- aka_kikuchi
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@h_ayasaka 遅リプですが、ありました。ただやっぱCDのアクセス構造+CLVの恐ろしさをわかっておらず(当時わかるほうが難しいw)、エミュレータではともかく実機でのプレイは厳しい物でした。
2013-12-09 08:46:15しっかし24年前のゲーム業界が今よりいいか悪いかはともかく、バンカラで豪快な人間が山盛りだったのは間違いない。カオスな業界だったw
2013-12-09 09:05:07@snapwith ありがとうございます!追加しておきました。『ゲーム職人 第0集』や『ゲームの流儀』の桝田さん発言を読むとサラリーマンと桃太郎チームの昼夜二重生活ですでに限界だったので婉曲に断るためにむちゃくちゃな金額提示→明日から札幌来い→3ヵ月間札幌缶詰、という流れでしたw
2013-12-09 06:46:00@snapwith レッドもハドソンも若くて熱いスタッフさん達がやりたい事を詰込み過ぎて身動き取れなくなってた所に桝田さんが入ってスパスパ切る、という流れでした。コマンド式になる経緯についてはハドソンの社長さんがドラクエ2?を見てこういうの作ってと言ったという話も見た気がします。
2013-12-09 06:56:42@snapwith 岩崎さんのイースや天外の話も載ってましたね。天外1のスタッフロールにこの人なしには完成しなかったと言われる程貢献した桝田さんが載ってなかったりその後の天外でずっと綱手役の江森浩子さんが実際には演じてないのに綱手の位置に載ってたり、とかもゴタゴタを想像させますw
2013-12-09 11:31:11参照。
・『ゲームの流儀 ゲームクリエイターロングインタビュー集』(太田出版)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032772799&Action_id=121&Action_id=121&Sza_id=C0
(↑改めて語られる天外魔境3がPC-FXで出なかった経緯やPS2で出た天外魔境3が桝田シナリオではなかった理由など。
天外以外ではあきまんさんのスト2開発秘話や桝田さんの考えたデータイーストのキャッチコピー「ヘンなゲームならまかせとけ!」に対する開発者さんの反応(笑)も読めます)
・『ゲーム職人 第0集 ゲーム文化を支えた37人の証言』(マイクロマガジン社)
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000032026424&Action_id=121&Action_id=121&Sza_id=C0
(↑ハドソンからのオファーを断るために桝田さんが提示した金額も出てきます)
その他。
桝田 その次は『天外魔境』のI。あれで3か月くらい札幌に缶詰にされて、東京に帰ってきたら、机の上に人の荷物がいっぱいあって、自分の椅子がなくなってたの。
さくま それはよくあるサラリーマン・ドラマだねえ。『天外魔境』であれだけ貢献したのにな。桝田省治がいなければ『天外魔境』は出なかったんだから。
桝田 ハァー。
さくま それが良かったのか悪かったのか、あとの歴史が語ってくれるだろう(笑)。
桝田 まあ、良かったんじゃないですか?
さくま そうだね。桝田省治の性格からしたら、好き勝手にやれるって意味では良かったよね。
桝田 僕も30くらいで会社をやめようと思ってたけど、ゲーム業界へ来るとは思ってなかった。デザイナーだから、そっちで独立しようと思ってた。
さくま デザイナーがゲーム・デザイナーになっちゃったな。
(『桃太郎電鉄HAPPY 究極本』(KKベストセラーズ)より)
http://www.amazon.co.jp/dp/4584160511/
天外1のコマンドバトル以前のやつについて覚えてること書くと、バトルへの画面遷移で枠の形が変化するのだけど、エミュレータでは1秒そこそこで遷移してた。実機では悪夢だった。細かいことは、某進藤(イースでのチーフアーティスト)が知ってるはず。ヤツは天外1にもかなり関わってたのでw
2013-12-09 10:42:31某進藤→進藤司さん
マップと全体を見ているのが進藤司。
天外1を作っていた男で凄ノ王伝説を作っているとき仲良くなった。天外2を作るときも使いたかったのだが、本人がSFCのゲームを作っていたので、だめだった。
・Colorful Pieces of Game::1989年4月 - スーパーイースというタイトル
http://www.highriskrevolution.com/gamelife/index.php?e=18
「そして浦上君はこのあとREDに入り、ハドソンを辞めてREDに入った進藤とともに数々のゲームを作った後、今も進藤と違う会社で仕事をしていると聞いた。」
・Colorful Pieces of Game::1991年1月 浦上進君と日本テレネット
http://www.highriskrevolution.com/gamelife/index.php?e=158
・Colorful Pieces of Game::サイト内検索結果
http://www.highriskrevolution.com/gamelife/?s=進藤
@snapwith CD-ROMの開発システムには安い家が買えるほどの価格のごついHDDがついてました。それのCDROMエミュのことですかねぇ。実機のほうが断然遅かったんですねぇ。当時はあまり意識してませんでした。
2013-12-09 11:25:17@namtaka 断然遅かったですよ あのエミュレータよりw むかーし速度比の測定しましたけど、10:1以上でしたw
2013-12-09 11:26:33しかし、考えてみたらひでえあだ名だと思うのだけど、CDエミュレータを墓石って呼び出したの誰なんだろうw なんとなく野沢さんのような気もするけどw
2013-12-09 11:33:58PCエンジン(スーパー)CDロムロムの開発用エミュレータが「墓石」と呼ばれていたことが分かる記事。
・Colorful Pieces of Game::1991年3月 久石譲さんに音楽が決まる
http://www.highriskrevolution.com/gamelife/index.php?e=197
過去に出た岩崎啓眞さんの同人誌でも写真付きで言及があった、ような気がします。
参照。
・天外魔境 ZIRIA スタッフロール(13分10秒~)
www.youtube.com/watch?v=Gmnq3K_R53w#t=13m10s
http://www.youtube.com/watch?v=Gmnq3K_R53w#t=13m10s
・天外魔境II 卍MARU スタッフロール(19分10秒~)
www.youtube.com/watch?v=249jpZet1Xw#t=19m10s
http://www.youtube.com/watch?v=249jpZet1Xw#t=19m10s
関連。
・Colorful Pieces of Game::Ysを作った頃
http://www.highriskrevolution.com/gamelife/index.php?c=4-
(↑カテゴリ内をさかのぼって古い方から読んでください)