高橋お伝のベッケンタイル

処刑された高橋お伝の陰部の標本が存在する―。『毒婦伝説―高橋お伝とエリート軍医たち』という本がこの四月に出たことに触発され、手元に集めていたこの秘話にまつわる資料を整理してみました。今のところ、ネットで読める一番詳しいテキストではないかと。
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松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・1】『毒婦伝説―高橋お伝とエリート軍医たち』という本がこの四月に出たことを今日知った。処刑された高橋お伝の陰部の標本が存在する―。明治大正昭和の歴史に現れては消えるこの奇怪な標本について、私も資料を集めていたのでちと悔しい。私の知ることを書いてみよう。

2013-05-08 20:15:43
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・2】高橋お伝は処刑後、浅草の警視第五病院で解剖されたとするものの本は多い。しかし、1937年雑誌『話』に掲載された高田忠良「高橋お伝の死体解剖に立会つた私―初めて語る処刑解剖前後の真相」によれば、「千住の某寺(寺の名は失念)の境内」で行われたという。

2013-05-08 20:22:23
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・3】高田忠良翁は「何分八十二歳の老人の記憶で、五十七年前のことを語るのであるから、或は多少の誤はあるかも知れない」とするが、解剖前後の経緯を事細かに語っている。そして先の本の書名にある通り、この時から確かに執刀者・参観者に軍医の名がズラリと並んでいる。

2013-05-08 20:32:23
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・4】この標本を巡る本として恐らく一番有名なのは清野謙次の『阿伝陰部考』だろう。京都帝大教授であった清野が執筆した、「東京戸山町の陸軍々医学校の病理学教室に酒精漬標本として陳列」されたいたという件の標本の観察記録という奇書である。初出は雑誌『ドルメン』。

2013-05-08 20:42:50
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・5】余談だが、清野『阿伝陰部考』を連載した雑誌『ドルメン』は人類学や考古学の論文の合間に辰井隆「鬼の骨」、葦原みづほ「鬼の写真」等、鬼の骨がどこそこで展示されたという時事ネタを載せており、昭和ヒトケタの妖怪ミイラ事情がわかる貴重な情報源となっている。

2013-05-08 20:53:48
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・6】清野の観察記録「阿伝陰部考」(昭和7年)では陸軍軍医学校にあるとされる件の標本だが、それ以前には東京帝大の医学部にあったらしき記録もある。大正14年5月1日付の『帝国大学新聞』。「全学大懇親会」(今で言う五月祭)に関する記事にその話が登場する。

2013-05-08 21:04:01
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・7】標本室に「高橋お伝のベツケンタイルがアルコール漬になつて棚に納まつてゐるのも物凄い」とある。「ベツケンタイル」は恐らくドイツ語で、綴りはbecken-theil。近い時代の医学用語集『新医学大字典』(明治35年)に「骨盤部」という意味で載っている。

2013-05-08 21:10:23
松崎貴之 @gelcyz

帝国大学での「全学生大懇親会」の様子がこちらでも記事になっていた。大正14年5月3日付『河北新報』朝刊。医学部教室の展示の一つが「高橋お伝の何かのアルコール漬」であったことがここにも記されている。 pic.twitter.com/bj8UdD0b9q

2021-01-06 23:26:26
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松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・8】件の標本があった場所として東京帝大、陸軍軍医学校の名が挙がったが、それにとどまらない。あちらと思えばこちらにある、という多彩な出現録がこの標本の伝説に彩りを添えている。例えば昭和26年3月16日付『読売新聞』夕刊に載った随筆、佐藤垢石「女の首」。

2013-05-08 21:24:09
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・9】少々長いが、面白いので抜粋したい。「毒婦高橋お伝の、かの有名な所持品は大正の中年ころ、まだ赤煉瓦造りの警視庁が、今の帝劇の左隣りあたりのお堀端にあった時代、二階の参考室に納っていたが、私もそれを実見して、なるほどと感じ入ったことがある」。まだ続く。

2013-05-08 21:28:26
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・10】「大震災後は、帝大医学部の一室に持って行かれ、私は現在もなお本郷にあるものと思っていたところ、これが最近銀座に現れたというのであるから珍事である。場所は、銀座二丁目のある医院のとだなのなかであるが」、帝大から銀座へ移った経緯はわからないという。

2013-05-08 21:34:55
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・11】銀座には後ほど登場してもらうとして、他にもまだまだ記録がある。昭和7年4月13日付『北國新聞』の「重要参考品永久保管のため司法省が刑事参考館を新設」という司法省の計画を報じた記事は、陳列予定の一つに「高橋お伝の局部(アルコール漬)」を挙げている。

2013-05-08 21:44:01
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・12】件の標本はこうした場所で秘蔵され門外不出だったかというと、意外にそうでもない。東京を離れ、地方の博覧会に出向くこともあった。まさしく出開帳ということだが、例えば大正10年7月5日、京都で開幕した戦後発展全国工業博覧会に出現した記録がある。

2013-05-08 21:55:30
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・13】同博覧会の付属施設として開設された衛生館には「陸軍省事務局より借り来つた毒婦高橋お伝の…陰部など珍中の珍とも云うべき出品もあり」と開会当日の日出新聞が報じている。戦前の博覧会における衛生館、衛生博覧会の展示記録を追えばもっと出てくるかも知れない。

2013-05-08 21:59:24
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・14】さて、佐藤垢石の随筆「女の首」に登場した銀座である。ここで再びこの標本を巡り軍医の名が出てくる。その名は二木秀雄。戦時中は731部隊に所属。戦後はゴシップ誌『政界ジープ』を発行する一方、銀座に診療所「素粒子堂」を構え、血液銀行の創設にも関与。

2013-05-08 22:10:57
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・15】その後はイスラム教団を立ち上げ週刊誌を騒がす等、エリート軍医というよりむしろ怪人と称されるべき人物である。昭和31年、『週刊読売』4月29日号が報じた「”高橋お伝”の下腹部あらわる」というセンセーショナルな記事((だが小さい)に二木の名が現れる。

2013-05-08 22:21:30
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・16】昭和31年4月3日、港区のビル脇で「ガラスの角ビンに入った女性の下腹部の標本」を発見。警視庁が保管中、「私のものだ」と届け出たのが政界ジープの二木社長であった。恐喝事件(政界ジープ事件)で家宅捜索を受けそうになったとき、社員が持ち出したという。

2013-05-08 22:30:38
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・17】この昭和31年の事件が私の知る最も新しい出現記録である。少し前の昭和25年の『政界ジープ』4月号には浅草松屋で開かれた「性生活展」(一種の衛生博覧会だろう)に出展されたという記録がある。この時点ですでに二木社長の手にあったということだろう。

2013-05-08 22:47:04
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・18】戦後の出現記録としては挿絵画家の石原豪人の証言も興味深い。竹熊健太郎氏の『篦棒な人々』より引用したい。「なんでも戦後に国家警察が地方に移管する際、資金難だったので、高橋お伝の割れ目を見せて金をとっていたっていう噂を聞きました」。まだまだ続く。

2013-05-08 22:58:59
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・19】「『性の文化展』と題して女陰らしき物体のホルマリン漬けの横に、故お伝が持参していた財布と小銭も展示して置いてある。きっと売上金が警察へ行くんです。女陰は警察がそうだというんだから本物でしょう」。処刑後数十年、モノの真偽はお上の弁だけが頼りである。

2013-05-08 23:11:46
松崎貴之 @gelcyz

【高橋お伝のベッケンタイル・20完】この奇怪な標本の出現録は医学史の裏面を覗く格好の材料である。まだまだ、清野と二木を結ぶ石井四郎の話もあったりするが、最後は高田翁の言葉で締め括ろう。「お伝の××標本に関すること等は、何も大した問題ではないから敢て大騒ぎするにも当らないと思う」。

2013-05-08 23:28:26
松崎貴之 @gelcyz

【続・高橋お伝のベッケンタイル・1】明治初期の医学界のさまざまな情報が得られる資料の一つに『医事新聞』がある(国会図で閲覧可)。創刊は明治11年。『毒婦伝説』が不明とした「警視第五病院」の所在地は、この医事新聞の3号に掲載の「府県病院略表」によれば「浅草猿屋町十七番地」だという。

2013-05-12 00:16:16
松崎貴之 @gelcyz

【続・高橋お伝のベッケンタイル・2】『東京大学医学部百年史』を繙くと法医学教室の沿革に警視第五病院の名が登場する。法医学教室の前身、警視庁裁判医学校が同病院内にあった(明治11年廃止)。警視第五病院がお伝の解剖地と報じられた理由は不明だが、法医学との縁が連想させたのかも知れない。

2013-05-12 00:33:23
松崎貴之 @gelcyz

【続・高橋お伝のベッケンタイル・3】『毒婦伝説』のエピローグ、件の標本と東大の関連について「学術的空間という一種の隠れ蓑で、一般大衆は、その忌むべき行為に気がつかなかったのではなかろうか」とある。しかし、悪しきエリート対善良な一般大衆という構図は単純には当てはまらないと思う。

2013-05-12 01:41:39
松崎貴之 @gelcyz

【続・高橋お伝のベッケンタイル・4】例えば大正14年5月3日付東京朝日新聞。帝大の全学大懇親会(学部の一般開放)で「最も人気のあつたのは医学部各教室の標本陳列室で…例の高橋お伝のベツケンタイル等のすごいところが一杯に並べられているのを気味悪がりつゝも押すな押すなで見物してゐる」。

2013-05-12 01:50:16