第12回ベネチアビエンナーレ建築展:「Architecture as air」をめぐるあれこれ
- y_yamasaki
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@hanamotoko 読み返して補足。総合的というのは、結局モノとして作ってしまったら、意図とか関係なくあらゆる試練にさらされるということ。猫も社会も、その意味では同次元。そういう中で力のある深い文脈を刻み、既にある轍を行き来するルーチンを超えるモノを建築と言うんじゃないか。
2010-08-31 02:24:41「おもろいことやらしたってんのやから、ええやろ?」的な発言してしまう人もいますが、そういう場合は「責任を負ってくれさえすれば、いくらでも面白いことやってあげますよ」としか答えようがないw
2010-08-31 02:12:08前回のビエンナーレ、建築の終りを煽る磯崎体制を否定するものと石上さんを位置づけて、コンペに勝ったのですが、今回もし磯崎さんの強い押しで金獅子だとすれば(実情はまだ不明)、ちょっと再回収された感がある。実際、受賞していなければ、ただ壊れただけで、ここまで議論はヒートしないだろう。
2010-08-31 04:21:34ベネチアビエンナーレ国際建築展で石上純也が行っているインスタレーションの写真がdesignboomにあります http://bit.ly/c2GeC4
2010-08-31 09:37:36Video : interview with Junya Ishigami about his installation at the Venice Architecture Biennale 2010 http://bit.ly/9aEseB
2010-08-31 10:46:30件のこと・・・あいかわらず、社会性とか建築教育の問題だとか、リテラルな「用・強・美」だとか、日本人らしい技術論だとか、個人的にはどうでもいい話が多い。批評の焦点は、何を考えて作ったか、表現の意図(インタビューで本人が「new transparency」と言っていること)と→
2010-08-31 10:08:56それがどう働いているか(how it works)の問題に絞られると思う(技術論でなく、表現性の問題)。immaterializationみたいな問題提起なのか、だとしたら今の・これからの建築の文脈でそれはどういう可能性を持つのか(持つと考えるのか)・・・。→
2010-08-31 10:13:41そのあたりの話が、わずか向こうのWEBの批評に一言二言みられるだけで、ほとんど見えてこない。受賞はおめでたいことだし、壊れたものに受賞はないだろとかは全く思わないが、それらについての批評・意見がほとんど無しだと・・・。
2010-08-31 10:18:39もちろん、社会性の話も技術論も無関係ではないし無駄じゃない。が、それらはあくまで副次的なものだろうよ。表現意図とかコンテクスチュアライゼーションの話抜きに技術洗練(どこまで細くとか)の話だけしても仕方ない。
2010-08-31 10:47:24コンサートに音楽聴きに言って演奏者の手元の技術しかみてないのと似ている。手品の種明かしばかり考えて手品楽しもうとしないとか。
2010-08-31 10:53:45それがまた(西欧の)建築の文脈で「日本の神秘」みたいな評価(審査体系も含めて)で済まされる(あるいはそこから照れながら逃げ切るのでよしとする)のだとしたら、残念。ご本人はそのつもりは無いでしょうし。
2010-08-31 11:02:17@kadowaki_kozo これを機会に、現在の日本において建築とは何ぞや、的な議論を一度どっかで集まってすればいいんじゃないかと。もう、あちこちでいろんな人が、それぞれ観念的なことを言いっぱなしにするだけじゃ収集つかないよ。とHODC&金獅子のコンボで思った。
2010-08-31 15:13:02ああ、試しに手元にある0.3mmのシャーペンの芯をスタイロに立てて接着剤で接合してフレームを組み立ててみたいばかな欲望が頭をもたげているが、ガッツも時間もないいま。
2010-08-31 16:49:081895年に発表された「風にそよぐグラス」。シャンパングラスのようなグラスで、究極の職人技によりステムを極限まで細くし、微かな振動や気流でもゆらゆらと揺れる常識では考えられないほど繊細なグラス。→
2010-08-31 18:59:58その限界のバランスにより発現する動きがガラスは硬いという既成概念も鮮やかに打ち破り見る者を圧倒する。発表された当時はかなり話題になったらしい。ただし、おそらくこのグラスではワインを注いで飲むことも出来ないし、日用品として使うことはまず不可能。→
2010-08-31 19:03:07でもこれがグラスでないかといえば誰が見てもグラスだと言うだろう。確かに高級なグラスには鑑賞品としての役割もある。ステムをもつグラスを究極の力学的バランスで実現する技術。これを作れたのは作者のジュゼッペ・パロヴィエール以降いないとされている。→
2010-08-31 19:04:32ただしこれを作る技術とワインを美味しく感じさせるグラスをつくる技術はほぼ関係ない。ワイングラスのボウルは薄ければ薄いほどワインが美味しく感じるとされている。「風にそよぐグラス」はそういったワインや日常を主役に考えるアーキテクチャーとは別の思想で出来ている。→
2010-08-31 19:08:15曲芸に過ぎないと当時のガラス職人たちは思ったかもしれないし、尊敬を集めたかもしれない。賞賛する者もいればその視覚的魅力に嫉妬したものもいただろう。アーティストはアートでなはないと言ったかもしれない。多くの人を呼んだという点では展示作品としての役割を十分果たしている→
2010-08-31 19:32:28展示が役割とすれば展示物として魅力があることが絶対に正しい。が、その魅力がどういう意味や役割を持っているのかはただの鑑賞者ではない、つくる者、論じる者が情報を発する際にはその価値を社会や業界に対して相対化できていないと、雑誌や情報を売るための煽りのように聞こえてしまう。→
2010-08-31 19:33:55言うまでもなくこれは石上の作品の状況を冷静に見るための参考に取り上げた。グラスという記号性を排除していない点や大きさや意図も全く異なるのだろうが、状況は似たものを感じるので。この作品は第一回のヴェネチアビエンナーレで発表された作品。おわり
2010-08-31 19:36:08