@yuno1986
つまりチャップリンは、盲目だった彼女の浮浪者に向けての純粋な差別感情をさえ肯定し許している、と太田は言う。そしてそれを表現することでその感情の存在を肯定するチャップリンを素晴らしいと言う。これは僕の中で大きなひとつの価値観として残っています。
2010-02-14 06:41:54
@yuno1986
チャップリンは、良いか悪いかではなくて、時に汚く差別的で暴力的である可能性を持った人間そのものを作品として残すことで肯定をしている。これは究極のヒューマニズムなのではないかと思います。
2010-02-14 06:43:23
@yuno1986
だから、仮に松本人志の「働くおっさん」シリーズがイジメであり差別と暴力を内包しているとしても、それをそのまま表現として残す松本人志の姿勢は、その危うい本質に迫っていること、彼ら(素人のおじさんたち)を松本なりに笑うというその存在肯定の仕方を以って肯定したいなと思います。
2010-02-14 06:44:49
@yuno1986
それは銀杏BOYZのPVにしてもそうなんです。実際に向き合ってそれを表現に落とし込むところまでいくのは並大抵のモチベーションでは出来ない。それはやはりヒューマニズムが根底になければ達成できない表現ではないか、と。
2010-02-14 06:45:23
@yuno1986
そういう思考を経て、初めに出した「表現は差別と暴力を認めるものだと思うし、言い換えれば、(本質的な)表現は(時に)差別的で暴力的になることを避けられないのではないか」という言葉に帰結していったのです。
2010-02-14 06:45:57
@yuno1986
うーん、上手く伝わるか、この言葉にどれほど説得力があるのかは分かりませんが、僕の所感はこんなところでした。本当長くなってすいませんマジで。マジで!いやいやマジで!いかかでしょうか・・・。
2010-02-14 06:46:42