文字助コンフィデンシャル

立川談四楼師匠が綴る桂文字助師匠奇譚
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立川談四楼 @Dgoutokuji

文字助が、タクシーの後部座席から助手席の弟弟子の頭を雪駄でスパンと叩く。てめえの案内が悪いから運転手さんが道を間違えるんだ、指詰めろ。親分、勘弁してください。いつものヤクザごっこだが、タクシーは交番に横付けした。運転手に危害は加えてないので無罪、怯えた彼は料金を受け取らなかった。

2013-07-21 11:10:43
立川談四楼 @Dgoutokuji

文字助が保険証をヒラヒラさせている。役所の窓口で騒ぐんだ。福祉はどうなってる、オレを殺す気かって。するとやって来るよ、お静かにどうぞこちらへって。で分かったんだ、千円二千円払えば半年分の保険証をくれるってことが。保険証のねえヤツいくらでもいるだろ。これをそいつらに貸してだな--

2013-07-21 11:10:43
立川談四楼 @Dgoutokuji

おめえの本、評判がいいぞ、売ってやるから10冊持ってこいと文字助から電話。嫌とは言えないので持参する。様子伺いの電話を入れると高笑い。丁度いい、3冊売ると4500円、お陰で3回飲まして貰ったよ、じゃあな。半分はやられると思ったが、そっくりだった。それは新刊が出る度に繰り返された。

2013-07-20 12:24:25
立川談四楼 @Dgoutokuji

文字助に真偽を確かめた。兄さん、このアパートの家賃払ってないってホント? 何だそりゃ。だから大家さんとこの月々のカネ。おお、まだ貰ってねえ。まるで長屋の花見だが、文字助はこの時点で5年払ってなかった。催促はないのかと問うと、しぶてえ大家でな、諦めさせるのに3年かかったと言った。

2013-07-20 12:24:17
立川談四楼 @Dgoutokuji

オレは三升家を務め上げた男だ。それが文字助の口癖だった。六代目小勝は口やかましく、おまけに鉄拳制裁も辞さない厳しい師匠で、だからオレは偉いんだとムショ帰りのごとく威張った。ブラフに騙される人もいる。ヤロー、旅に連れてったら酒ばかり食らいやがって何にもしねえ。談志は何度も愚痴った。

2013-07-19 14:04:05
立川談四楼 @Dgoutokuji

独りになり酒量は増えたが、文字助は相変わらずマメだった。糠床を丹精するのだ。弟弟子が泊まると、早くに起きて掃除をし、飯を炊き、魚を焼き、味噌汁を作り、その糠漬を供した。これがまた旨かった。いただいてしまうとすぐに帰るとは言いにくく、それで昼から酒になった。そして翌朝、また糠漬が。

2013-07-19 14:03:54
立川談四楼 @Dgoutokuji

勝松時代に新宿末廣で見染めたという。いい口調で上手くって、キリッとしててね、この人だって賭けたんだけど、まさかこんな飲んだくれだとは。お姉さんはそう文字助を評した。そのお姉さんが一人息子を連れてアパートから姿を消したのはいつのことだったか。文字助は未練を見せたが、後の祭りだった。

2013-07-19 14:03:31
立川談四楼 @Dgoutokuji

文字助は私に四泊させたかった。駒三兄が三泊の記録を持っていたからだ。帰宅の意思をほのめかした駒三兄は、コンタクトレンズをタバコの火で焦がされた。「額に押っ付けてやろうと思ったら、ヤロー避けやがった。それで目に入ったんだが、ヤロー、あちぃってやん。ウケたぜ」文字助は不敵に笑った。

2013-07-19 14:03:22
立川談四楼 @Dgoutokuji

私は文字助の砂町のアパートに二泊していた。三日目の昼、寿司屋で飲んでいる時、帰してくれと申し出た。文字助は棚から一升瓶を取り出し、ドンと置き、これを空けたらと言った。帰心矢の如し、私はそれをほとんど一気飲みし、砂町を後にした。真っ昼間、東陽町と表参道の両駅で吐いたのを覚えている。

2013-07-18 18:48:40
立川談四楼 @Dgoutokuji

「レミーを持て」とのモノマネが楽屋で流行った。レミーマルタン持ってこいの意だが、文字助はどの店でもそう言い、打ち上げに参加した連中が、文字助の反り身と口調を真似たのだ。レミーは高かった。しかし文字助はじゃあなとだけ言い、帰った。払わなきゃ警察沙汰だが、それがそっくり借金になった。

2013-07-18 18:48:29
立川談四楼 @Dgoutokuji

立川流以前であったから、文字助の披露興行は寄席で行われた。最初の打ち上げで何人か帰り、次の店でまた減り、朝、後援会長の店、築地いし辰でお開きになるのが常だった。もう弟弟子しか残っておらず、皆カウンターに突っ伏したが、文字助だけは更に酒を飲んだ。磯野後援会長の寛容あればこそだった。

2013-07-18 18:48:07
立川談四楼 @Dgoutokuji

真打昇進文字助襲名の宴がピークだった。婚礼司会の主戦場池之端文化センターは客であふれ、引出物は東源正久の包丁だった。後援者小川社長の研ぎによるもので、その包丁をまだ私は持っている。披露興行はカネを食う。その借金を真打という看板で返してゆくのが普通だが、文字助の借金は更に膨らんだ。

2013-07-18 18:47:52
立川談四楼 @Dgoutokuji

文字助に酒毒の影はまるでなかった。勢いがあり、魚河岸に深く食い込み、築地水曜寄席を発足させた。いわゆる場外の旦那衆の後援で、会場の社教会館は毎回満員の盛況となった。気がかりは一つ、自分の会であるのにゲストをトリに回すことで、おかしいと進言したが、これでいいんだと言い切ったことだ。

2013-07-17 12:04:02
立川談四楼 @Dgoutokuji

私は、婚礼の司会のイロハを文字助から学んだ。乾杯まではアナウンサーの如く、祝宴に入れば落語家に徹して務め、花束贈呈両家代表謝辞でアナウンサーに戻るという手法であった。途中あえて時間を作り、小咄をやり、祝儀をせしめる技をも学んだ。文字助はそれを懐に街に出て、豪快かつ陽気に散財した。

2013-07-17 12:03:49
立川談四楼 @Dgoutokuji

二つ目の談平時代から文字助の羽振りはよかった。好景気もあったが様々な仕事に恵まれ、中でも司会の技術はピカイチだった。大喜利は言うに及ばず、祝い事の司会には目を瞠った。そこへ団塊の世代の結婚ラッシュという追い風が吹いた。大安友引ともなると大忙し、私はアシスタントによく駆り出された。

2013-07-17 12:03:39
立川談四楼 @Dgoutokuji

桂文字助はS39六代目三升家小勝に入門し勝松、41二つ目昇進、46小勝の死にともない談志門下に移籍、談平となる。優秀な前座であったという。口調がよく目端が利くので談志に可愛がられ、移籍もすんなり、そう、笑点の初代座布団運びでもあったのだ。だから私は初めて会った時、羨望の目で見た。

2013-07-17 12:03:29
立川談四楼 @Dgoutokuji

振り回され、手を焼かされ続けた文字助。晩年の談志は必ずこう言った。文字助、おまえ、まだ生きてるのかと。文字助はいささかも怯まない。カンラカラカラと笑い、家元、そういうことを言っちゃあいけません。こういうことは歳の順です。だから家元、安心してお逝きなさい。あの時の談志の無念の表情。

2013-07-16 12:06:58
立川談四楼 @Dgoutokuji

談志の矢のような催促をものともせず、文字助は上納金を払わなかった。無い袖は振れねえの一点張りだった。業を煮やした談志は、独演会の前座に使うことを思いついた。ギャラを払わず上納金にとの手段だった。ついに完済した文字助、我らを前に高笑い。計略図に当たり、家元はオレの術中にハマった。

2013-07-16 12:06:43
立川談四楼 @Dgoutokuji

あてにしていた現金書留が届かなかった文字助、局長を出せと郵便局に捻じ込んだ。局長以下、当の配達員まで顔を揃え、ミスを認め、深く腰を折った。のみならず様々なグッズを詰め込んだ紙袋を持たせ、これでよしなにと頭を下げた。機嫌を直した文字助は言った。よおし、民営化を少しだけ待ってやる。

2013-07-16 12:06:21
立川談四楼 @Dgoutokuji

文字助、馴染の店へ。閉まっていて一枚の貼り紙が。勝手ながら都合により休ませていただきます。店主敬白。文字助は余白に書いた。てめえの都合ばかり並べやがって、客の都合はどうしてくれる。そして店主敬白の敬白を消し、軽薄と書いた。翌日、誠にごもっともなことでと店主から詫びの電話が入った。

2013-07-16 12:06:08
立川談四楼 @Dgoutokuji

その海外公演で案の定、文字助は談志のトランクを一つ無くした。激怒し、弁償を迫る談志に、どこをどうしたものか文字助、三倍の賠償金を保険会社からふんだくり、談志に差し出した。途端にでかした、偉えと喜んだ談志、猫なで声で、また海外に連れてってやろうか。文字助答えて曰く、またにしましょ。

2013-07-15 14:32:23
立川談四楼 @Dgoutokuji

文字助を海外公演に連れてったら、ヤロー、オレの荷物を持たねんだ。もう二度と連れてかねえ。談志がそう愚痴ったので、当の文字助に確認した。おう、何でも持たせようとするんで、言ってやったんだ。師匠、あっしの手は二本きゃねえんだって。そしたら師匠、自分で荷物持ってたよ。やればできるんだ。

2013-07-15 14:32:06
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