抵抗権の話

権利って何?という質問があれば俺はこの様に答えます。
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shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

韓国人「日本で盗まれた仏像、現在韓国にあるのだから韓国のもの」 http://t.co/vMnW5Vbg 例えばですけど、生きるってのは自分の都合なんですよね、だから相手がいる時点で、相手の都合を認識できるわけだ。この感覚ってのは、20世紀で世界で確立したはずなんですが、、、

2013-02-02 07:09:08
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

じゃあ自分の都合と、相手の都合がぶつかった場合、喧嘩をして体力消耗して、イメージ悪くさせる方法を選ぶか?というと、交渉で色々なやり方、もしくはこうなった場合は、こうしましょという互いで前に進む方法を確立してきたわけだ。

2013-02-02 07:13:28
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

前の進み方を勉強してない阿呆が大杉やしないかい、韓国しかり中国しかり、一人が守らないと「示し」がつかないよ。「示し」がつかないと、無法になるよ。だから、守らせるのか、罰を与えるか、でしょ。相手の都合、自分の都合がある上で、互いに前に進もうとする意志さえ踏み躙るなら、「殺る」でしょ

2013-02-02 07:16:39
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

これを基本的人権である、抵抗権。日本では認められてない。「在る」のに、明記しなければ「ない」と同じだから。ドイツ、アメリカの憲法には基本的人権に「在る」。基本的考え。

2013-02-02 07:18:41
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

例えば、服は、頭と腕と着るための穴が4つある。これは人間工学的に、機能的に「わかる」。基本的人権、人の権利には、その穴の様な「必要」だなと「わかる」権利がいくつも存在する。その中のひとつが「抵抗権」。これを認めないのは、服の右腕の穴がない状態。人間工学的に言えば「オカシイ」のだ。

2013-02-02 07:23:27
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

いや、もしかしたら右腕の穴がない状態も「文化」としてあるなら、つまりファッション性として在るなら認められる。それは右腕の穴がない事による説得が絶対的に付随する、何故ならば、人間工学的に、やはり「オカシイ」からである。

2013-02-02 07:25:43
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

この状態の説明で有用な説明は二つある。一つは、抵抗権を明記した上で、ファッション性で右腕の穴を出さないと決めたとする事。もう一つは、右腕を出さない事で、生存による都合が良い事だ。例えば右腕が使えないという理由で介助人(米国)と仲良くする事だ。

2013-02-02 07:31:32
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

前者の場合、一人でも生存できるから決して誰にも頼る事なく、もし有事があっても一回はぶたれるが、二回目からは右腕の穴を突き破る覚悟を持つかもしれない。つまり、一人で生存できる。後者の場合は問題がある。一人で生存できるのに仲良くしたいが為に、穴を塞いでいるのか?という事だ。

2013-02-02 07:34:43
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

これは恋と同じで、恋の為に嘘を付くのは許されるかどうかである。恋は互いに互いでWinWin関係にして、他国と階層構造が作られる。その旨みが、前者の理由より「旨い」としたら、しかし自分の中(一部の国民)の声と他国からすれば右腕使えるくせに。だったりするわけだ。

2013-02-02 07:38:20
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

勿論恋人(米国)も右腕使えるのは知ってるが、そんな形をしてでも慕ってくる人(日本)に邪険に扱わない。 さて、この状態何処が悪いのか? もしくは悪いと言えるだろうか? 恋の為に「嘘」をつくな!!! というのは「好きな人」へアピールをするな!!!と同様である。

2013-02-02 07:41:33
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

しかし「嘘は嘘、悪なり」と断罪するのも「わかる」。 右腕の穴を作らない(抵抗権を明記しない)のは、作らないなりの「理由」があるのだ。 それについて、いや明記して自立するか→今までベタベタしてた癖に此方から素っ気なくなると、悪意を相手(米国)に持たせる事になる。 又は現状維持

2013-02-02 07:44:57
shakauryauei_ha @JO_JO_t_kaoru

さて正しさはどちらにあるか? だが、俺はこう思う。どちらも生きる事に必死であり、どちらも正しいのではないか。 貴方は何が正しく観えるだろうか?

2013-02-02 07:46:33