第三次ソロモン海戦における霧島とサウス・ダコタ

有坂純先生が一次資料を用いて第三次ソロモン海戦におけるサウス・ダコタの損害を読み解く。
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有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

一つ、大事なことを忘れていました。 ランドグレンさんは14インチ1式徹甲弾の命中数を1から2に修正されていますが、じゃあ、そのもう1発の徹甲弾は「サウス・ダコタ」のどこにどんな大被害をもたらしたのか? それとも空しく装甲に弾かれた?

2013-10-26 13:50:54
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

これは艦船局が頭を悩ませた命中21、50ポンドSTS鋼の船体外板に直径24インチ、深さ6インチの大きな凹みが生じているケースです。とりあえず、「8インチ徹甲弾の擦過」という分析ですが、その後に「しかしそうだとすると、このSTS鋼外板は余りに脆すぎるのはないか?」と書いていたり。

2013-10-26 13:54:13
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

これについてのランドグレンさんの説明は明快で、「14インチ徹甲弾の弾体そのものは命中せず、脱落した被帽部のみが船体にぶち当たって凹ませた」と。 艦船局も、8インチ徹甲弾の被帽部の可能性は挙げていたのですが。 と言うか、どうしてそんなに8インチが好きなんだ。 今度こそおしまい。

2013-10-26 13:58:57
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

「サウス・ダコタ」対「霧島」の件でちょっとだけ気になったので補足。 「過去に何が起こったのかなんて所詮分からないよ」という認識は間違い。歴史学の使命は「過去の時代」を明らかにすることだが、その基礎作業として、まず「時代」の材料「過去の事実」をこつこつ集めなければならない。

2013-10-27 13:41:23
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

事実を知るために扱うのが「史料」で、対象となる地域や時代やテーマにかかわらず、こんな手順で辛抱強く、疑い深く、やってゆく。→ http://t.co/GoDMVDkGPX 複数の史料を比較検討し、さらに史料のコンテキスト、つまり史料が存在する意味を歴史状況から考察せねばならない。

2013-10-27 13:45:21
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

「サウス・ダコタ」と「霧島」の交戦を「事実」として明らかにするには、このような歴史学研究の正当な作業の手続きを行ってゆかなければならない。歴史学は回り道のない種類の学問分野なので、これを避けることはできない。

2013-10-27 13:48:11
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

私の先日のツイート http://t.co/0upNqvpK47 は、たった一つの史料をコンテキストの検討すら抜きで読んで2時間でまとめた、趣味の茶飲み話のネタに過ぎない(twitterとは、主にそういうことをやる道具だと思っている)。

2013-10-27 13:51:36
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

だから、あの夜の「戦闘の事実」をきちんと明らかにするためには、両軍の部隊戦闘詳報や各艦の航泊日誌を手始めに、多くの史料を集めて読み比べるところから始めなければならないが、最初に書いたように、それは決して不可能ではない。難しいか易しいかは、着手してみないと分からないが。

2013-10-27 13:57:33
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

あと、当日戦場に実際にいた人々の「回想」「証言」に過度な期待を抱いている人も少なくないようだが、それは間違い。将兵の証言は史料として重要だが、他の史料に比較して顕著な信頼性を有しているわけではない。

2013-10-27 14:00:40
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

人間の感覚や記憶のあやふやさということもあるが、戦場、特に近代戦の戦場はあまりに巨大過ぎて、階級や職責にかかわらず、個々の人間にはその切り取られたごくごく僅かな一部分しか体験することができないのだ。それが「証言」という史料の一つのコンテキストということになる。

2013-10-27 14:04:38
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

毎度挙げているが、戦場では何が起こっていて、そして歴史家はそれを知るためにどんな態度を取るべきかについては、キーガンの『会戦の顔』が最良の基礎文献なので、軍事史に関心のあるアマチュアの方にも(にこそ)、まず読んでおいて欲しい。 http://t.co/kTcC83YYEG

2013-10-27 14:08:10
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

「事実を集まる作業」から始める点で、ジャーナリズムは歴史学は似ているが、「学説史(過去の研究の蓄積)と対話しつつ行われる客観的なコンテキストの検討」がないのが決定的に異なる。それは、ジャーナリズムの「世論への今そこにある問題の提起」という異なる社会的な目的からして当然だ。

2013-10-27 15:35:47
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

C.V.ウェッジウッドとバーバラ・タックマンの本は、女流ということは置いておくとして、どちらも歴史についてのナラティヴな読み物で、とても面白い。しかしまさに下に挙げた違いにおいて、ウェッジウッドは(色々と言われているが)歴史家で、タックマンはジャーナリストだ。

2013-10-27 15:40:48
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

「事実」をかき集めて、年表や事典のように並べてみただけのものはまだ「歴史」ではない(もちろん、ジャーナリズムでもない)。歴史について読もうとする、あるいは書こうとする際には、そのことを心の片隅にでも留めておいていただきたい。

2013-10-27 15:45:54
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

「サウス・ダコタ」の異常な電源喪失は、一口で言えば、米軍が自動化を少々野心的に進め過ぎていたのが原因です。ショートの後、設計に不具合のある自動復旧システムがかえって情況を悪化させてしまい、結局、電路員が急行して手作業で復旧に当たらなければならなかった。それに3分間かかった。

2013-10-27 16:32:41
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

艦船局のダメージ・リポートは、問題の自動母線切替スイッチを一つ残らず取り外して旧式の手動のスイッチに入れ替え、操作の人間を置くように強く勧告しています。艦の電路系の見直しと改正が実際にどう行われたかは、本国での修理とオーヴァホールの記録を読まないと分かりませんが。

2013-10-27 16:38:27
有坂純@ターナー展 @thorn_the_socrs

そういう過去の戦訓があるので、空母や水上戦闘艦、潜水艦をもっともっと自動化しようというテクノホリック指向の話が出てくるたびに、説得力のある反論がなされるわけですね。

2013-10-27 16:42:13

蛇足

「歴史を語る」という言葉を三つに分けることが出来る。

  • 歴史を学ぶ
  • 歴史から学ぶ
  • 歴史を物語る
    「歴史を学ぶ」とはまさに今回有坂先生がなされているように、一次資料をあたり、より事実に近づこうとする姿勢。
    そこでは「広く語られていること」に捕らわれず、より客観的に、資料を吟味し、ただ事実を明らかにすることに努めなければならない。
    「歴史から学ぶ」とは、いわゆる歴史の教訓を今日につながる形で活かそうとする姿勢。これはこれで大事なのだけど、「活かそう」とする時点で、価値判断が入ってくる。
    「歴史を物語る」というのは、「坂の上の雲」とか「ローマ人の物語」とか、「○○に学ぶ経営術」(○○は織田信長でも坂本竜馬でも山本五十六でも可)とかの姿勢。「物語る」のだから、そもそも事実であるか、客観的であるかは第一義ではない。読者の関心をひき、感銘を与えることが優先される。だからこそ「○○史観」だの「架空の史料をでっちあげている」とか言われながらも、それらの「物語」は広く流布されている。
    これら三つの姿勢はいずれも「歴史を語って」おり、意識しないと混同してしまいかねない。
    そしてありがちながら危険な過ちは「歴史を物語る」を土台として「歴史から学ぶ」こと。これはつまるところ、でっち上げの過去から自分に都合の良い教訓を引き出す行為に過ぎない。
    本来、「歴史を学ぶ」を土台とすべきなのだけど、客観的な事実の追求が人の耳目を集めるとは限らない。むしろ「歴史を物語る」に惹かれてしまうのが(私も含め)多くの人のさが。
    それをわきまえた上で、歴史に触れるべきなのではないか…などと愚考いたします。