【永井均批判】哲学道場高円寺「哲学的パズルを解く」

10/31に開催された哲学討論会「哲学道場」高円寺例会に関するツイート。土田氏による発表内容は永井哲学を「似非問題」づくりとして批判するものだった。 http://tetsugakudojo.web.fc2.com/ 前日の駒込特別例会のまとめ。 http://togetter.com/li/65116
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@_philo_sophia

永井さんの哲学感も、それを似非問題だという土田さんの哲学感も、僕は面白いものだと思いますよ。なので、「永井均分科会」であったから僕にとって「はずれ」だった、というわけではありません。

2010-11-01 18:03:16
@_philo_sophia

ただ、「質問――応答」という関係が築けていなかったのが問題だったと、僕は思っています。その意味で「議論にすらならないひどいありさま」と言いました。

2010-11-01 18:07:28
@_philo_sophia

例えば、谷口さんが土田さんに「それは単に誤読ではないかと言っているんです」と言ったとき、土田さんはこう応えました。「いや、誤読ではないですね」 そして、自分の思想についてさらなる説明を加えていました。

2010-11-01 18:08:47
@_philo_sophia

僕が違和感を覚えたのはこういったやりとりです。土田さんは、谷口さんがまだどこがどう誤読なのかを説明していなかったにもかかわらず、誤読ではないと断言しました。誤読でないかどうかなんて、その時点では絶対にわかりえないはずなのにです。

2010-11-01 18:11:37
@_philo_sophia

そして、そこには「自分が正しい」という前提が顕れていて、僕はこの前提を疑わないかぎり、議論などできないと思っているんです。

2010-11-01 18:13:03
@_philo_sophia

谷口さんの質問は、「土田さん(のなんらかの考え)が間違っているかもしれない」と疑ってはじめて理解できるものだったと思います。まず土田さんが自分を疑わないかぎり、谷口さんの質問を理解できないと思いますし、理解できない質問に答えられるはずもないのではないか、というのが僕の考えです。

2010-11-01 18:17:26
@_philo_sophia

あるいは、土田さんが質問の意味を理解し、それに的確に回答していたにもかからわず、僕や質問者である谷口さんが単にその回答を理解できなかった、という可能性もあるとは思います。

2010-11-01 18:19:38
@_philo_sophia

なので、誰に非があるかはわからないと思いますよ。ただ一つ言えることは、少なくとも議論にはなっていなかっただろう、ということです。

2010-11-01 18:21:09
@_philo_sophia

ああ、一応踏み込んだ批判もできないことはないんですけど、それをここで言ってもなあという感じが。

2010-11-01 18:31:07
@_philo_sophia

「そこにある物体が突然消滅する可能性もありうる」という文章に対して、土田さんは「それは事物世界の在り方に反している」 だから、「実際に消滅することなんてない」と言います。

2010-11-01 18:32:39
@_philo_sophia

そして、それでもこのような「ありうる」言説が説得力を持つのは、そもそもこの「ありうる」「ありえない」という表現に証拠が必要とされないからだと仰います。

2010-11-01 18:33:46
@_philo_sophia

土田さんは、「物体が突然消滅する」という状況を想像できるだけであって、実際には起こらないと考えているようです。

2010-11-01 18:34:37
@_philo_sophia

このように、その想像と事実の区別をあいまいにすることで、哲学的な似非問題は作られる。土田さんの昨日の発表を僕なりに解釈すると、こんな感じですね。

2010-11-01 18:35:54
@_philo_sophia

土田さんは「『ありうる』『ありえない』という表現に証拠が必要とされない」と言いますが、僕は「『ありえない』という表現に証拠が必要とされる」と思います。このあたりの前提に齟齬があったんですよね。

2010-11-01 18:37:36
@_philo_sophia

例えば、僕が「僕は絶対に嘘をつく」と言ったとする。この発言が本当である可能性はありえるか、と問われれば、僕は「ありえない」と答えます。仮にその発言が嘘でないとすれば、その仮定自体が発言を嘘としてしまうから。これが根拠(彼の言葉では「証拠」)です。

2010-11-01 18:39:49
@_philo_sophia

この根拠がある限り、この発言が100%嘘であると言い切ることができます。しかし、なんら根拠が示せない場合、つまりそれが「ありえない」かどうかを判断する能力が僕たちにない場合、僕はそれを「ありえる」と表現します。

2010-11-01 18:42:36
@_philo_sophia

つまり、「ありえない」にはなんらかの根拠が必要であり、「ありえる」における根拠は「『ありえない』と言える根拠がないこと」だということです。

2010-11-01 18:43:29
@_philo_sophia

土田さんは「『想像可能』であることをあたかも『実際にある』ことかのように考える短絡」というような表現を用いていましたが、想像可能であるから「ありえる」と言われるわけではありません。

2010-11-01 18:45:46
@_philo_sophia

その点、土田さんは件の引用(永井均)を誤読しているのではないかと思われます。

2010-11-01 18:47:08
@_philo_sophia

では、「そこにある物体が突然消滅する可能性」についても考えてみます。

2010-11-01 18:48:06
@_philo_sophia

もし、この可能性を「ありえない」と言える根拠が存在する場合、この可能性を「ありえる」とは言えないということになります。土田さんは「ありえない」と言える根拠として、「事物世界の在り方に反している」と言いました。

2010-11-01 18:49:48
@_philo_sophia

しかし、この「事物世界の在り方」を、僕たちはどこまで把握できているのでしょうか。なるほど。確かに科学は日々発展を続けています。しかし、科学は観測に依存するものです。観測していない状態における真偽を判断する能力はありません。

2010-11-01 18:51:58
@_philo_sophia

「事物世界の在り方」を知るために、科学やあるいはその他学問を駆使したとして、それらが完璧であると言えません。であるならば、僕たちはある事象が「事物世界の在り方に反している」かどうかを正確に判断できない、ということになります。

2010-11-01 18:53:36
@_philo_sophia

「今まで観測したあらゆる物体は、突然消滅したりしなかった。すべての物体は突然消滅したりしないんだ。そういう法則に基づいて存在しているんだ」 これが科学の在り方です。しかし、観測していない物体は、もしかすると突然消滅していたのかもしれません。

2010-11-01 18:55:37
@_philo_sophia

だとすれば、「すべての物体は突然消滅したりしない」と言える理由など存在しません。だから、「そこにある物体が突然消滅する可能性もありうる」んです。

2010-11-01 18:57:18