『禅と戦争』の紹介と簡単な考察
@noharra 自分は、拉致という犯罪を行われた「被害者」の立場でしか考えていない(自分たちは何も悪くない)ということをアピールする為だけの立場だったと解さざるを得ないと思っています。上田大使の発言や勝見さんのレポから鑑みるに…
2013-06-10 07:51:13@noharra @tkatsumi06j 「北」を国際的に非難し、囲い込みたいという意図はあったのは確かですよね…。何にしてもよもや自分たちに矛先が向けられるとは思っていなかったのでは。
2013-06-10 07:59:13@noharra 確かに「北」の国内問題のこともありますが、自分は、日本が朝鮮を植民地支配をしていた“遺恨”としての拉致という文脈を、政府が認めたくないという姿勢があるのだと思います。それは「強制連行労働」や「慰安婦」に繋がる話でもある訳ですから。 @tkatsumi06j
2013-06-10 08:41:25@noharra 拉致は確かに許されざる国家犯罪ですが、ならば植民地時代の朝鮮人を強制連行しての労働は「道義的」にどうかという話です。これは慰安婦問題の「強制性」と根っこが全く一緒ですが、“数”や年数は比較にならないほど多いし長い。→ @tkatsumi06j
2013-06-10 08:48:37@noharra 何より現在の在日朝鮮人の方々をめぐる問題と直結します。その“蓋”を政府は開けたくないから、拉致に関してもとことん被害者の立場を主張し、かつ「北」がとことん非人道国家であることを際立たせたいのだと思います。その為の「人権人道大使」だと。 @tkatsumi06j
2013-06-10 08:55:07@tkatsumi06j ありがとうございます。しかし素人の自分如きでも洞察できるこんな話を国連の司法関係者が分かっていない筈はないですよね。思うに、国際外交の場ではそれが(日韓も一応承知の上での)“暗黙の了解”としてあって、故に「強制連行」については→ @noharra
2013-06-10 09:33:19@tkatsumi06j 慰安婦に特化「してあげている」にも関わらず…、というのがあるのではないでしょうか。しかし今、国内で在日朝鮮人排斥運動が過激化していて、これは翻ればその「暗黙の了解」に直結します。ですのでそれが国際的に注目を浴びることは日本政府の→ @noharra
2013-06-10 09:33:41@tkatsumi06j 「人権人道」の姿勢をさらに追い詰めることになり、それは国際的地位の低下にも繋がるでしょうから、“右派勢力”を支持基盤とする政府にとっては「難儀な話」というところなんだとは思います。別の言い方をすれば、「問題を閉じ込めていた」ことの→ @noharra
2013-06-10 09:33:54.@tkatsumi06j さんの「【国際刑事裁判所】検証:従軍慰安婦問題で韓国政府がICCへの付託を検討という情報について~正念場を迎える日本の国際法治主義~」をお気に入りにしました。 http://t.co/jQ4C7x8Dqn
2013-06-10 09:37:20さて、この話の流れで先日読み終わった『禅と戦争ー禅仏教は戦争に協力したか』http://t.co/5yxepsfPIq についてちょっと書いてみとこうと思います。この本は2001年にアメリカ人の元宣教師で曹洞宗の僧籍を持ち、現在(も多分)アデレード大学アジアセンター教授である→
2013-06-10 10:12:401)なんで「神道」の中身が「仏教」なのか …というか、この二つの違いがそもそもワカラン、もしくはゴチャマゼという方も多数おられる訳ですが、簡単に言えば神道とは日本古来(だけとは限らないけれど)の神を祀り敬う宗教、→
2013-06-10 11:24:161-2)そして仏教とは自分の中の「仏性(ぶっしょう)」を信じそれを掴み磨き保つための「法」に帰依する宗教。で、神道は日本のオリジナルで、仏教は大陸から伝来してきた宗教なわけですが、別々の2つの宗教は実はかなり早い時期(平安時代とかぐらい)から“習合”、つまりは混ざっていました。
2013-06-10 11:47:561-3)なんだやっぱゴチャマゼじゃないか、というとしかしそうでもなく、ザックリ言えば「八百万の神々」がいた日本に体系化された仏教が伝来してきて「合体」した(本地垂迹)訳で、それにより「神道」が確立されたと言えます。とまれ、「別々だけど繋がっている」仏教と神道は江戸時代まで続く…
2013-06-10 12:04:271-4)江戸時代、仏教は檀家制度によって半分お役所みたいな立場になり、また神社も幕府の管理下におかれ、それぞれが別の宗教でありつつも、実際のあり方は寺の中に神社があったり神社の中に寺があったりと渾然としていた(今の多くの人がもつイメージ)のですが、明治となってそれが変わる。
2013-06-10 12:55:271-5)…と、明治に入る前にひとつ。「日本の神様」も仏教も、長い歴史の中で日本人にある種の「感覚」を染み込ませていて、でもそれは必ずしも信仰心とか宗教心とかいうものではないとも思うのですよ。要するに日常の「一部」として寺があり神社がある。それ以上でもそれ以下でもない。今と一緒。
2013-06-10 13:22:271-6)宗教が突出するとオッカナイことは時の為政者は皆さん自覚されていて、だから徳川幕府は寺を社会的役割の一部として完全に取り込み、日本に住むすべての家を寺の檀家にした。中身は知らなくてもなんかの宗派の寺の檀家でいるというのはこのとき完成され、と同時に思想としての仏教は→
2013-06-10 13:22:401-7)その宗門の内側にいる者以外にはあんまり意味をもたなくなった。神道もまた然りで、最も実用的な思想は幕府=武士社会を成り立たせる儒教(朱子学)で、例えば寺子屋でも仏教を学んだ訳ではない(だって坊さんになる訳でなし)。そんな下地の中での明治維新となる訳です…
2013-06-10 13:22:531-8)尊皇攘夷(天皇をたてての近代的開明→ある意味神道的)と佐幕(既存の幕府をあくまで維持→ある意味儒学的)の内戦(放映中の『八重の桜』の時代)を経て1867年に大政奉還による明治維新を迎え、天皇を頂点にした体制作りが始まる訳ですが、その一つが天皇の権威を絶対化正当化する作業
2013-06-10 15:31:311-9)この明治初期は面白くて、他方は近代化を進める洋行が頻繁になされ、他方は精神的なる天皇絶対化の為の「国学」強化と、神仏離脱と廃仏毀釈などの「仏教排撃」が行われます。様々な層の洋行によって幅広い知識が流入する同時に古色蒼然たる神道が権力によって一義となっていくのが同時進行。
2013-06-10 15:32:281-10)しかし長い時間の中で日常社会に溶け込んでいた仏教を急激に排除することは、仏教当事者はもとより一般の人々にも強い反感を招き、また欧米の近代国家の多くは信教の自由を認めていることをあって、政府は神道を「国家による祭祀」と「宗教」に分けて、一応の信教の自由を保証します。
2013-06-10 15:33:431-11)他方排撃を受けていた仏教側は自らの存在は国(天皇)の為になるとして積極的に皇国思想や国策に協力し、また「国を背負って」積極的な海外展開を始めます。そして欽定憲法としての帝国憲法が発布され、ここに国家神道の枠組みー-天皇主権とそれを支える精神的動員としての宗教ーーが確立
2013-06-10 15:34:571-12)つまり国家神道とは、憲法によって天皇の主権を明確にし、神道の頂点としての天皇は祭祀の主体という形で“のみ”位置付け、そして宗教としてのそれは祭祀から「分離」した教派神道としておき、そこに横並びする形で仏教キリスト教その他を存在させるという形態のものでした。
2013-06-10 15:58:071-13)その中にあって仏教は、「人々が慣れ親しんでいる日常的で身近な存在の“宗教”」として天皇崇拝と国家への貢献、そして「正しい戦争」への積極的な推進の「大義」を人々に呼びかけ、結果国家神道への強力な「精神的動員」力として機能していく訳です。こと禅宗は大きな役割を果たします。
2013-06-10 16:14:55