(ア1)現在のアフガニスタンに位置する、アレキサンダー大王の遠征後に成立したグレコ・バクトリア王朝のアイハヌムの遺跡では、太陽神ミトラと融合して後光を持ったゼウス像が祀られていたそうだ。さらにヘラクレス像やアレキサンダー大王像を従える仏像が発見されており、かなり強烈だ。
2013-06-14 20:24:01(ア2)また近年、「六波羅蜜」とサンスクリット語で書かれた最古の文字がガンダーラで見つかったことから、大乗仏教がガンダーラで誕生した可能性が高まっているという。こうして仏教はインドを抜け出し、世界宗教へと高まって行ったと考えられる。
2013-06-14 20:24:22(ア3)グレコ・バクトリア王国はプラトン家と親類関係が噂されるけれど、プラトニズムはガンダーラで仏像が生まれる前に、既にここに存在していたのかもしれない。もしかしたらプラトン主義が大乗仏教を生んだからこそ、プロティノスがナーガールジュナに会いにインドへと向かったのではないか?
2013-06-14 20:24:45(ア4)プラトン主義が大乗仏教に、ペルシャ帝国時代にインドと繋がっていたイオニア哲学が上座部仏教に発達したと考えると、スリランカの大ストゥーパが、アレキサンダー大王が建てたカブール近くのアラサンドラから派遣された3万人のイオニア人に捧げるべく紀元前に建立されたことと合点が行く。
2013-06-14 20:25:07(ア5)アイハヌムの遺跡からは、アイハヌム象を扱う棒が出土したことから、ここにはインド人が住んでいたと考えられている。ミトラがマイトレーヤとなり、弥勒菩薩へと変化したのはその直後で、このグレコ・バクトリア王朝を滅ぼした月氏が、秦氏として弥勒菩薩を携えて渡来したのだろう。
2013-06-14 20:25:34(ア6)キトラ古墳と高松塚古墳の壁画には、アフガニスタン産と思われるラピスラズリが使われているけれど、仏教の大乗仏教と上座部仏教の分裂・発展と、古事記と日本書紀の誕生は、両方ともアレキサンダー大王の東方遠征の影響から考えなくては読み解けないだろう。
2013-06-14 20:25:56(ア7)ウズベキスタン周辺に住んでいた遊牧騎馬民族クシャーン人は、仏教へと改宗するにはゾロアスター教を信仰しており、火の周りを回る習慣があった。これは映画「みつばちのささやき」に登場する、ケルト人たちが火の上を飛び越すドルイド教の収穫感謝祭サウィンのルーツではないか?
2013-06-14 20:26:16(ア8)インド統一王朝であるマウリア王朝の初代国王チャンドラグプタがアレキサンダー大王をガイドしたという伝説については知っていたが、チャンドラグプタ王の妻が、アレキサンダー大王の部下だったシリア王セレウコス一世の娘だとは驚きだ。
2013-06-14 20:26:38(ア9)フン族の侵入に対抗すべく、ゾロアスター教徒たちが最前線に送ったのがキリスト教徒であるアルメニア人だったけれど、この流れが西ローマ帝国の崩壊に繋がった。またゾロアスター教の影響を受けなかったオセチアが、ゲルマン神話とインド神話の共通のルーツだと考えられる。
2013-06-14 20:27:02(ア10)火には人々を守る特別なものだと考えていたゾロアスター教徒のクシャーン人は、仏像にも火の文様を描く様になった。東大寺のお水取りで終わるこのドキュメンタリーは感動的だ。「文明の道『第03集 ガンダーラ・仏教飛翔の地』」 http://t.co/UFvwP15kBO
2013-06-14 20:27:25以上、連続ツイート「アレキサンダー大王の東方遠征から考える大乗仏教の誕生と日本と西欧」でした。ユーラシア大陸横断プロジェクトへの応援、どうぞよろしくお願いします! http://t.co/zU4juklgBU
2013-06-14 20:27:58