ドキュメント的解釈法に関するメモ by @kaerusan

私のものおぼえのためのまとめ。 そして身体的解釈法へ…
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細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

3) するとおもしろいことに、学部生は、でたらめに返答される「イエス/ノー」に対して、何らかの思考パターンを読みとろうとする。もし自分の相談事に対する答えが、会話が進むに従って矛盾してきたとしても、解釈を更新したり、その背後に何らかの理由があるのではと考える。

2013-03-06 12:19:23
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

4) 偶然、学部生の予想通りに「イエス/ノー」が帰ってくると、学部生はそれがでたらめであるとは疑わない。いずれにしても、学部生たちは、「イエス/ノー」の背後に、整合性のある事情を読みとろうとし、解釈を生み出す。

2013-03-06 12:22:19
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

5) この現象は、人口無脳の元祖である「イライザ」のことを思い出させる。「イライザ」はロジャーズ派の精神分析家を模した対話プログラムで、クライアントの打ち込む相談事から「父」「母」「家族」「夢」などといったよくあるキーワードを抜き出して、それにあらかじめ用意された問いを投げる。

2013-03-06 12:24:42
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

6) クライアントによっては、イライザとのやりとりを有意義に感じる。相手が簡単なプログラムであるにもかかわらず。この話は、メディア研究の世界では言い尽くされた感があるけれど、エスノメソドロジーの「志向性」を考えるときに改めて参考になる。

2013-03-06 12:27:08
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

7) 「志向性 orientation」は、相手の行為に対して注意を構成し、ドキュメント的解釈法を行っていくときに発せられる。「志向」ということばはなかなか噛み砕きにくいけれど、人や行為やものに対するある注意のあり方、とここでは考えておこう。

2013-03-06 12:30:44
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

8) ヒューリスティックが作動するときの、注意と情動の練り物を「志向性」と呼んでもよい。先にも書いたように、人は他者のまわりにヒューリスティックを発生させる。志向性もまた、とりわけ人や人の行為に対して顕れる。

2013-03-06 12:32:21
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

9) いったん志向性が発揮されはじめると、対象となる行為がたとえプログラムによって発生しているでたらめなできごとであっても、すぐには止まらない。志向性はその背後に何らかのパターンを読みとろうとして、行為にまとわりつくあちこちに注意を払っていく。

2013-03-06 12:35:38
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

10) 石黒さんのアンドロイドのインパクトは、「等身大で肌の質感が高度」という見えの条件が、接する者に強い志向性をもたらすという点にある。その意味では、「対話プログラムにおいて、まとまった発話を返してくる」という行為の条件が、接する者に強い志向性をもたらす現象に似ている。

2013-03-06 12:38:53
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

11) これらの条件に相当するような、さまざまな微細な手がかりを、発語や身体動作から拾いおこし、「志向性」をもたらす条件を明らかにして営みとしても、会話分析や身体動作分析は有用な方法である。と我田引水しておこう。

2013-03-06 12:41:04
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

12) 「ドキュメント的解釈法」というネーミングで、一つ不満なのは、それが「ドキュメント」つまり「紙に書かれたもの」を想起させる点だ。しかし、日常生活でわたしたちが駆動させる解釈は、(書かれた)言語のみによって行われるとは限らない。

2013-03-06 12:46:02
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

13) というわけで、「身体的解釈法」という用語を最近つくってみた。「身体的解釈法」は、相手の身体動作を見て、その動作を真似たり改変することで解釈を生んだ入り更新する営みを指す。

2013-03-06 12:47:59