エルヴィン殿による名将物語#5 「ゲオルギー・ジューコフ」
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ドイツ中央軍集団司令部は、ヒトラーの死守命令に沿うかたちで、拠点を維持してソ連軍を引き付ける方針をとっていましたが、これが完全に裏目に出て包囲された各部隊は猛砲撃と航空攻撃を受け、急速に潰滅していきました。#エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:12:23この作戦により兵力90万人とされたドイツ軍中央軍集団は、38個師団のうち28個師団を失い壊滅的な打撃を受け、傷者は40万人に達し、47人いた将官も31人が戦死・行方不明もしくは捕虜となりました。#エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:12:58という感じで、ソ連軍の圧勝で幕を閉じました。私からの大雑把な説明は以上です。お風呂の順番が迫っていて駆け足になってしまいました。失礼しました。姉上にお返しします。#エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:17:061945年からのドイツ本土侵攻ではジューコフ自身も指揮をとり、4月にはベルリンを占領しカイテル元帥からの降伏文書を受け取っている。終結後はそのままソ連軍のドイツ占領軍最高司令官の任についている。 #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:21:39ソ連では独ソ戦のことを『太祖国戦争』と呼んでいるが、ジューコフはこの戦いで最も昇進し活躍した軍人として英雄視されている。 #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:22:23その一例として1945年の対独戦勝パレードにて馬上より閲兵する栄誉を与えれている。まースターリンがリハーサル時に落馬しジューコフに譲ったらしいというエピソードつきだがなw書記長が落馬しなければというのは考えてはいけないw #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:23:10さてドイツは降伏したが日本は降伏していないわけで、1945年6月の会議で北海道上陸戦について話し合われたがモロトフと共に反対していたようだ。実際用意もされていたようだな #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:24:08大戦終結後ジューコフの存在はやはり中央政府では邪魔になったようで1947年にモスクワから遠いオデッサ軍管区そしてウラル軍管区司令官に左遷というかたちで任命されている。ジューコフ自身は逮捕されなかったが直近の部下や友人などが身代わりで犠牲になったようだ。 #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:25:081957年にはモロトフらとの権力闘争でフルシチョフを支持しこの危機を乗り切っている。同年6月にはソ連共産党中央委員会の幹部となったが軍事面においてフルシチョフと対立し、フルシチョフからクーデーターを企てたとされ中央から追放されている。 #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:27:311964年のフルシチョフ失脚後にブレジネフらによって名誉は回復されたが中央に復帰することはなかった。そして1974年に死去し軍人として最高の栄誉をもって葬られた。 #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:28:29ジューコフ自身ソ連軍が戦闘技術や兵員の基本的資質では敵より劣っており、その反面強みは物量にあることを認識していたので敵軍の数倍の自軍の装備や兵士の人命を消耗する必要があるという前提で考えていたようだ #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:30:54このような認識の前提で作戦指導をしていたので人によっては名将ではないというかもしれないが自軍の良い部分と悪い部分をしっかり認識してソ連を勝利に導いたと考えれば名将と言えるのではないかと私は思うぞ。 #エルヴィン名将物語5
2013-03-13 22:33:33