KoSAC「ラッセンをいかに語るのか?」 実況ツイート
- misonikomioden
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光岡「美術批評がラッセンを持ってくることで問題をあからさまにするが、批評を読んでる人が読みたいか。つまり自律的に純粋な美術批評がちゃんと無くてはいけないのでは?多様性だけを追い求めては批評だけが崩れるのではないか?
2013-10-02 19:44:01原田「純粋は美術批評とはなにか? ラッセンを語ること自体が面白い、またラッセン自体を好きだと言っているというようにラッセン本は読めるが、それ自体が批評なのでは?
2013-10-02 19:45:25原田「まだラッセンについて純粋に語っている批評があまりない。 またラッセンについて語っている文はそれほどちゃんと語っているものではないとおもう
2013-10-02 19:47:46加島「論理的な内部・外部は分かるが、中ザワはどういう瞬間にわかるか? 中ザワ「グリーンバーグなど話すと楽しいじゃないですか?
2013-10-02 19:51:43中ザワ「内部・外部論は作品の面白さと関係ないしどちらでもよい。しかしラッセンがこれほどまで嫌われることが面白い。そこは美術の領土拡張では拾えない部分である
2013-10-02 19:55:51加島「黒いものという話があったが、ラッセンにはそれがゼロだと。中ザワ作品に内面ゼロな作品がある。それは美術としてどうなのか?
2013-10-02 19:57:15中ザワ「メタかベタかの話。ニューアカ全盛の時代にも同じ話はある。 マンガの話だが、ナンセンスマンガ成立に作者のどろどろした葛藤後に作ったネタだとすれば分かりやすい
2013-10-02 19:58:09中ザワ「相原コージが吉田戦車に対し、その葛藤無いままナンセンスマンガが成立してしまうことに驚いていた。 美術でもウォホールは表面だけ見てほしいと言っているが、現在の我々は内面の葛藤があることを知っており評価するが、しかしそれを重視する必要があるのか。
2013-10-02 20:00:06原田「作家が亡くなり情報が劣化し消えていことで幽遠さが作品に付与される。 究極的には作家と作品体験は異なる 以前「心霊写真」展を企画したが、真の心霊写真は作家がいない(作家がいたら成立しない)。
2013-10-02 20:02:45質「社会学をしているので内部・外部について光岡・加島の話は分かるが、中ザワ・原田は話が分からない(噛み合ってない)。フランスでは社会学として美術の研究は進んでいる。芸術価値の絶対・相対について国境判断はあるか?これは日本美術特殊性と世界との差(アートで金儲けする)は?
2013-10-02 20:07:49中ザワ「絶対性は話が面白くなるので出したw 絶対性など実際のところ言えない。国力や国の戦略で差がある。洗い出せば芸術に絶対性がないことが言える。 そうであればイラストで良いとなり、それがポストモダンになる。そこに自分も身を置いていたが、
2013-10-02 20:09:14中ザワ「何らかの言葉を使い、美術に何らかの価値があると希求することは、その相対性を追求するポストモダン状態とはまた異なる。
2013-10-02 20:10:18中ザワ「日本・世界の差はそんなに大事なことではない。また経済の話の大したことではない。売れるかどうかより自分が納得する作品を作ることが重要だ
2013-10-02 20:11:12原田「ラッセンの売り方は路上で連れ込み販売しており特殊で、高いと言っても100万程度で現代美術に比べたら安い。 美術館にラッセン作品が無い。展示されているのは一般家庭。ラッセン作品には「収蔵性」が無い。
2013-10-02 20:12:48原田「ラッセン作品には原画がある時期から存在しない。デスクトップ制作になり原画が無いのでシミュラークルが成立しない。原画が無い=1点ものが無い問題になる。
2013-10-02 20:14:09中ザワ「美術館に入らずとも、皆の目にふれ楽しめることが重要だというスタンスに自覚的でイラストレーターをしている人が中ザワの周りにいたことを指摘しておきたい
2013-10-02 20:15:09質問「ラッセンから反応はあったか?また彼はアートであるかどうか意識しているか?これは自身の制作に対する悩みでもある何がアートかどうか。私の嫌悪は絵画商法と価格だが、それを抜きにしたら嫌悪はない(世代的か?
2013-10-02 20:16:39中ザワ「今の話であれば、中ザワよりもラッセンは偉大な画家となる。法外というが、薄利多売。複製で最大多数の最大幸福であり民主主義だ。にも関わらずラッセンを美術としない美術界に嫌悪がある。
2013-10-02 20:18:21