浪江町津島からの脱出 2011年3月15日

浪江町津島は、2011年3月15日15時に濃い放射能霧に襲われた。それまでは何でもなかった。そのとき放射性物質が地表に落ちたので、高い放射能はそれからずっと津島に居座った。いまでも毎時6マイクロシーベルトある。  3月15日、津島に集まっていた浪江町民8000人の脱出作戦が展開された。作戦の後半に放射能霧がやってきた。このまとめでは、何を知って何を思って浪江町がそのとき津島から脱出したかに焦点を当てた。
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早川由紀夫 @HayakawaYukio

@spicacat777 津島中は3月14日に729人でしたが、津島小も同じくらいだったでしょうか?

2013-09-14 15:24:24
すぴか @spicacat777

@HayakawaYukio 14日に津島小1200人と記録にあります。15日の分は記録がありませんが、若干減っていたかもしれません。

2013-09-14 15:35:22
早川由紀夫 @HayakawaYukio

「14日夜、津島地区の南に隣接する葛尾村で「全村避難する」との防災無線が流れた。静かな山あいにある津島地区にもその声が届いた。「ここにいて本当に大丈夫なのか」。避難住民に動揺と不安が一気に広がった。」

2013-09-14 15:40:16
早川由紀夫 @HayakawaYukio

「浪江町は3月14日午後から断続的に対策本部会議を開き、再避難するかどうかを協議した。「一刻も早く避難すべきだ」。周辺の放射線量の情報は全くなかった。それでも避難の必要性を訴える意見が相次ぎ、移転先は二本松市に決まった。」

2013-09-14 15:40:37
早川由紀夫 @HayakawaYukio

「15日朝、馬場有町長が二本松市に受け入れを要請した。同日午前10時、町は津島地区の区長を集め、住民らに避難を呼び掛けるよう求めた。  町の移転とともに、住民の避難がせきを切ったように始まった。」 http://t.co/aOGXRMN3qn

2013-09-14 15:41:23
すぴか @spicacat777

311から一週間の避難記録。母の避難記録も載っております。まちづくりNPO新町なみえ 3.11実行委員会で昨年3月に発行。 http://t.co/bHdMSHJNqt

2013-09-14 15:51:09