永井均講演@哲学道場駒込
@daidozi いやー、でもなんか組み合わせが面白いですw カルチャーセンターとかなのかな…わりと開かれてるみたいで、話したという方はツイッターでもチラホラ見かけます。
2010-10-30 20:55:20@Minority20 高校生や大学生の頃は永井さん好きだったのよ。今は好きじゃないわけじゃないけどw これ行ってた。 http://tetsugakudojo.web.fc2.com/
2010-10-30 20:59:53@daidozi 私も倫理学関係はわりと読んでます。おーこんなものが…これ確かツイッターの相互フォローな人に関係者が、というか写真ありますね…w ちゅっちゅしたんですか。
2010-10-30 21:06:36どの身体が私であるかとか、どの時点が今であるかとか、いちいち気にしなくても済むためにも、身体があってそれには意思疎通のための手段がついているっていうのが重要になってくる。
2010-10-30 22:38:24さっきまでがっつり寝てた。けーちゃんが酔って面白くなりだした頃にはすっかり寝てしまっていた……。昨日は発言こそ少なかったものの頭の中は4、5時間フル回転だったので仕事で英語だけの会議を1日した時と同じくらい疲れちゃった。
2010-10-31 08:52:58身体に口がついていることに関する理解。自分の意識と連動する自分の身体に言葉を発する口(言葉を書く手でもよい)がついていて、意識・身体・言葉、これらが一体となり、他人の側からは身体と言葉が一体になって認識される。そう他人が認識していることが他人の言動に表れて、私が私としてわかる。
2010-10-31 09:08:23@shoji_arisawa 東洋思想と心身問題はそれぞれ興味として並行しているので東洋思想を用いて心身問題に取り組もうという方向性が明確にあるわけではないですが、インド哲学や仏教(インド発祥ですがここでは分けて考えます)でも考えてみようという興味もまた、ありますね。
2010-10-31 09:14:59ストーブに意識はあってもいいけど本に意識があるのはだめだという話が出た。これはそれなら本にも意識があっていいという意味で最初そんなわけないだろ……と思ったけどストーブの方がどこが頭かみなしやすくてどちらかといえば人間に近いってだけの話だったね。
2010-10-31 09:32:49そういう考え方をすると、アニメの人型キャラクターのフィギュアなんかはかなり高位だし、ボールペンはかなり低位だね。でもこれって、判断する人が何をもって自分と同じようにみなすかによって異なるんだろうと思う。
2010-10-31 09:34:46自分以外のものに意識があるとみなすことは社会で生活をしていく上でとても大切なことだ。特に「他の人間」という物体については意識があることにしておかないとまずい。……でも、システムを作り上げる前提としてそれがなければいけるんじゃないの?ってのはある。「東洋の専制君主」の例があった。
2010-10-31 09:43:48今、大道寺が生活している社会というのは、他人に感情があるということ、他人に自由意志があるということ、そういう前提を置くことで、まわっている社会だと考えている。今のところその「他人」にはボールペンは含めなくても問題はない。含めたら逆に問題になるんじゃないか。「ボールペン虐待問題」。
2010-10-31 09:48:55私とされる物体とそれ以外の物体があって、それ以外の物体の中には私と似た物体と私と似ていない物体がある。究極の私に似た物体から究極の私と似ていない物体まで序列がある。その位置づけ方は人によって異なるのだと思う。私に似た物体側ほど私と同じような意識の存在を認めやすくなる。
2010-10-31 09:57:29物体というと視覚で認識されるという意味での外見だけのようにも思えてくるけど、仮に私の目の前のコップから言葉が流れ始めて、叩くと「痛い」という反応を返すようになったら、そのコップの序列は上の方に移動するだろう。
2010-10-31 09:59:52他人の意識について、反実在論者なんだね? と問われて「まあ、そうかなあ」と思って頷いたけれど、私は「他のものに意識があるかどうかはわからない」と考えていて、だから他のものに意識があると「みなす」しかないと考えている。コップに意識があるとみなしたっていいんだ。
2010-10-31 10:07:56社会が成り立つために他の人間に意識があるとみなすことには賛成だ。だが、「他の人間にも意識がある」と断定する実在論には反対だ。そうは言い切れないという意味で反対だ。そういう意味で反実在論。
2010-10-31 10:09:41土曜朝にも言ったけど、自由意志ってのはわけのわからない概念だ。何でもそうだと思うけど、物事は易しく考えることも難しく考えることもできて、今は難しく考えている。日常生活では易しく考えている。
2010-10-31 10:18:17物事を易しく考えることも難しく考えることもできる。なぜ難しく考えなくても日常生活を送れるのか、という問いに対しては「私が私であること」「現在が現在であること」を問わずに生きていけることと関係していると思う。もうひとつ問いがある。なぜ難しく考える能力を人間は獲得したのか。
2010-10-31 10:23:45後者の問いは茂木健一郎『意識とはなにか―「私」を生成する脳』にあった問いだけど、人工知能のフレーム問題から着想を得て考えると、なぜ易しく考える能力を人間は獲得したのか、といった問いにもできるのではないかと思う。
2010-10-31 10:28:07