鷲谷花さんによる『風立ちぬ』評

映画研究者鷲谷花さんによる宮崎駿『風立ちぬ』に関するツイートをまとめたものです。
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鷲谷花 @HWAshitani

宮崎駿監督作品で男女が落下する場合、片方が落ちて片方が受け止めるにせよ、抱き合って落っこちるにせよ、身体と身体との距離が縮まって密着する印象があって、とすると、落っこちかけている相手をちょっと離れた位置でそれぞれニコニコ傍観している『風立ちぬ』カップルは、やはり異例で異様では

2013-08-07 23:55:59
鷲谷花 @HWAshitani

『風立ちぬ』の、ズレたタイミングながらも同じ重力に身をゆだねて恋に落ちたカップルが、最後はひとりは上の方に、ひとりは真下に向かって去り、別れ別れになる、というのは痛切でもあり、なんだかすごいことをやってるようでもあり。通常の映像作品に出てくる恋人たちは垂直方向に別れたりしません

2013-08-08 00:16:05
鷲谷花 @HWAshitani

でも恋人たちが垂直方向に別れ別れになる映画もあるか。『めまい』とか『めまい』とか。ちょっと違うけれど、『ゼイリブ』の、女の家から叩き出されて、山のてっぺんからふもとまで転がり落ちる豪快な肘鉄描写、良かったなあ

2013-08-08 01:09:13
鷲谷花 @HWAshitani

軍需工場、爆撃機のコックピット、防空壕から空を見上げる市民、戦災孤児たち、無残な死体、戦争指導者たち。『風立ちぬ』が在ると知りつつ知らぬ顔で通りすぎた事柄を、ありありと写し出すブレヒトの写真詩集『戦争案内』。いずれまた幻灯版を上映する機会もあるかと思います

2013-08-10 00:56:51
鷲谷花 @HWAshitani

『風立ちぬ』は、同じ家の中にいるはずの父兄を視界から排除することからはじまり、キワキワのところを通りすぎつつ、「顧みない」映画なのよね。重慶爆撃の鳥瞰ショットはあっても地上の地獄絵図は顧みられない。包み紙がわりの第二次上海事変を報じる新聞紙は、中身を取り出した後は顧みられない

2013-08-10 01:09:41
鷲谷花 @HWAshitani

「顧みない」ことで「夢を見つづける」二郎君と、絵を描く人であるし、いろいろ見てそうだけれども、口に出しては「お仕事してる二郎さんの顔を見るの、好きなの」としか言わない菜穂子さんに対し、まじまじと観察して真相を見抜く「シャーロック・ホームズ」なカストロプ氏、という軽井沢人間模様

2013-08-10 01:31:46
鷲谷花 @HWAshitani

カストロプ氏は、二郎君の「忘れる」「顧みない」あやうさを見抜いている風でもあるのに、結局ふたりの恋を祝福するものわかりのよい年輩者、といったあたりの役どころにおさまって、シャーロック・ホームズ的観察者としてのポテンシャルを充分に発揮するわけではない、というのは残念な限界かもな

2013-08-10 01:46:04
鷲谷花 @HWAshitani

しかしまあ、『風立ちぬ』の軽井沢パートの、ホテルのレストランの窓側と反対側の壁際のテーブル席に、これから恋に落ちそうな男女が着席し、その中間にクレソンを貪り食らう謎の男、という室内場面や、ポーチの椅子に掛けての会話場面は、さりげに古典的に見事な出来ばえなのだった

2013-08-10 01:54:49
鷲谷花 @HWAshitani

歴史社会政治的にクリティカルな出来事をただ「見せない」のではなく、そのすぐ傍らをキワキワで通り過ぎつつ「顧みない」ところを「見せる」手法って、公的検閲のある体制下の映画だと称賛ポイントになったりするけれど、『風立ちぬ』の場合は総じて逆らしい。まあそらそうなんだろうけれど

2013-08-11 03:28:20
鷲谷花 @HWAshitani

『風立ちぬ』は ― 1)ヘタレなのでクリティカルな問題を直視できない 2)第二次世界大戦時の「公的検閲のある体制下の映画」を意識して作ったのでそんな感じのスタイルになってしまった 3)実は「検閲」は存在している / 大方1)だろうけれど、2)か3)かの妄想を誘う何かはあるかも

2013-08-11 03:32:14
鷲谷花 @HWAshitani

『風立ちぬ』の最後の最後で、二郎君が九試単座戦闘機の飛行から視線を逸らし、山のあなたを初めて「顧みる」動作にしても、「自分が作ったものの行く末を直視できない」という意味だととれば、別方向の「顧みない」でもあるわけで。しかし視線の動きひとつが担うものがでかくて重い映画ではある

2013-08-11 03:44:26
鷲谷花 @HWAshitani

「検閲」があるかのように作られていると見えなくもない点も含めて、『風立ちぬ』はどうも全体にソ連映画ぽいのではないか。『一年の九日』のアレクセイ・バターロフと二郎君がどう違うかというと、どちらも「顧みない」し新婚のベッドに仕事持ち込むし。宮崎駿監督は旧社会主義圏映画に造詣深いはず

2013-08-11 03:52:49
鷲谷花 @HWAshitani

『風立ちぬ』見つつ『一年の九日』を直接思い出した箇所が二つばかりあって、九試単座戦闘機の試験飛行が成功して、黒川氏以下同僚たちがワーッと駆けていく(二郎君は逆方向を見てる)ときの音響が、『一年の九日』で核実験が成功して、研究者たちがワーッと廊下を走ってくるとこを彷彿とさせた

2013-08-11 04:04:47
鷲谷花 @HWAshitani

『一年の九日』は原水禁映画でも反核映画でもない。たとえ放射線障害で苦しみぬいて死のうとも、人を殺す兵器が作り出されようとも、「共産主義の基盤はエネルギー」なのが自明である以上、この研究を遂行することに迷いはない、という人の映画に見える。それが崇高に見えるとしたら、なぜなのか

2013-08-11 04:08:12
鷲谷花 @HWAshitani

『風立ちぬ』の「夢」は、中身が変というより、夢の見方、見せ方、夢と現実のロジックの繋ぎがいちいち薄気味悪いのが後を引くね。試験飛行失敗の夢だか妄想だかで二郎君が見る/イメージするカプローニ師匠は、「自分に都合の悪い真実は見ない見せない残さない」ことを諒とする人物ということになる

2013-08-14 00:00:50
鷲谷花 @HWAshitani

あと、最後の「夢」のパラソルだな。現実世界で二郎君はあのでかくて重いパラソルに振り回され、さして歩く用途に向かないことも身をもって体験している。にもかかわらず、彼女は風の中で軽々と「あのパラソル」をさし、「ジロウサーン!」と片手など振りながら近づいてくる。なぜそこで怪力ガール化

2013-08-14 00:14:36