくる学習漫画「少年少女日本の歴史」の初版は昭和57年だから、今とは歴史教育の見解が随分変わっている可能性はあるよ。
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ドラゴンチキン ネリウマ⭐︎いさお @dragonchicken19 2017年4月22日
まず水田は連作障害が起きないので毎年同じ面積で作付け出来る、と言うのがある。
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ドラゴンチキン ネリウマ⭐︎いさお @dragonchicken19 2017年4月22日
竹田の子守唄に「被差別部落で貧乏だから大根の葉っぱ混じりの飯を食ってる」という歌詞がある。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月22日
直接の回答に繋がるわけじゃないけど、参考になるかもなマンガの画像を追加したので、興味ある人は後半部分をちょっと覗いてみてください。
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Ornithomimus似鳥龍スー・ニャオルン @_2weet_sue 2017年4月23日
七人の侍は戦国時代の話だけど菊千代の台詞を一部。 「やい、お前達いったい百姓をなんだと思ってたんだ?仏様とでも思ってたか?ああ? 笑わしちゃいけねえや。百姓ぐらい悪ずれした生き物はねんだぜ。 米出せって言や、無え。麦出せって言や、無え。何もかも無えって言うんだ。 ふん、ところがあるんだ。何だってあるんだ。 床板ひっぺがして掘ってみな。そこに無かったら納屋の隅だ。 出てくる、出てくる、瓶に入った米、塩、豆、酒。 山と山の間へ行ってみろ。そこには隠し田だあ。」
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和田名久司 @sysasico1 2017年4月23日
全部のコメントを読み切れてないけど、小学生低学年から数十年間、疑問に思っていたことなんだな。教師に農民が米を食べれずに粟や稗を食べてたら、農民は粟や稗ばかり作っていたのかって聞いたりしたけどはっきりしなかった。士農工商というけど百姓を農民にしちゃいけないこと。村々にも米を作らずに生計を立ててた人達も多かったこと。年代が進むにつれて土地を手放した農奴然とした水飲み百姓が増えていった事なんかが判ってきたのはかなり経ってから。(続きます
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月23日
_2weet_sue 農民にしてみればみんなそれは自衛、「上に政策、下は対策」なんですよね。収入が増えたといって、喜んでそれをお上に申告し、税を増やしてほしい…なんてやつは今に至るまでいないわけで(笑)、だから「査察」というか実質増税となる「あらためて検地をやるぞ」に関しては、やはり命がけでの闘争や、その前に「そうはさせないぞ」という、農民側からの猛烈な牽制も行われたとか。
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和田名久司 @sysasico1 2017年4月23日
幕府や藩が測量した石高と収穫には乖離があったこと。日本は南北に細長く、また品種改良が十分で無かった米は、少しの事で出来高に差が在ったこと。泡や稗は米が不作のときの救荒作物として作っておくのが普通だったこと。当然、作った雑穀は混ぜて食べていたこと。作った粟や稗は救荒作物の粟や稗は蒔いてから短期間で収穫できるが、連作すると地力が落ちること。とか、身分制度に関係なく、針が棒になった話ではあるけどそれなりの根拠は有ったことなんかは、最近になってまとめて知りました。
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和田名久司 @sysasico1 2017年4月23日
ただ、水田稲作は連作障害が起こりにくく、麦に比べて同じ面積当たり2倍の収穫が出来るスーパー穀物なんだよね。玄米なんかは偏りがあるけど人間が生きて行くに必要な栄養素を含んでいるので、副食が少なくても米を食ってれば生きていける。ただ、医療の面からいって明治以前の日本は今からすると、地獄みたいな所だったのは確か。
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すいか @pear00234 2017年4月23日
zetuboutouin それ、一揆なんてレベルじゃなくて乱なんじゃ・・・
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吉川卓見@制作ですらなくなった! @nondarasinu 2017年4月23日
Ellfas3 確かに緯度が高いとマズくなるかも。平成に入って『きらら397』(これもそんなに美味しくなかったけど)が出るまで北海道の米はマズイ!といわれてたっけ。あと、みなもと太郎さんの漫画の捕捉ですが、育てなかったというより蝦夷では米が発芽しないので育てれなかった。北海道だと小学校の授業で習わされます。農林33号とか憶えるんですよ。詳しく下記のサイトでhttp://www.aleph-inc.co.jp/fuyumizu/fuyumizu08.html
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ええな@(政経&剣術)🐷手洗い @WATERMAN1996 2017年4月23日
人口という視点で考えると、江戸時代までは米を食えていた地方でも、明治以降の人口増加で食えなくなったというパターンもありそう。
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遊佐飛鳥@漢晋春秋 @asukayusa3594 2017年4月23日
pear00234 水戸藩なんかは御三家なのに石高低くて、格式に見合う石高で(水増しして)申告した結果、格式に見合う出費を工面するために相当苦労してた、なんて話もありますな。福岡黒田藩も表向きは52万石ですが実勢はかなり低かったようで、差額を埋めるために干拓開墾事業なんかを随分やってます。
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フローライト @FluoRiteTW 2017年4月23日
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を思い出してみよう。『一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ』…賢治玄米食べ過ぎ…!と気付かないだろうか。東北の寒村、不作にあえぐ中で別にデカい稼ぎのあるわけでもない賢治ですら日々4合食える。食ってたんだよ…江戸の農民も…!! ただ、米以外のものをそれほど食べるわけでもなく、肉もナシなんだから、それで肉体労働する農民ボディを維持しようとするのは困難だっただろう。栄養素もオール米で摂取という無理筋も考えられる。「食えてた。でも足りなかった」が答えじゃなかろうか。
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SIMIN @simin43320 2017年4月23日
薩摩や南部はきつかったらしいですが^^;
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SIMIN @simin43320 2017年4月23日
自立した中濃と零落した小作人など 社会構成を考えないと。。。
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せんざトモ@最近はCoD:BOCW(クソエイム)とウマ娘 @senzatomo4179 2017年4月23日
既に書かれてますがそもそもの漫画の画像の中でさえ「米を食いつぶさないように」粟やヒエを育てなさいというお触れの話なので、『米を食べられなかった』の根拠画像としては不適。なお、この学習漫画、全巻持ってますが(私の史学好きの原点)、他の場面で「農作業中の昼飯」の場面で普通におにぎり食べてます。
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ニートその3 @apribi 2017年4月23日
俺が村長的な小役人なら、とにかく新米を備蓄して村人には古米を食わせるわw で、飢饉とか不作の年にコメが食えなくなるんだろうよw
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いかおとこ @mororeve 2017年4月23日
全くの推測だけれども、その説が唱えられた当時の人たちの中で白米が最高の食べ物だとされてたから、支持されやすかったのかなと。 前テレビで百歳以上の高齢者に人生で一番おいしかったものはとアンケート取ったら白いご飯が最も多かったの見てそう思った。
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kartis56 @kartis56 2017年4月23日
_2weet_sue 戦国時代の史実ではなく、現代の人が書いたフィクションなので、事実だと思うのは危険
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業界一チョロい声優、コマ @kommakoma 2017年4月23日
李氏朝鮮で米が食べられていたかについては懐疑的ですなぁ。朝鮮半島の緯度は日本の東北辺りになるので、品種改良で近代に寒さに強い米が作られるまでは東北地方が米作りに適さなかった点を考えるとどうしても。あと水車も普及しなかった国で大量の水を使う米作りが発展したとは思えないですし。
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kartis56 @kartis56 2017年4月23日
些細な話だけど、米って水がかからない限りはまず腐らない。それより、虫やネズミに食われて減損するほうが多いかと
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業界一チョロい声優、コマ @kommakoma 2017年4月23日
もちろん輸出記録がある以上作ってはいたのでしょうが、朝鮮半島全域の人間が食べられるほどではなかったのではと考えます。
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kartis56 @kartis56 2017年4月23日
石高の話は、総生産=石高じゃなく、見込み生産量が石高であって、その見込みに基づいて年貢が決まる。今の所得税みたいに実際に作った量の半分を収めるわけじゃない。したがって石高は人口に一致しない
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
SkiMario 田んぼのあぜ道の斜面とそれに隣接する田んぼの端っこは全国的に通常課税対象外だったため、大豆や雑穀が盛んに植えられていたそうです
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草葉犬死朗 @typehoon 2017年4月23日
穀倉地産の年貢の米が商人に渡り、その米を漁民が買って年貢として納付、みたいな感じで、年貢の米は複数度循環してただけで、実際に存在した米の総生産高は、納入された年貢より少ない可能性は
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魔法 💋うにゃ💄幼女 @KKG0R 2017年4月23日
1:石高=米の生産量ではなくて…米の生産量と価格分布から農業・漁業や林業の生産の経済的量換算じゃないかな?なので、石高が多かったからといって必ずしも米が多かったわけではないし。 2:禁止令が出たってことはやっていたんだろ?>農民米食
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空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2017年4月23日
ガキの頃読んだ「カムイ伝」で刷り込まれました。
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空家の恵比寿様1968 @ebcdic_ascii 2017年4月23日
_2weet_sue 後のシーンで、実際に酒だの食い物だの何でも出てきて、勘兵衛が「菊千代の言ったとおりだな」と苦笑いするのがいいね。
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水原賢治@コミックス「少女紀行」発売中 @Tirumu 2017年4月23日
品種改良や生産性の上がった現在でも農家は平均して1.96人分の米しか生産してない。 つまり3千万の農家は六千万足らずの食糧を生産しているに過ぎない。 江戸時代の食糧自給率と格差を考えれば、人口の殆どが飢餓状態と言っても過言じゃなく、 享保から明治まで150年間殆ど増減していないのは飢餓による死や堕胎や間引きが行われてたから。 「農民が米を食えたか?」って、現代ボケ発言のような気が…。(^^;
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Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2017年4月23日
sysasico1 水稲自体インフラ整備維持にコストかかる作物なんですよ。水を大量に使うと天災での水不足や洪水による栽培中の減損も確率上がるわけで。
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ハチマキくろだ@6/6東京ティア く17b @hatimaki_kuroda 2017年4月23日
Tirumu 「カロリーベースが米」と「必要カロリーに足りてない」は両立しますので。
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hararitto @sseg14 2017年4月23日
kommakoma 朝鮮半島の稲作に関しては、当時の農業系のマニュアルが残っていまして、それによると、李朝期の初期はやはり水田があまりなかったようです。半島は梅雨がないので初夏に水が確保できなかった。だから水田耕作はやるなと書かれている。後の時代のマニュアルになると水田耕作の方法が書かれているので、多少は普及したんでしょうね。陸稲は良く作られていた。 (ここの一連の議論で陸稲が抜け落ちてるのは良くないかも)
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Y @MC680X0 2017年4月23日
だいたい、「江戸時代の農民」っていうのがざっくりしすぎ。「明治時代以降はみんな自家用車を持っていたか」くらい雑な括り。
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hararitto @sseg14 2017年4月23日
「雉も鳴かずば撃たれまい」の昔話は信州が舞台という説があるらしいが、実際に長野に行ったら、果樹栽培が盛んになる前の長野は大変だったろうな、という地形だった。長野市などは林檎畑ばかりだが、かの有名な川中島の周辺は貴重な平地で、だからあれだけ合戦が起こったのだろうな。
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ざの人(棘用垢) @zairo2016 2017年4月23日
実際の所、江戸時代の食生活は~合っていようと?間違っていようと、我々の生活に影響が出るわけではないですからね。 時代考証は色々面白さは有りますけど、ぶっちゃけ,興味ない人にはとことん興味のない話です。時代劇を見る観点が変わる。という楽しみはあるかもですが、食文化、食育という観点では、何かと大事で、現代の病気を食から見直すという観点では話が違ってきて、大事ということにはなります。
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Tsuyoshi CHO @tsuyoshi_cho 2017年4月23日
コメントをまとめて理解しとくと大よそがわかるカンジですね
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Takanori Hayashi @tzhaya 2017年4月23日
直接の解答ではありませんが、山梨県高根町小池地区の『稲作坪刈帳』に文化6年(1809)以降の作付品種、作柄、坪収量が記録されており、これを分析した論文が「坪刈帳が語る江戸から平成までの米作りの歩み(1)」(松本精一, 農林統計研究, 93, p.14-30(1999-08))です。 http://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010601755
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Takanori Hayashi @tzhaya 2017年4月23日
tzhaya この文献によると、10年ごとの期別収量は1809-1819年の1.16升であったものが明治3(1870)年には1.29升とちょっと上がっています。なお平成2(1990)年は2.30升です。
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Takanori Hayashi @tzhaya 2017年4月23日
tzhaya 坪刈帳が語る江戸から平成までの米作りの歩み(2)(松本精一, 農林統計研究, 94, p.1-12(1999-12))では品種について詳しく言及がありますが、江戸時代は「同一品種を長期間にわたり栽培する品種変動の少ない時代」とあり、中生、晩生品種が主流、また甲府御役所から特定品種の作付けの禁止を強制(文政12(1829)年)とあります。
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Takanori Hayashi @tzhaya 2017年4月23日
tzhaya とはいえこの「坪刈帳」の品種名からは「農民は幕藩体制の中でも積極的に地域(藩域)をこえた品種の交換・導入を行い、同一品種でも新しい系統品種の交換・導入」が行ったことが読み取れるようです。
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みこみこ。 @MikoMiko2048 2017年4月23日
コクゾウムシにどれくらい食われてたんですかね
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Ornithomimus似鳥龍スー・ニャオルン @_2weet_sue 2017年4月23日
gryphonjapan それは確かに土地に対する収穫量が現在とは比較にならず富の偏在はあっても身分問わず全体的として豊かとは云えなかった時代の生きるための闘いだったでしょうね。 挙げた七人の侍でもは主人を失くした浪人なら金は出せなくとも腹一杯の白飯を食わせると云えば雇えるのでは?と物語が始まりますし。
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えこ~ず @ECHOES_54 2017年4月23日
前にどこかの学者が、「戦前でも百姓の多く(小作が七割)は米が食えなかったと言ったら「明治からは米食えるぞバカ」と噛み付く奴らが多い。当時の記録の郷土史やお年寄りからの生の声を無視してイメージばかり先行している」などと嘆いていた話を読んだことがあるが大体これと同じに思える。当時の記録を無視して勝手に式を当て嵌めて結論を出しちゃあかんよ。そいうのは大抵、式に足りない数字があったりするんだ。
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えこ~ず @ECHOES_54 2017年4月23日
明治になって農村はむしろ江戸時代より搾取されて、その経験から江戸時代の農村も過剰に搾取されたという印象をもちがちだという研究者もいるが、勿論地域によって暮らしが豊かな地域も貧しい地域もあり、農村の中でも貧富の差は当然ある。そして、大多数を占める貧しい者はそもそも米が買える経済力はない。というか農村から外貨の獲得手段として出て行った米は都会に売られるわけだし、例えめぐりめぐって帰ってきたとしても買値>売値にさらに+αで手が出せない。
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えこ~ず @ECHOES_54 2017年4月23日
まあ、要するに都会や富裕層で消費できない米が生まれるからと言う話に対しては、余っちゃおかしいのか? だって、昔の流通だよという感じに思える。というか、戦国時代でもフロイスに「米の多くは酒とか各種加工品に使われる、そんなことしなければ万人にいきわたるだろうに」なんて書かれてたりする(酒とかに使わなくても万人が食べられるようにはならないと俺は思うが)そんなわけで、別に腐らせたりもしてないかもしれない。昔の酒消費量ってばかにならないし、そもそも作る際に何割か駄目になるし。
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taka @Vietnum 2017年4月23日
江戸時代、どの農村にも「隠し田」といわれる簿外の田んぼがあって年貢はかからなかった。 だから日本全国の実際の収穫量は名目上の1.5倍もあった。 二宮尊徳もあぜ道に植えた作物を稼ぎの足しにしてたらしい。  言われているほど農民や町民に過酷な時代ではなかったって『お金の流れで読む日本の歴史』って本に書かれてあるね。
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Ornithomimus似鳥龍スー・ニャオルン @_2weet_sue 2017年4月23日
kartis56 ご指摘ありがとうございます。 ただ監督は↓こーゆー人だし 黒澤明は「七人の侍」の撮影で本物の古丹波を叩き割らせた - Togetterまとめ https://togetter.com/li/1102758 @togetter_jpさんから そもそも七人の侍が武士を雇った百姓がいた史実を面白いと思ったところから出来た物語だそうなので。 時代劇の考証は史料に忠実なほどフィクション部分の輝きが増すわけで大きな嘘を支える小さな無数の事実には気を配ってると思いたいと…
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
_2weet_sue そもそも『七人の侍』への史実的な基本的な指摘として、「戦国時代の農民は戦に出たり村同士の武力衝突もあって、あそこまで戦いの素人のはずがないし、武器をこそこそ隠し持っていたりもしない」という話の根本にかかわる話がありまして。
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toshifumi takizawa @tackyto 2017年4月23日
日本の郷土料理は農民食でもほとんど米使ってますから、一般的な農民も主には米食だったのだと思います。ただ、地域で養える人数は農地の大きさで厳格に決まりますから、増えた人口を養えないという事案も発生したのではないでしょうか。
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なんもさん @nanmosan 2017年4月23日
んー。なんか「唯物史観」が江戸時代誤解の最大要因みたいなこと言ってる人いるけど、そもそもべつに戦後急に江戸時代の評価が落ちたわけでもなければ、戦前の歴史学会が唯物史観に染まってたわけでもない。要するに、明治維新が絶対正義な時代には江戸時代は悪でなきゃならないに決まってたからなんですよ。むしろいわゆる唯物史観の主張だと、富国強兵と資本主義によって農民は自作農から小作農へと転落し、農村が江戸時代よりも疲弊したと主張してた気がしますな。
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姓名 @nityonityo 2017年4月23日
白米が贅沢品で、年貢は籾米か玄米で保存。。。ほとんどのひとは、この玄米を食べていたんじゃないかと思う(´・ω・`) だから白米を日常的に食べていた、という記録がないのが当然じゃないかしら。。。
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sokuoku @sokuoku 2017年4月23日
現代人「弥生時代の前の縄文人はコメ食べられなくてかわいそう」 縄文人「えっ、栗の木植えて栗食べてるし、鮭なんかの魚も焼いて食べてるんだけど・・・?」
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きゃっつ(Kats)⊿ @grayengineer 2017年4月23日
nanmosan 「江戸時代の評価」なんていうアバウトな話ではなく「武士と農民の階級闘争」という捉え方がマルクス主義史観独特っていう話ですよ
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きゃっつ(Kats)⊿ @grayengineer 2017年4月23日
一揆も「民衆反乱」的に誤解されてきましたが江戸初期~前期ごろの一揆は「代表越訴型」と言われ、農民の代表が幕府機関などに代官や領主の不正などについて越訴する、という形式が主流だったので、これも実態から離れて「プロレタリアート革命蜂起」みたいなマルクス主義史観に寄せた解釈をした結果、と考えられます
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九郎政宗 🕊️【∃】🌈🚩🖖 @claw2003 2017年4月23日
▼あのう(@∀@)「階級史観を信じる学者が、『江戸時代の農民はコメをほとんど食えなかった』と主張していた」というのがそもそも #信じていたのにウソだった知識 なのではないでしょうかw
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kartis56 @kartis56 2017年4月23日
_2weet_sue それはリアルとリアリティの話で、リアルの話にリアリティというフィクションを混ぜないでくださいということなんですが
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九郎政宗 🕊️【∃】🌈🚩🖖 @claw2003 2017年4月23日
▼永原慶ニ先生の本を見てもわかるように、http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/booth/m_essay06.html マルクス主義的な歴史学は農民を「搾取されっぱの無力な存在」とは考えてないのでは(@∀@)
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もっこㄘん @Mokko_Chin 2017年4月23日
昔の事情にはあんま詳しくはないんだけど、貧乏人は粟・稗を食えなんて文句を聞くこともあるが、土地と比較しての生産効率なら、当時としてもある程度の品種改良・栽培ノウハウの進んだ稲のほうが上だよなきっと(必要労力等もあるが)
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sakai @SkiMario 2017年4月23日
TRI869 そうなんですか。ありがとうございます。でもそれだけだと大した量にはならなさそうですね。米の方が圧倒的に多くなりそう。
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クロモリフレーム @crmoframe 2017年4月23日
陸稲はともかく水稲は連作障害が事実上発生しないし、田んぼに水を張る関係上、雑草対策にもなるんだよね。戦国時代に兵隊を数万人の規模で動員出来たのは米の生産性の高さ故だし。
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きたはら @kitahara220 2017年4月23日
板倉聖宣の本にはつづきがあって、「当時の農民が苦しかったのは、年貢として収めたコメを最終的には買い戻さないといけなかったから」 ということは、(ここまでは書いてなかったけど)商品作物が作れる庄屋クラスはともかく水呑百姓(加賀で鉱山や塩田を持ってたとかは別な)が「コメをほとんど食べることが出来なかった」はそこまで大外れでもないのでは?とも
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きたはら @kitahara220 2017年4月23日
板倉氏は理科教育ではわりと有名(たぶん。理科好きはたいてい子供の頃この人の理科絵本を読んでるはず……「もしも原子が見えたなら」とか)なので、文中、地学教師が教えてくれたという話は、そっち経由で知ったんでしょうね 社会科教育の本もあるが、「歴史の見方考え方」をはじめ数は少ないので
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きたはら @kitahara220 2017年4月23日
ちなみに板倉氏はバリバリの左翼です 唯物史観をまるっと信じてたかどうかはわからないけど、修正唯物史観くらいのつもりだったんじゃないでしょうか(雑な想像
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きたはら @kitahara220 2017年4月23日
安直な話、1石/yでなく階級の高い方から2石/y消費すれば(オカズがない時代、1人の消費量的として考えれば、そこまで大喰らいでもないと思う)国の半分は飢えるわけで、ざっくり近似から始める(良くも悪くも)理系思考だけでなくもう少し慎重に論じないといけないんじゃないかなと思う
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天地米店 @riceshop_tenchi 2017年4月23日
四公六民(幕府直轄地)から六公四民まで、確か、一番ひどかったのは、七公三民の紀州藩。つまり、最低でも三割、多くて六割は農民の手元。考えるまでもないかと。
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天地米店 @riceshop_tenchi 2017年4月23日
ただ、地域差はあった。例えば、東京の府中・国立あたりでは、戦前でも三割麦飯だったが、崖上の立川では、七割麦飯。米が取れるところ取れないところでの、地域差(麦・雑穀・イモ類の比率)は当然違っていたと思います。
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iwa @iw0001ster 2017年4月23日
脚気が白米食が原因で江戸患いと言われた事を考えると混ぜ物の有無かね
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kimuraお兄さん@小豆島 @nobuo_kimura 2017年4月23日
( ×H×)y-~~ヒント:百姓がどれだけ米作に依存しているかの割合の地域差
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@tumujikaze9999 2017年4月23日
通常は肉や魚でビタミンB1を取ってれば100%白米でも問題ないのだから 江戸町民はよっぽど白米ばっかり食べてたんだろうな
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きたはら @kitahara220 2017年4月23日
板倉本では、年貢率の高いところは生産性の高い地域で、要するに「頑張って作っても、贅沢に食えないようにされていた」のだろうという説を出してますね
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和田名久司 @sysasico1 2017年4月23日
apribi 社倉制度とうものを設けていた藩は多いですよ。領民が飢え死にしたら自分達も危ないですから。でも、勝手にこれに手を付けちゃう例も有ったみたいですね。 yoshikun2009 水争いは昔から有って、舅と婿が争い嫁が父親に就くか旦那に付くかって狂言にも成っていますね。 riceshop_tenchi 暴れん坊将軍、最低だな!(違<なのは半分)
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
riceshop_tenchi ああ、それもコメント欄ですでに指摘済みですけど、江戸時代中期以降はほとんどの場合、それは建前の年貢率で実際はずっと低いです。紀州も含めて。江戸時代通じての農業生産力の拡大を領主階級側が把握し切れないからこういうことが起こった。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
sysasico1 吉宗が出たついでに。吉宗政権の幕府の増税政策もよく「年貢を四割から五割に増やした」と言われてますが、大石進三郎氏によると実際は最大でも35%強がいいとこだったとのこと。なお吉宗の少し前だと、新井白石が特に少ない年を例に挙げたとはいえ二割八分九厘(28.9%)しか年貢を徴収できていないと述べています。
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
これも以前書いたのですけど、江戸時代の幕府直属の家臣は多くが無役同然で、それが出世できる階段の一つが天領の代官だったわけです。で、代官は数年滞りなく勤め上げれば上の役職に行けるチャンスがあるわけです(あくまでチャンス)。反対に一揆でも起こされようものなら無役逆戻り。さて、そんな状態で代官所に農民が訴えてきます。曰く「今年凶作だから年貢減らして」代官はどうするでしょう?
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
なお幕府の年貢徴収率は九代将軍家重の代にいったん吉宗時代以上になるが、以後は下降傾向になりつづける
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
まあ減らしますね。これが一時じゃなく「川が決壊しちゃって当面立て直せない」でも、代官は年貢下げちゃいます。そういう権限があるし、とにかく大過なく務めたいし、どうせ数年で江戸に戻るので後のことは知ったことじゃない。そうして下がった年貢はいつの間にか下がったまま固定され…江戸時代終盤の天領の多くは公称の年貢でも3割がいいところでした。そりゃ幕府も収入に困るはずだわ
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
TRI869 さらに言うと、幕府から派遣されてくる代官の実際の事務スタッフは現地の人材にほぼ依存、直属の軍事力もなし。『水戸黄門』とかに出てくる横暴な統治はとても無理。五代将軍綱吉の代に大量に粛清された、現地土着型の代官の主な処罰理由も、現地の百姓と癒着しての年貢の滞納。
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
#鎖国#海禁政策)当時の日本でも輸出は有った。#四口 は元より、複数の藩による密貿易も。>鎖国して輸出ゼロ/農民が米食べないと最終的には腐っちゃうだけじゃん」という指摘は目からウロコでしょ(笑)
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
なお、幕府の代官が目立った問題を起こすと、百姓は幕府に当然の権利として訴え出てくるし、それが正当なら百姓側の要求が通る。一揆をやるのは最終手段で、それ以前の段階でも訴え出てくる。
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
popoi コメの海外輸出はアイヌ交易以外はないと、すでに資料を提示済みです。日本からの輸出は金銀銅や海産物の高級加工品。輸入も高級繊維製品や砂糖、朝鮮人参などの、量のわりに高額な品がほとんど。
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きたはら @kitahara220 2017年4月23日
nanmosan 唯物史観だと、どっちかっつーと重要なのは江戸中期の問屋制家内工業からマニュファクチュアへの発達(資本主義の誕生)、のほうですな もう左翼教師の時代じゃなかったし(そんな時代があったのかは知らん)、唯物史観のつながりを書かずに教科書に登場するので非常にわかりにくかった。大学になってドイツイデオロギー読んで初めて腑に落ちたっていうね……
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
ut_ken 10万石の天領に武士2人とかだし、本当に一揆するまでもないという。まあそれでも一揆になった場合のマニュアルも作ってて、曰く「逃げろ」
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きたはら @kitahara220 2017年4月23日
hanaomiso エッセイにマジレスもなんだけど、貧しい人には子供が唯一の「再生産物」という側面もあるわけで…… スラムなんかでも人口増加率はやたら高い、労働力になるからね
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
ut_ken 「輸出ゼロ」に疑義を提示出来ればいいのです。大体、「密」貿易って、記録残ってるんですかね?
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
popoi 取り締まりの記録が多数。当然、押収された密貿易品の記録も。だいたい幕府の貿易制限外で儲けようとしたもので、扱う品自体は正規貿易とほぼ同じ。
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和田名久司 @sysasico1 2017年4月23日
ut_ken 代官は領民側に立っちゃう例が多く、屡々勧告されていたという話は聞いていましたが、大量粛正も有りましたか。 ut_ken よく吉宗以降、日本の人口増加が鈍化した事が傍証として挙げられますが、やはりめぼしい新田は開発し尽くしてしまったのが理由みたいですね。
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
ut_ken wiki「日本酒の歴史」《オランダ経由で日本酒がすでに江戸時代にヨーロッパにもたらされた形跡があるとの指摘もある》
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
ut_ken 同《江戸時代後半にはカムチャツカからシベリア経由でロシア帝国がヨーロッパに日本酒を紹介していた》典拠は不明なんですけどね。
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
sysasico1 吉宗に農業関係の責任者に抜擢された人が、新たな新田開発の候補地を探してくれと言われて調査した結果が「関東には針を立てるほどの余地もありません」ですからね。17世紀の1世紀(ほぼ幕府最初の100年)で農地が2倍になったのがそもそも無理だったのです。その後も9代将軍ぐらいまでは頑張って微増させたけど、幕末に向けてむしろ農地は数%減ってますから
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ut_ken @ut_ken 2017年4月23日
popoi 『長崎貿易(同成社)』で確認して輸出に「酒や醤油」は一応ありますけど、ほとんど影響しない量ですね。
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
ut_ken ゼロではなく、需要が有ったと判るなら、其れで結構ですよ。
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
「幕末遠国奉行の日記 御庭番川村修就の生涯」 (中公新書)/小松 重男 《唐物の儀、長崎表より渡り候筈のところ、近年、異国人、海上において日本の船と乗り換え候由》
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
同《多分は薩州商人どもの働きのおもむきにて、近年、仲買いと申すものもっぱらこれあり。》
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
同《これは薬種そのほか積み込み、いずれの湊へも廻船乗りまいり、米金と交易つかまつり候おもむき相聞こえ》
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
同《九州筋にては長州の赤間関へ着船、それより北国筋へ目差し乗り下り候ものは、石州浜田、雲州辺の湊々にて少々抜け売りいたし、能登輪島へ入津、同所にて薬品そのほか琉球朱もっぱらこれあり》
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スだまり @su_damari 2017年4月23日
あんまり関係無いけどたまたま今日読んだ「世界の辺境とハードボイルド室町時代」には、古米は乾燥してる分炊くと嵩が増えるので新米より高値で取り引きされたって書いてあった
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九郎政宗 🕊️【∃】🌈🚩🖖 @claw2003 2017年4月23日
▼そもそもこの学習漫画も↓べつに「江戸時代の農民は米をほとんど食べられなかった」とは書いてないですよね(@∀@) 議論の前提が崩壊しているのでは?w https://twitter.com/gryphonjapan/status/855534428201787392
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2017年4月23日
日本酒が米の食糧消費に影響を与えたというコメントがあるが、酒米は普通に炊いて食べるとまずい米だからね。そこんとこ勘違いしないでほしい。
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
C_Kozakura それが室町~戦国時代の話だとするとあながちそうでもないんですよ。農民は同じ田んぼに色んな種類の米を撒いてますし、酒も清酒じゃなくどぶろくですし、その頃は年貢の収め方が江戸時代みたいに物納じゃなくて農民自身が米商人に米を売って銭で収める銭納ですし。(続く)
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
米商人の座の元締めは有力な寺社で、そこは酒造りの親玉でもあって、米を米として売るより酒にして売った方が金になるからと酒にできるだけの米を全部酒に回して残りを食用に流通したりしてたところもあるという話があります。なにせ室町の商人は京都の米の値段吊り上げるのに街道封鎖して人為的に飢餓状態にしたりする凄い人たちなので
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こざくらちひろ @C_Kozakura 2017年4月23日
江戸時代の話のまとめに室町~戦国時代の話を持ち込む人はまとめタイトル100回音読しようね
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とりこ @TRI869 2017年4月23日
お酒一升が米二升の値段だったとか。とりあえず戦国時代に来た宣教師(フロイス)が日本人は主食である米をあまりに多く酒やその他加工品にしてる。食えばいいのに。と言った話はもう出てるね。江戸幕府は酒造を管理して酒に回される米が一定以下の割合になるようにしたりしてます
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
大蔵永常「日用助食竈の賑ひ」で紹介、江戸時代後半の信濃国伊那郡の村の冬の食事内容。朝食・大麦を煎って粉にした香煎、蕎麦粉を固めて焼いた蕎麦餅
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ポポイ @popoi 2017年4月23日
昼食・四分搗きの米に稗と大根と大根の葉を入れた「かて飯」/夕食・大根と粉団子の汁物  米は有るけど、潤沢でもない、と。
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nekosencho @Neko_Sencho 2017年4月23日
当時の酒に回すコメが食用に適したか適してないかって話をしてる人もいたけど、酒用のコメだったとしても栽培すればそれだけ田の面積を食うので、その分食えるコメを作れなくなるのは変わらないのではないか。
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アイヌ語で浮き草という意味だそうです。 @tokaov 2017年4月23日
天保の飢饉だったかは東西流通の問題で被害が広がったとか飢饉対策で雑穀や救済作物の栽培奨励をしていたのを農民(その地域取りまとめの指導かも?)が金にならないからと守らなかったなんてお話もあったと習った記憶もありますね。
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業界一チョロい声優、コマ @kommakoma 2017年4月23日
sseg14 おお、わざわざありがとうございます。確かに陸稲の事はすっぽり抜け落ちてましたね、ご指摘感謝です。陸稲関係に詳しいエロい人の登場が待たれます。
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モリスン @dogoc0170 2017年4月24日
あまり知られてないが、戦前の日本では粟や稗、その他の雑穀が主食の地域も多くあって、米食が全国的に普及したのは太平洋戦争中からそれ以降。アメリカによってもたらされたパン食といった小麦食の全国的普及と大差ない。米食は日本の普遍的伝統か、米を食えないことが果たして一概に不幸なことだったか、と言われればNOですな。
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月24日
claw2003 待て待て、そもそのツイートで「イメージ画像」としてるやろ、直接関係してないのは当然だ、何せもう一つの画像候補は北斗の拳の種籾じいさんだったんだぞ(笑)/そのへんの例としては記憶だよりで恐縮だがgryphonjapan 、或いはまとめ本文にも追加したhttps://twitter.com/gryphonjapan/status/855796355268190212
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gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2017年4月24日
gryphonjapan かいてたら、ついサムネイルの変更を実行しちゃったよ(笑)
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ut_ken @ut_ken 2017年4月24日
tumujikaze9999 http://edo-g.com/blog/2016/02/meal.html 都市江戸の一般町人の日常の食事の例。年貢や換金での米が集中して、米だけは安いからこういうことになる
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